麗蘭さまは出産後1週間ほど産屋でお休みになり、宮中で子育て部屋として柳絮(りゅうじょ)殿が与えられました。

 「麗蘭、よく頑張ったな!」

 「お父さま、ありがとう!」

 まず、あの風呂敷包みを抱えてお父さまがお見舞いに来てくれました。が、帝の料理番はとても忙しいらしく、お父さまは御子の顔を一目見ると、また厨房へと帰りました。

 「麗蘭さま、まことに、よくやりましたな!」

 「ありがとうございます。百合さま。」

 こちらも風呂敷いっぱいに団子やみかんや羊羹を包んで、百合さまがお見舞いに来てくださいました。

 「まことに、なんと申していいやら。本当に無事に産んでくれて、ありがとう。麗蘭さまは女官の光にございます。」

 「そんな、大げさですよ。」

 冗談か本気かそんなお話しをしていると、今度は呉竹さまがいらっしゃり、到着早々土下座なされました。

 「この度はなんとお詫び申して良いやら。」

 「何をおっしゃいます、呉竹さま。この度は本当に、いろいろとありがとうございました。」

 破水に気がついたのも、その前の兆候をおさえて医官に伝えたのも、全て呉竹さまです。その思いで麗蘭さまが布団の上で頭を下げていると、呉竹さまが両腕で抱きしめられました。

 「本当に、よくぞご無事で。」

 呉竹さまはそればかり何度も口にし、涙を浮かべていらっしゃいます。

 「呉竹さま、本当に、御子も麗蘭さまも、本当に良かったですよね。」

 呉竹さまの背中を百合さまがゆっくりさすっていらっしゃいます。

 「申し訳ない。どうも私と重ねてしまい。実は身籠ったものの、生きて産んではやれなかったのです。」

 「そ、それは…。」

 百合さまは呉竹さまの隣でうなずいていますから、そのことを知っていたようです。宮中では年に何人もの御子が誕生しますが、呉竹さまのように御子が助からない場合も、母が助からない場合も、珍しくはありませんでした。

 「早く気付けず、やれ『早う』など、『怠けだ』だの、お身体に負担をかけてばかりで、本当にそうだと分かってからずっとずっと、ちゃんと産まれてくるかが心配であったのです。」

 呉竹さまはなおも涙を流しながら、ずっと麗蘭さまに謝り続けておられます。

 「呉竹さま、私は恨んでなどおりませぬ。舞のお稽古も、掃除のお稽古も、お産にすごく役に立ちました。何より、後ろ盾のない私を思って、こんなにもしていただけたことが、とても心強かったのです。」

 それを聞いてさらに涙を流される呉竹さまに、麗蘭さまはそっと肩から手を回されました。
 麗蘭さま、呉竹さま、百合さま。3人が一つになって思いを通わせ、しばらくの時がすぎました。

 「百合さま、そういえば吉良と松子は、いかがお過ごしでしょうか?」

 「え?」

 「いな、2人は女官の時も寝殿仕えを始めてからも、ずっと支えてくれて共に過ごした友でありましたのに、お見舞いに来ないのは、何かあったのかと。」

 百合さまは苦い顔をして、同じ顔をしている呉竹さまと顔を見合わせていらっしゃいます。

 「麗蘭さま、本当にご存知ないのか?」

 呉竹さまは、よくわからないことをおっしゃいますので、麗蘭さまはキョトンと首をかしげるばかり。

 「これは、なんと申したら良いやら…。」

 「そんなに悪い何かに冒されてしまったのですか?」

 百合さまの答えに、麗蘭さまは眉をハの字に寄せていらっしゃいます。

 「麗蘭さま、やっと松子殿の追放が完了しました。」

 「え? 松子が追放、とは?」

 突然やってきた医官は、何の前触れもなく、それを伝えました。

 ーーそれは、麗蘭さまが産気づかれるほんの少し前のこと。

 医官が麗蘭さまの部屋で松子を探し、紫乃さまの部屋にいると聞いて、紫乃さまのお部屋から松子を医官の部屋に呼びつけました。
 部屋に広がっていた書類には、麗蘭さまのお調べに使ったお小水の検査結果の試験紙が貼られています。

 「これはどういうことにございますか?」

 医官が突きつけた試験紙に、松子はたじろいでいました。
 試験紙は元は白く、お小水をつけると青く変色し、もしご懐妊となっている場合には赤く変色する仕組みです。それなのに、その試験紙は茶色く変色していました。

 「お小水ではないもので検査を行った。間違いございませぬな。」

 医官にそう突き詰められるとその場に崩れ落ちました。

 「紫乃さま、紫乃さまにそのようにせよと。お小水の代わりにお茶で検査をせよと、申しつけられ、仕方なく…。」

 「では、麗蘭さまが今、冷たい手拭いで身体を冷やされているのは? なぜそのようなことをなさるのだ?」

 「そ、それは…。」

 松子は顔を歪めて、そらします。医官は松子を厳しい表情で見つめたままです。

 「吉良と、話したのです…。」

 松子の口から出てきたのは、麗蘭さまに対する羨ましさでした。同じように頑張ってきた女官の中で選ばれたのがなぜ麗蘭さまなのだ、と。

 「そんな中、紫乃さまにそのように申しつけられ、つい。」

 はぁ、と医官はため息をついています。医官の中で松子は信頼できるお産に通じている女官の1人でした。その松子がこのようなことをしでかすとは。

 「では、これは? 麗蘭さまがよく飲んでいたと、女御さまがおっしゃっているのだが。」

 医官はいつか麗蘭さまが李莉さまと飲んでいたお茶を書類の上に叩きつけました。

 「切迫早産の原因はこれだ。松子殿ならわかるじゃろ?」

 「そんな…、私はそのようなこと、断じてしておりませぬ。」

 ヨモギ茶には子宮を収縮させる作用がある。そのように薬草の書物に書いてあります。医の道に通じた金の帯を締める松子が知らぬわけがございません。御子を見逃す工作はしても、流れるような工作は断じてしていないと、そう申しておりました。

 「私です。」

 そこに、普段は産屋に仕えていない吉良が、百合さまに付き添われてやってきたのです。

 「私が、御子ができても流れるようにと。」

 松子の上官に当たる医官と、吉良を監督している百合さまは、その場で2人を宮中から追放することを告げました。
 その後、2人は里に帰されたのですが、正式な処分がくだり、荷物の撤去などもお済ませになったのがいますしがたとのことでした。

 ーー。

 「なんと、そのようなことがあったのですね。」

 「麗蘭さまのご懐妊で、次の女官からの女御は吉良と松子と名が上がっておりましたのに、もったいのぉございます。」

 麗蘭さまはあまりの衝撃に、しばらく畳の目を見つめていらっしゃいました。それが急にニヤッと奥歯を見せて笑うのです。

 「その方がよろしかったのかも知れませぬ。私はもう女官ではないのに、お二人に頼りきりで。これからは生きていく世界が違うというのに、どうも変わりきれませんでしたの。私が丈夫に元気な息子を産めて、強き女子に産んでくださったお母さまに感謝ですわ。」

 麗蘭さまが見せた冷たく薄い笑顔に、百合さま、呉竹さま、医官はどう反応して良いのかわかりません。ですが、御子を抱き、新しい人生を強く歩んでいこうという決意を応援していこう、と思ったのはお三方共通のことでありました。

 「麗蘭さま、入って良いか?」

 「皇子さま! どうぞ、こちらへ。」

 お三方は会釈をして部屋を後にし、代わりに皇子さまがやってきました。

 「御子さま、お父上にございますよ!」

 皇子さまが御子さまを見つめる瞳は、優しさと温かさに溢れています。

 「この御子さまは、新しき道を拓く子となるのです。物語の力で民の心を温かくし、優しさに溢れた国づくりをする、そんな子になっていただきたいのです。」

 「お名前は決められたのですか?」

 「はい。」

 皇子さまは筆をとり、文机の半紙に大きくその名を書きました。

 「道人(みちと)さまにございますね。」

 「はい。前例のない、道を進むにぴったりの名にございます。」

 「道人さま。」

 麗蘭さまは道人さまに呼びかけ、頬をつんと指で愛でられます。

 「そういえば、紫乃さまは? 近くにはいらっしゃらないようですが。」

 「それにございますか。」

 皇子さまの重い口が開くには、紫乃さまがお産みになった御子さまは女子で、道人さまが産まれて少し経ってから産まれたそうなのです。つまり、第一子は道人さまになります。しかも、紫乃さまも宮中を追放され、紫の大納言さまに付いてみちのくの国に行かれることになったので、御子さまとは離れて暮らすことになったようです。

 「それは…、母として、一番辛いことにございますね。」

 時を同じくして母となられた麗蘭さまと紫乃さま。子と引き離されることになった紫乃さまの辛さは、麗蘭さまにも自分のことのように感じられます。袖で顔を隠し涙を見せかけたのも束の間、口元には赤い紅の隙間から白い歯が見えております。

 「当然にございます。」

 「え? かわいそう、とかではなく?」

 ピシャリと吐き捨てる麗蘭さまに、皇子さまは開いた口が塞がりません。

 「皇子さまに必要なのは、紫乃さまではなかった、それだけにございます。道人さまと私と、新しき世を開いてまいりましょう。」

 そう言い切ると麗蘭さまは、眠る道人さまの隣で、お母さまと読んだ物語の風呂敷を広げ、新しき世の物語を始めたのでした。