「産気づかれたとおっしゃいましても、このタイミングにございまするかぁ…。」

 医務局にいた医官は、さまざまな書類を広げ、虫眼鏡でそれを一つ一つ確認している所でした。

 「もう少しで麗蘭さまのご懐妊の謎が解けますというのに。」

 「しかし、お二人とも苦しんでおられます。松子の見立てではそうすぐには産まれないだろうとのことですが…。」

 「松子殿か。さらばこの書類を産屋の空き部屋に運ぶ、手伝いをしてくれぬか?」

 女官はその場で書類の山を二度見しました。それは麗蘭さまの物語と肩を並べるくらい、持ち運ぼうとすれば風呂敷包2つにはなろうかという、大量の書類でした。

 「まあ、医官さまには居てもらいたいし、麗蘭さまのことも気になるし…。」

 「であろう! さ、早う参りましょう。」

 こうして女官が呼んできた医官は、産屋で麗蘭さまと紫乃さまが入っているお部屋の廊下を挟んで向かい側の部屋で、その調査を続けることにしました。

 「ンギャァァァ!!! なんでこんな痛いのよ!!! さっさと出てきなさ、イギャァァ!!!」

 相変わらず、紫乃さまのお部屋からのみ叫び声が聞こえています。

 「紫乃さまはお産が進んできたのにございますか?」

 「いな。痛みはじめから、ずっとこの調子にございます。」

 御簾をめくって医官の様子を見ていた梅に、医官が聞きました。

 「そうか。ではしばらくかかりそうですな。麗蘭さまは?」

 「苦しんではおられますが、お産はまだかと。」

 「さようか。進展があったら教えておくれ。」

 「わかりました。」

 梅は御簾を戻して、麗蘭さまのもとに戻りました。
 麗蘭さまは顔やら腕やら身体やらから、滝のように汗を流しておられます。時折身体をこわばらせ、背中を丸め、痛みに耐えているようでございますが、一言も声はもらされないのです。

 「麗蘭さま、ご加減は?」

 「『なんのこれしき』と言いたいところにございますが、御子に会うのに、こんなにくるしまねばならぬとは…。」

 また麗蘭さまは背中を丸め、梅がさすっています。

 「麗蘭。本当にご懐妊してたのね。さあ、あとは私に任せてちょうだい!」

 痛みが引いて目を開けると、紫乃さまの部屋から松子がやってきてくれていました。

 「ありがとう、でも、紫乃さまは大丈夫なの? ものすごく叫んでおいでだけど。」

 「ああ、大丈夫、大丈夫。お産って人それぞれだからね。あんな感じの人もいるよ。」

 「そうなのね。松子が来てくれて、すごく心強いわ。」

 するとまた麗蘭さまは背中を丸め、無言で痛みに耐えていらっしゃいます。松子は慣れた手つきで、手拭いを冷たい水で濡らしました。

 「これ使って。楽になるわ。」

 「ありがとう。」

 麗蘭さまはもらった手拭いで顔を拭くと、腹に当てて御子に冷たさが伝わるようさすりはじめました。

 「ンンンギャアアアアアアアア!!!!!!」

 「紫乃さま、紫乃さま!!」

 隣から聞こえる紫乃さまと女官たちの叫び声に、松子の手が止まります。

 「ああ、呼ばれてんのかな? ちょっと行ってくるね。」

 松子の登場は麗蘭さまの心を温めたのも束の間、紫乃さまに遮られてあっという間に1人で臨む、冷たいお産に立ち向かわねばならなくなったのです。

 「おや、松子殿は?」

 医官が様子を見に来た時、ちょうど陣痛がきていて、麗蘭さまは声を出せずに丸まっていましたので、梅が簡素にお答えします。

 「先ほど紫乃さまの方へ。」

 「そうか。んん? それは?」

 医官が指さしたのは、麗蘭さまの腹を冷やしている、松子が置いていった濡れ手拭いでした。

 「松子さまが…。」

 「すぐにやめなさい! では。」

 普段温厚な医官が声を荒らげるので、麗蘭さまは驚いてすぐに手拭いを落としてしまいました。医官のことを無下にはできませんので、手拭いには布団の隣で見守ってもらうことにします。
 それからいくらか時が流れ、外はすっかり暗くなってしまいました。麗蘭さまも紫乃さまもお産がだいぶ進み、もういつ産まれてもおかしくない、と医官のもとに知らせが入っていました。

 「は、はあ! 麗蘭さま、いよいよにございます。まもなく御子さまに会えますよ!」

 「ギャアアアアアア!!!!!!」

 麗蘭さまは梅の見立てに無言でいきんでおられます。一方、紫乃さまは相変わらずの叫びようです。梅が必死に背中をさすっていると、御簾の間から医官が入ってきました。

 「医官さま、どうして…?」

 「これほどお産が進んでも叫ばぬとは、何かあったのかと心配になりまして。」

 「ギャアアアア!!!! オギャー! ギャアアアア!!!!」

 紫乃さまは叫び声と、赤子の鳴き声の真似とを交互にされています。
 赤子が産まれ、それを医官が確認して兄弟の順番が決まるのです。「早く産む」という観点では、なんとしても医官の目の前で産まなくては、先に産んでも意味がありません。
 医官は紫乃さまの叫び声にはビクともしません。一歩離れたところから麗蘭さまの具合を注意深く見ています。

 「麗蘭さま、医官さま。あと一息かと。」

 梅の声に、麗蘭さまはやはり無言で力強くうなずきました。

 「はぁあっ!」

 「ふんギャー!」

 「ギャァァァア! オギャー!」

 ふんギャー!

 麗蘭さまの部屋で赤子が泣いたあと、隣のお部屋からも大人の泣き声と赤子の細い声が聞こえてきました。