ウワサは瞬く間に宮中を駆け巡ります。麗蘭さまのご懐妊はあっという間に全ての女御更衣女官たちが知るところとなり、そこから男性の侍従や皇子さま方へも伝わっていきました。
「まことか、まことにございますか!?」
「いやー、私もびっくりで。」
女官時代の恩人、百合の女房さまはウワサを聞きつけると、すぐに食堂に出向いて鈴の饗にことの成り行きを聞きました。
「女房さま、こんなことってよくあるんですか?」
「いな。聞いたことがございませぬ。きっとなにがしかが動いておいでなのでしょう。わかる日も近いかと。」
百合さまがおっしゃる通り、「なぜここまで妊娠がわからなかったのか」という点について、すぐに医局で調査が始まりました。まだわかってはいませんが、わかるのも時間の問題でしょう。
「鈴の饗殿にございますか?」
「はい、皇子さま。麗蘭さまのことでございますか?」
「いな。それもそうですが、父が…。」
突然やってきた皇子さまの後ろには茶色く見える着物をお召しの方が隠れていました。
「み、帝ですか!? 私、会ったことなくて。」
「さよう。我は帝にございます。」
帝はやはり皇子さまの影に隠れて姿を現そうとしませんでした。
「今日は鈴の饗殿にお願いがございます。」
帝はやっと皇子さまの後ろから出て、青緑の丸く高い足のついている皿を左手で差し出しました。
「これを作ってもらえるか?」
その皿はフグの刺身てっさを載せる専用の皿でした。
「どこでそれを?」
「医官に聞いたのにございます。この腕の処置中に。」
帝の視線は右腕に向いています。右腕とお呼びしてよいのでしょうか? そこには着物がダラリとぶら下がるだけで、重たい皿に添えるべき手がどこにも見当たりません。
鈴の饗は息を呑んで両手で皿を受け取り、厨房に下がって、てっさ造りにかかりました。これまでの様子をじっと見ていた百合の女房さまも、帝と皇子さまに椅子を差し出し、ずっとお側に控えていらっしゃいます。
「できました。」
鈴の饗が差し出した皿には薄く透き通るフグの刺身が円を描いて張りついていました。
「おぉ。医官殿の言う通り見事じゃのぉ。」
「ありがとうございます。」
鈴の饗がそう答えると、帝の隣の皇子さまが百合さまと鈴の饗に目配せなさいますが、2人とも意味をつかめないで眉にはシワが寄るばかり。
「申し訳ありませぬが、後ろを向いていただけますか?」
鈴の饗と百合さまはよくわからないまま、2人並んで帝に背を向け、厨房の方を見て立っていました。
「あぁ、見事じゃ。今までで一番うましじゃ。」
「お父さま、それは良うございます。」
あまりに美味しそうにお召し上がりになります。その様子を一目見たいと、鈴の饗に魔が刺してしまいました。
「ああ!!」
なんと、帝は残された左手を使い手づかみでてっさにむさぼりついているではありませんか。帝は見られたのに気がつくと、手に取っていたてっさを皿の上に綺麗に並べ、手についていたもみじおろしを舐めて頭を下げていました。
「帝、いいのですよ。」
「へぇ?」
「そんな、格式とか作法とか、いいじゃないですか。私の料理だって自己流ですし。あ! フグはちゃんと料理長に習いましたよ、細かい切り身の作り方とかは自己流ですが。」
帝は口を真一文字に結んだまま、うつむいています。
「慣れない左手で、美味しそうにお召し上がりいただき、誠に光栄です。私は本当に気にしていませんから、どうぞごゆっくりと。百合さま、こちらへ行きましょう。」
鈴の饗は帝に深々と礼をして百合さまと厨房に戻りました。
翌日。新しい人事が発表されました。
紫の大納言さまは都を外れ、みちのくの長官に。鈴の饗は帝の料理番に任命されました。
「まことか、まことにございますか!?」
「いやー、私もびっくりで。」
女官時代の恩人、百合の女房さまはウワサを聞きつけると、すぐに食堂に出向いて鈴の饗にことの成り行きを聞きました。
「女房さま、こんなことってよくあるんですか?」
「いな。聞いたことがございませぬ。きっとなにがしかが動いておいでなのでしょう。わかる日も近いかと。」
百合さまがおっしゃる通り、「なぜここまで妊娠がわからなかったのか」という点について、すぐに医局で調査が始まりました。まだわかってはいませんが、わかるのも時間の問題でしょう。
「鈴の饗殿にございますか?」
「はい、皇子さま。麗蘭さまのことでございますか?」
「いな。それもそうですが、父が…。」
突然やってきた皇子さまの後ろには茶色く見える着物をお召しの方が隠れていました。
「み、帝ですか!? 私、会ったことなくて。」
「さよう。我は帝にございます。」
帝はやはり皇子さまの影に隠れて姿を現そうとしませんでした。
「今日は鈴の饗殿にお願いがございます。」
帝はやっと皇子さまの後ろから出て、青緑の丸く高い足のついている皿を左手で差し出しました。
「これを作ってもらえるか?」
その皿はフグの刺身てっさを載せる専用の皿でした。
「どこでそれを?」
「医官に聞いたのにございます。この腕の処置中に。」
帝の視線は右腕に向いています。右腕とお呼びしてよいのでしょうか? そこには着物がダラリとぶら下がるだけで、重たい皿に添えるべき手がどこにも見当たりません。
鈴の饗は息を呑んで両手で皿を受け取り、厨房に下がって、てっさ造りにかかりました。これまでの様子をじっと見ていた百合の女房さまも、帝と皇子さまに椅子を差し出し、ずっとお側に控えていらっしゃいます。
「できました。」
鈴の饗が差し出した皿には薄く透き通るフグの刺身が円を描いて張りついていました。
「おぉ。医官殿の言う通り見事じゃのぉ。」
「ありがとうございます。」
鈴の饗がそう答えると、帝の隣の皇子さまが百合さまと鈴の饗に目配せなさいますが、2人とも意味をつかめないで眉にはシワが寄るばかり。
「申し訳ありませぬが、後ろを向いていただけますか?」
鈴の饗と百合さまはよくわからないまま、2人並んで帝に背を向け、厨房の方を見て立っていました。
「あぁ、見事じゃ。今までで一番うましじゃ。」
「お父さま、それは良うございます。」
あまりに美味しそうにお召し上がりになります。その様子を一目見たいと、鈴の饗に魔が刺してしまいました。
「ああ!!」
なんと、帝は残された左手を使い手づかみでてっさにむさぼりついているではありませんか。帝は見られたのに気がつくと、手に取っていたてっさを皿の上に綺麗に並べ、手についていたもみじおろしを舐めて頭を下げていました。
「帝、いいのですよ。」
「へぇ?」
「そんな、格式とか作法とか、いいじゃないですか。私の料理だって自己流ですし。あ! フグはちゃんと料理長に習いましたよ、細かい切り身の作り方とかは自己流ですが。」
帝は口を真一文字に結んだまま、うつむいています。
「慣れない左手で、美味しそうにお召し上がりいただき、誠に光栄です。私は本当に気にしていませんから、どうぞごゆっくりと。百合さま、こちらへ行きましょう。」
鈴の饗は帝に深々と礼をして百合さまと厨房に戻りました。
翌日。新しい人事が発表されました。
紫の大納言さまは都を外れ、みちのくの長官に。鈴の饗は帝の料理番に任命されました。



