とはいえ時刻は夜の八時過ぎ。山の中に人が来るような時間でない。翠子が不審に思う反面、彼からすれば翠子がここにいるのも異常だ。

『なぜ君のような娘がここにいる? 道に迷ったのか?』

『私は……道に迷ったわけではなくて、ちょっと……』

 追い出されたとは迂闊に言えず、言葉を濁した。

『もしかしてあなたも居場所がないの?』

 同じ境遇なのかとうれしくなり、思わずそう聞いてしまったが、銀狐に『こやつがそんな弱虫に見えるのかい?』と笑われてそれもそうだと苦笑した。

 彼は上質な着流しのように黒い(かすり)の着物を着ていて、その着物は翠子の着物のように継ぎ接ぎではないし、どこを見てもくたびれた様子はなく美しい。

 そんな人が虐げられているわけがない。

 リンは『龍の(しるし)がある娘を捜しているんだ』と言った。

『龍の印?』

 この山にはかつて龍がいたという伝承がある。翠子も知っている言い伝えだが、彼は数年前のいっとき、この山に龍が現れ、ある娘に出会い印をつけたというのだ。

 ここには様々なあやかしがいるので、龍がいたとしてもおかしくはないが……。