「ああ、伯爵が面倒を見ていた先代の。確か心の病だったとか」

 彼が先代伯爵の娘、翠子を育てていることは、周知の事実だ。翠子は両親を事故で失った悲しみから心の病を患い、邸の奥に引きこもっていると言われていて誰もその姿を知らない。

「嫁ぎ先は東北の空気が綺麗なところなので、あの子の沈んだ心も癒されるでしょう」

 一同は同情するように頷く。

「伯爵もこれで安心ですな」

「ええ、おかげさまで」

 ふいに「その話ならなくなりますよ?」との声が上座の方から響いた。

 ギョッとしたように柊木伯爵が振り向く先で、にやりと口もとを歪めるのは月夜野(つきよの)竜胆(りんどう)。彼は月夜野公爵の嫡子であり小公爵と呼ばれている。父の公爵が病で療養中のため代理として出席していた。

 帰ろうとしていたのか外套を手に掛けていて、背が高く逞しい体躯に黒い軍服がよく似合っている。

「小公爵、それはいったいどういう意味ですかな?」

 柊木が怪訝そうに眉をひそめる。

 小生意気な小僧めと心で思っても顔にはだせなかった。月夜野家が手がけている事業は多岐に渡り、彼らに睨まれては困る。

「言った通りの意味です」