「あいつ、いっつも意地悪だし罰があたったんだわ」

 しずくがぷりぷりと怒る通り、怪我をした下男は翠子が話しかけても聞こえないふりをしたりする底意地の悪い男だ。

 それはそれとして、確かに自分でも不思議だと思った。翠子は、というよりも翠子だけは野獣にもあやかしにも襲われたりしないのはなぜなのか。

 この邸の北側にある裏山は危険な山として知られている。道に迷って山から出られなくなるとか、なにものかに襲われたりするのは珍しいことじゃない。

 その山で一晩過ごしても無事に帰ってくる翠子を皆が怪しむのは当然だろう。

 確かに山は危険だ。山に慣れてきた翠子も毎回緊張するし、平気ではいられない。とても恐ろしい気配を感じることがあって、そんか時は岩陰などに隠れて息を凝らし気配が消えるのを待つ。
 謎の気配に見つかりそうになり、銀狐や河童に助けられこともあった。

 でも、結局なんだかんだと無事に下山している。
 なぜかしらと考えていると、ふと思い出した。

 子どもの頃、山の近くで遊んでいたとき、赤いトカゲが飼い猫に追いかけられていて翠子が助けたことがある。山の麓でトカゲを放してあげると、山から『アリガトウ』と聞こえた。

 透き通るような綺麗な声だったが、あれは山の神様の声だったのか。

 まるで天から響くような――。

「翠子!」

 叔母の声に翠子としずくがビクッと震えた。

「は、はい」

「すぐおいで、旦那様がお呼びだ」

 翠子は慌てて土間から上がった。