「〝あれ〟は人間じゃないわ」
「私もそう思う。裏山のしかも夜の裏山から無傷で帰って来るなんて、どう考えてもおかしいもの」
翠子が背中を向けている先で、女中頭と年増の女中がコソコソと話をしている。聞こえないと思っているのか、あるいは聞こえよがしに言っているのか定かではないが、そのどちらにせよ翠子の耳には届いていた。
かつては翠子を〝お嬢様〟と呼んだ女中たちは今では彼女を〝あれ〟と呼ぶ。
お嬢様などと呼べば叔父夫婦や愛香に叱られて酷い目に遭うからという理由もあるだろう。しかしそれ以上に翠子が虐げられて墜ちていく様を楽しんでいるようにも見えた。
前を向いてジャガイモの皮を剥きながら、しずくが「意地悪ね」と頬を膨らませる。
「気にしちゃだめですよ」
翠子は小さく苦笑した。
(私がいつも裏山から無事で帰ってくるのが不思議なのね……)
どうやら薪を集めに行った下男が裏山の麓でなにかに襲われたらしい。
ほとんどのあやかしは、昼間は身を潜めているから麓で襲われたなら野獣かもしれない。



