文化祭が終わり、あっという間に十月になった。
まだまだ退屈にはならない。高校生にとっての一大イベント、三泊四日の修学旅行が来週に控えてるからだ。
朝のホームルームでしおりが配られた。数枚のプリント用紙が二つ折りになってまとめられた冊子の表紙には、沖縄の海とシーサーが描かれている。
行き先が不満だったらしいクラスメイトが不満の声をあげた。
「えー沖縄? こっちもまだ暑いのに~」
「向こうのほうが湿度が低くて過ごしやすいと思うぞ。嫌なら行かなくていい」
「嫌なんて言ってないじゃないですか!」
生徒の声を華麗に聞き流した担任が、単調にしおりの内容を読み上げていく。
初日はシュノーケリングをやったりバナナボートに乗るらしい。そのあとは、ビーチに残る組と文化体験組に分かれて行動する。二日目は学習の日で、ひめゆりの塔や平和記念資料館に行く。
そして、三日目にやっと自由行動ができる。おすすめの観光スポット欄に、美ら海水族館や首里城が挙げられていた。
──どこに行こうかな?
無意識に岩井の席に視線を投げる。頬杖をついたまましおりを捲っている男を見ながら、自由行動はあいつと過ごすのだろうかと考えたりした。
「じゃ、適当に部屋割り決めて」
担任がどうでも良さそうに言って、教壇に立った。黒板に大ざっぱに縦と横の線が引かれる。どうやらここに記していくようだ。
「え、先生~どうやって決めるんですか」
「なんでもいいよ。もちろん男女別ね。四人部屋だから自由に選んでもいいし」
「まじ? じゃあ俺たちグループで一部屋!」
真っ先に陽キャの一部が叫んだ。わいわい盛り上がっている中、岩井が振り向いてこちらを見つめた。同じ部屋が良いという意思表示か?
「先生、俺は一ノ瀬と同じ部屋がいいです」
「……え?」
白川が突然手を挙げて言った。
予想外の発言に驚くも、担任はまったく興味がないようで、俺に確認すら取らずにさっさと黒板に書いてしまう。
「え、あっ、俺もそこ入れてください!」
「ほーい」
次に声を出したのは岩井だ。俺と白川の名前が並んだそこに、岩井が追加される。ここまで数十秒の出来事だった。最後の一人は、白川と岩井がそこそこ仲いい人(俺は話したことすらない)が入ることになった。
授業が始まっても集中できなかった。板書をノートに写すこともせず、ただ岩井のことを頭の中で思い浮かべる。
(あいつ、めちゃくちゃ焦ってたな)
ふふっと腹が震えてきて、机に顔を伏せた。
俺と同じ部屋じゃなくなるかも……とか思ったのか?
目をぱっと開いて全力で手を挙げた姿は可愛かった。思い出すだけで笑いそうになる。
もし岩井が言わなかったとしたら、俺はどうしていただろう。クラスで仲良い人をまず一人誘って、そのあと岩井が他の部屋に入ってなければ、きっと声をかけていたはず。
三日目の自由行動も部屋割りも、一番最初にあいつの顔が思い浮かんだ。そうなってしまうくらい、最近は岩井のことで頭が埋め尽くされている。
シャツの首元に人差し指を入れて、ふうと長めに息を吐く。それでも頭から離れてくれない。
(あー……なんか、やばいかも)
胸のあたりがぎゅっと苦しくなって、息がしにくくて、靄がかかってる感じ。
──この感覚に覚えがあるのは、先輩のことが好きだった時とよく似てるからだろう。
修学旅行の日、朝早く起きて空港に集まった。
点呼のときに渡された飛行機のチケット番号は、岩井と隣同士。胸を高鳴らせながら席に座った。
「遼って沖縄初めて?」
「……あ、うん。そうやな」
「何歳まで関西に住んでた?」
「えっと……中学出たときに、ちょうどこっち越して来たよ」
「そうなんだ」
歯切れの悪い返事。そしていつもの底なしの元気がまったく感じられない。朝から──というより、修学旅行のしおりが配られた日からずっとこの調子だ。
「なんか悩んでる?」
俺の問いかけに、岩井は顔の前で手を振った。無理やり笑顔を作られる。
「な、ないない」
「そんな顔で言われても」
「ほんまに……大丈夫やって」
この前と違って、あからさまに避けられてはいない。普段と変わらず話しかけてくれるし、一緒に帰ってもいる。ただ──どことなく感じる。気まずい空気を。ぎこちなさを。
普段が心地よいからこそ、それがどうしてもわかってしまう。
こうなった原因でなんとなく思い当たることがある。しおりが配られた、あの日の出来事だった。
昼休み、岩井は他クラスの女子に呼ばれてどこかへ消えた。その告白としか思えない雰囲気を察して、気になって途中まで跡をつけたが、途中で先生に話しかけられたせいで見失ってしまった。
腹を立てながら階段の前を通ったとき、三階から降りてきた川村先輩と鉢合わせた。
「あ、一ノ瀬!」
「先輩。お久しぶりです」
三年生は夏を過ぎるとあまり部活に来なくなる。先輩も例外に漏れず、文化祭あたりから会わなくなった。
「ちょうどよかった。一ノ瀬に相談……というか、お願いがあって。ちょっと話いい?」
「もちろんです」
ここだと邪魔になるからと、近くの教室に入った。カビや埃っぽい匂いに一瞬眉が寄る。いくつもの棚が並んでいるここは、資料保管庫として使われているようだ。
「悪いね。休み時間に」
「いえ……なんですか?」
「美術部のこと。もう三年は引退だからさ、もし一ノ瀬さえ良ければ、部長を引き継いでもらえないかなって」
「え、俺が?」
「うん。一ノ瀬は真面目だし絵も上手いし、適任だと思うんだよね。といっても部長としてやることなんてあんまないけど」
ははっと先輩が目尻に皺を作った。部長を務めてきた本人だからこそ、言えること。
先輩からなにかを頼られるのは初めてで、それが嬉しかった。後輩として信頼されている証だと思える。これで会えなくなってしまうのに、不思議と寂しさはない。
「……俺でよければ、やります」
「そう言ってくれると思ったよ。まあ、雑用とか管理がメインにはなるけど……あとはイベントの企画立てたり。とりあえず今度教えるね」
「はい!」
「じゃ、よろしく」
教室の扉を開けた先輩が、あっと思い出したように振り返った。
「そういえば、岩井くんとはどう?」
「え!?」
こんなところで名前を出されると思ってなかった。俺の変な声を聞いた先輩は、面白そうに「わかりやすいなあ」と笑った。頬が熱くなる。
「いや、この前の花火大会でちょっと弄っちゃったから心配でさ。ごめんね」
「あ……いえ」
不意に岩井から受けた告白を思い出した。あいつは真っすぐに想いを伝え続けてくれているのに、俺は先輩に対する気持ちを曖昧にしたままだった。
──岩井とちゃんと向き合いたい。もっともっと、今よりあいつのことを好きになりたい。
そのためには、けじめが必要だと思った。
「あの、先輩。俺ずっと伝えたかったことがあるんです」
「どうした?」
ずっと、先輩に嫌われるのが怖かった。気持ちを伝えて避けられるのが。でも今はもう、怖くない。
「俺、先輩のことが好きでした。一年の頃から」
「……えっ、そうだったの!? ごめん、全然気が付かなくて。色々と無神経だったかも」
「いえ。俺が伝える勇気がなかっただけなんです。あのときは本当に、先輩のことしか考えられないくらい好きで……」
言葉の途中でガタッと扉が揺れる音がした。そちらに顔を向けた瞬間、なぜか岩井と目が合って驚いた。
「り、遼?」
岩井は全速力で教室のほうへ走って行った。待ってくれと言う暇もなく。
「一ノ瀬、それで……続きは?」
「あっすみません。えっと、でも、今は岩井のことが気になってるんです。なんか……あいつで頭がいっぱいになっちゃって」
今も走って追いかければよかったと後悔してる。
一体どこからどこまで聞かれたんだろうか?
気持ちを伝えた部分を聞かれてしまった可能性もある。でも廊下にいたから声はさすがに──と考えを張り巡らせていたら、先輩が笑顔で俺の肩を叩いた。
「うん。いいじゃん。実は俺も、一ノ瀬は岩井くんのこと好きなんだろうなと思ってたんだ」
「え……」
「一ノ瀬、見てて結構わかりやすいよ」
彼はまた笑って、今度こそ教室から出ていった。
岩井に先輩と一緒にいるところを見られたあと、お互いその話題に触れることはなかった。ただ、ぎこちない空気がプラスされただけ。今までとほとんど変わらない。それが逆にやりにくい。
ちらっと隣を見る。いつもなら、うるさいほど岩井から話しかけてくるのに、今日は特に静かだ。
「あーっと、遼は今日どっちにすんの」
「どっちってなにが?」
「ビーチに残るか、文化体験するか」
「……一ノ瀬は?」
「俺は文化体験かな。ストラップとシーサー作りの体験らしいし」
「じゃあ俺もそうする」
「そ、そっか」
そんな状態でも俺を基準に決めてくれるのか。
「せや、寝るところってベッドやと思う?」
「んー布団って言ってた気がする」
「よっしゃ、ほな一緒に寝られるな」
「あ、うん」
「……えっ?」
岩井が目を丸くして驚いた。そこでやっと、冗談で言われたということに気づいて慌てる。
「いや、今のは」
「ええの? 一緒に寝ても」
「いいけど、他の二人に変に思われるよ。担任も見回りくるし」
「あああ……二人部屋やったらよかったのにい!」
「ちょ、うるさいって」
岩井の調子が少し戻ったみたいでよかった。
本当に一緒に寝たら、このぎこちなさは消えてくれるのか?
旅館で荷物の整理をして昼食を済ませたあと、すぐにビーチに移動した。
泳ぐのも体力を使うのも苦手だから、シュノーケリングもバナナボートもあまり楽しめなかった。唯一の救いは、関東と違って海が綺麗だったことだ。下にさわさわと漂う海藻すら目視できるほど透き通ったエメラルドグリーンのそこに、ただ体を預けるだけで充分だと思った。
ビーチに残ったのは主に陽キャグループのみ。
本来なら岩井もあそこにいたはずだが、俺がこっちを選択したせいで、隣で顔を顰めながらシーサーを作っている。
「なんやこれ、結構むずいねんなあ」
使うのは褐色の粘土。見本を見ながら、指でこねて丸めてくっつける。意外に地味な作業だ。
岩井はデッサンの習得も早かったし手先が器用だから、これも上手くできるだろう──と思っていた。しかし今のところ謎の動物にしか見えない。
「お前それ……ふっ、ブサイク」
「なっ、カワイイって言うてや!」
「ごめん、だって」
「一ノ瀬の見せてみ……ってもう終わったん?」
「うん」
俺の目の前に置かれた完成したシーサーを見て、「なんでも出来るんやなあ。上手いな」と過剰に褒められる。もうとっくに作り終えて、手も洗った。
「だから、早くストラップ作ろう」
隣のブースはここと同じように細長い机がいくつかある。その上には色とりどりのガラス玉や、小道具が置かれている。
シーサーを作り終えた人はそこに移動して作業を始めるのだが、今こうして待っているのは、せっかくならこいつと一緒にやりたいからだ。
「一ノ瀬、先行っててもええよ?」
「……遼とやる」
近い距離で目が合ったのに、次の瞬間にはパッと大きく逸らされた。
「わ、わかった、急いでこれ終わらせるわ」
岩井が正面を向いて手の動きを再開させる。
今のはあまりにも不自然な反応だった。そんな風に目を逸さなくてもいいのに、なにか気に障ったのだろうか。
最近、岩井の考えていることがよく分からない。表情がころころ変わって顔になんでも出る人なのに──。
ようやくブサカワなシーサーが完成して、俺たちは隣のブースに移動した。
椅子に座るや否や、中央に立っていた年配の女性にそれぞれ紐を手渡される。
「この紐、芭蕉糸つってな。バナナの仲間の植物から取って作ってるんだよ」
「バショウ?」
「知ってるか?」
「い、いえ」
「東京にはないだろ」
「ないですね」
「この糸つかって織物とかそういうのやんだ。昔はこれで着物も作ったよ。さいきんは見ねぇけど」
口の横に深く皺が刻まれているこの女性は、どうやら沖縄の人のようだ。言葉に訛りがある。が、沖縄の方言は他の地域の人はほとんど分からないと聞くから、これでも俺たちに合わせて話してくれているのかもしれないと思った。
「これどうやったらいいですか?」
「まずな、この中からガラス玉選んでくれ」
「……めっちゃ綺麗やな」
白いケースの中に、色別に分けられた一円サイズのガラス玉が入っている。その中でも青、緑、そして黄色に目を引かれた。
不思議だ。表面はツルッとしてるのに、中にいくつも小さなヒビが入ってるように見える。このおかげでガラス玉は光に当たるとキラキラと輝く。
「あ、これなんかキラキラしてる?」
「火で炙ってあんだよ」
「火で……?」
女性が、一番端の机にあるガスコンロを顎で指し示す。隣にざるが置かれてるから、あれにガラス玉を入れて炙っているのだろう。
「だからヒビ入ってるように見えるんだ」
「んで、どれ?」
「どうしようかな」
ストラップの見本を見る限り、想像よりもダサくなかった。ガラス玉も綺麗で紐もシンプルだから、これなら鞄につけられそう。
(岩井にあげたら……どんな反応するかな?)
本当は作り合って交換したいが、さすがにそれを提案するのはハードルが高い。作ったものを渡すので精一杯だ。
「俺は黄色にします」
この中で一番、岩井っぽさを感じる色にした。続いて隣の男は薄い水色を手に取った。
「これにしよかな」
「んじゃあ紐の結び方教えてやるから。これ玉を中入れて、ここんとこ結んで」
小さくて丸いメロンパンみたいな手が、器用に細い紐を編んでいく。一見難しそうに見えたけど、結び方を覚えたら簡単だった。
ビーズもこの中から選んでいいから。とケースを机に出されて、オレンジ色のビーズを二個取った。ガラス玉とは別にストラップの飾りとしてつけるらしい。
「な、一ノ瀬って黄色好きやった? あんまイメージないけど」
「ああ。これあげようと思って」
「えっ、だ……誰に?」
「お前以外に誰がいるんだよ」
「……俺!?」
そこまで驚かれる理由がわからないが、うんと頷いてもまだ岩井は信じられないような顔をしていた。
「黄色とオレンジって、なんか遼っぽいだろ。明るいし。あ、もしかして嫌いな色だった?」
「いやぜんっぜん。めっちゃ好き。一ノ瀬が作ってくれるんやったらなんでもええ」
「じゃあ、いいけど」
「実は俺もこれ、一ノ瀬に渡そう思てた」
「……嘘だ。俺が言ったからその気になっただけだろ?」
「ちゃうねん、ほんまに。水色選んだのも、白い肌に合いそうやから。でも……まさか一ノ瀬も俺に作ってくれるなんて」
うれしすぎる。そう続けて言った岩井は、今日一番の笑顔を見せた。
「理由がキモい。俺はお前のイメージカラーにしたのに」
「あ、えっと、水みたいに綺麗なイメージやからこれがぴったりやと思ったんよ」
「なんだそれ」
「え受け取ってくれるよな?」
「……当たり前じゃん。俺だけストラップ無しなの嫌だし」
「よかったあ」
ストラップを作り終わったあと、お互いに交換した。
旅館に帰るときのバスの車内。鞄に着けた水色のガラス玉が、窓から差し込む太陽の光に照らされてより一層輝いていた。
二日目は朝からバスで平和記念資料館やひめゆりの塔などを巡り、沖縄伝統芸能の舞踊も鑑賞した。
旅館に戻ったら休む暇もなく、今日の振り返りを紙にまとめる時間が設けられた。平和学習で学んだことや、舞踊を観た感想だ。
担任に紙を提出しようと立ち上がったタイミングで白川も席を立った。
「一ノ瀬も終わった?」
「うん」
「じゃあ一緒に部屋戻ろ」
「あ……いいけど」
ちらっと斜め前の席を見る。岩井はまだ書き終わってない。声をかけるか迷ったが、周りに他の人がいるからやめた。
「こうやって二人で話すの久しぶりだよな」
「そうだっけ?」
言われてみれば、たしかに最近あまり話してなかった気がする。というのも、白川と絡んでいると岩井がやたら心配するからだ。なるべく話しかけないように意識してる。
「俺さ……布団、一ノ瀬の隣がよかったんだけど」
昨日、旅館の部屋に入ったときのこと。狭くて縦で四人寝ることは出来なそうだったから、二つずつ上下に布団をくっつけた。そしてじゃんけんで勝った岩井が俺の隣を選んでくれた。
「別に、隣で寝る意味ないだろ」
「いやあるね。ギリギリまで顔見られるじゃん」
「見んなよ」
「な、やっぱ隣で寝ていい? 岩井には俺から聞いてみるから」
──そこまでして俺の隣で寝たいのか?
告白まがいのことを言われたときはちゃんと断ったのに、未だにアプローチされ続けてるのはなぜだろう。
それに白川の隣は正直あまり気が休まらない。いくら仲良くなったとはいえ、一度嫌だと思った人を好きになるのはなかなか難しい。
「悪いけど、俺はあいつの隣がいい」
「……だよな」
「ごめん」
「切なくなるからそんな謝んないで。てか、俺は一ミリも可能性ない感じ?」
「……うん」
「そっかあ~、いや分かってはいたけど……直接言われると結構くるな」
これ以上謝るのも気まずくて俯いた。
白川は肩を落としたまま、トイレに行ってしまった。でも、それでよかったのかもしれない。二人で部屋でぎこちなく過ごすよりは。
部屋に戻ってすぐ、岩井が帰って来て「大丈夫やった?」と心配された。白川と一緒にいたところを見られていたらしい。
「心配しすぎ」
「いや……告白されてるんやし、二人きりって普通に妬くやん」
「妬いてたの?」
「そりゃあ! 今も急いで終わらせて戻ってきたし」
「……そっか。じゃあ、これから気をつける」
まだ恋人でもないのに、今の言い方はおかしかっただろうか。
それぞれ布団に座っていて向かい合ってる。が、会話はなくなってしまった。どこかに薄っすら感じていたぎこちなさが、洗濯物の生乾き臭のように再び戻ってくる。
──そういえば、今日は「好き」だと言われてない。
最近そんな日が増えた。毎日欠かさずされてきて慣れたはずの告白。なのに、言われない日は無性に不安になる。その言葉を欲してる自分がいる。
「……今日は」
「あのさ」
ちょうど岩井と声が重なった。
つい勢いで恥ずかしいことを聞こうとしてたから、言わなくてよかった。
「なに?」
「あっ、あーその……この前の話なんやけど。一ノ瀬、川村先輩と話しとったよな」
「やっぱ見てたんだ」
「いや! たまたま廊下通って……ちょっとだけ声が聞こえてもうてん」
「……そっか」
「もしかして、先輩に気持ち伝えた?」
「うん。今まで言えなかったことを伝えた」
岩井は、どこまで会話を聞いたんだっけ。
たしか先輩のことが好きだったと伝えてる最中に行ってしまったから、そのあとの話は知らないはず。
どこから伝えたらいいのか悩んでいたら、岩井が苦しそうに声を絞り出した。
「……やっぱ先輩のことめっちゃ好きやねんな」
「は?」
「今でも想い伝えたくなるくらい、好きっちゅうことやろ」
「いやそれはっ」
お前のことをもっと好きになりたいと思ったから、けじめをつけるためだ。
そう言いたかったのに、頭が真っ白になって言葉にならなかった。
最近のこいつは先輩のことばかり気にする。俺はこんなに岩井のことでいっぱいだって、どうしたら伝えられるんだろう。もうわけがわからない。
「ってか、先輩先輩って、なんであの人のことばっか気にしてんの!?」
「それはお前が泣くほど好きやって知ってるからやろ! 俺は……一ノ瀬に泣いてもらえるほど、好きになってもらえる自信ないねん」
「じゃあなんで……っ、お前に好きって言われないだけで、こんなにムカつくんだよ……」
岩井が口を開く前に、部屋のドアが突然開いた。間髪あけずに白川が入ってくる。
「これから飯だって──あ、わり。なんか取り込み中だった?」
「い、いや」
「ごめんな。先行っとくわ」
「……一ノ瀬、俺らも行こか」
「ああ」
その日の夜。せっかく布団が隣同士なのに、岩井は一度もこっちを向かなかった。
掛け布団の下で手を伸ばして繋ぎたい。──けど、それができないのは、俺が岩井に気持ちを伝えてないせいだ。
明日は自由行動ができる日。起きたらまず岩井を水族館かどこかへ誘って、そのときにちゃんと言おう。もうこんなの耐えられない。


