一度の人生に三回のモテ期がくるらしい。
いつの日か雑誌で読んだその情報は、ずっと嘘だと思っていた。なぜなら、小学生の頃から高校二年生の今に至るまで、一度もモテたことがなかったからだ。
今年の春、その固定概念が覆ろうとしている。
「好きや。付き合ってくれ!」
綺麗な小麦色に焼けた肌と、爽やかな顔によく似合う短い髪。そして、ここ東京では聞き馴染みの薄いゴテゴテの関西弁。
いかにも運動部の陽キャですみたいな見た目のこいつ──岩井遼(いわいりょう)は、俺の手を握りながらそう言った。
「断る」
「なんでやあ……」
手を振り払い、机に顔を伏せる。
岩井から告白を受けるのは今月に入って何度目だろう。回数が多すぎて途中で数えるのをやめた。
──なんでこんなことになったんだ?
思い返せば、きっかけとなる出来事が起きたのは先月のある日のことだった。
いつものように俺は部活で美術室にいた。
鉛筆を握りしめながら、向かいの椅子に座っている先輩を見つめる。
「川村先輩、デッサンモデルになってください」
「えー? 僕なんか描いてもつまらないよ」
困った顔でそう言った彼に、この部活に入ったときから俺はずっと想いを寄せ続けている。
高身長のイケメン。声は低めで優しく、おっとりした話し方。高校生にしては落ち着いて見える。仕草も大人っぽい。
彼みたいな包容力のある男は、同い年には一人もいない。その魅力に惹かれてあっという間に好きになった。
「先輩を描きたいんです」
「うーん、じゃあお互いに描き合う?」
「いっ、いいんですか?」
「もちろんいいよ。美形は描いてて飽きないし」
「いや、そんな……」
一年の頃はこの言葉にまんまと騙されていた。かっこいいとか可愛いとか、先輩はそういうお世辞をすぐに言う。でも実際はクラスでも特に目立たないほうだし、中性的な顔というわけでもない。先輩の隣に並びたくて必死に外見を磨いているが、褒めてもらえるほどじゃないと思う。
スケッチブックを捲り、真っ白な世界に鉛筆の先を落とす。
先輩の整った顔を左右対称に綺麗に描くのは難しい。上手く描かなきゃ失礼になるというプレッシャーで手が震えてきた。サラサラと鉛筆を動かしながら先輩に視線を向けると、ちょうど目が合った。ふっと微笑まれる。
「一ノ瀬(いちのせ)の顔ってよく見たら、ほくろが結構あるんだね」
「そうなんです。コンプレックスで」
「なんで? 可愛いじゃん。口元のほくろとか」
「……恥ずかしいです」
そうやって先輩は簡単に俺の心をもて遊ぶ。
ほくろに可愛いもくそもあるか。嘘をつかないでほしい。
「描かせてって言ったのは一ノ瀬なのに」
「でも、あんま見ないでください」
「じゃあどうやって描くの」
先輩はまたふふっと優しく笑った。周りには他の部員もいるが、まるで俺たちだけの世界みたいだ。自然と鼓動が速くなる。
──やっぱり俺は、先輩のことが好きだ。
描き終わった絵はお互いに交換した。
「先帰るね」と言って立ち上がった先輩に挨拶をしたあと、紙に視線を戻す。
彼は俺をすごく綺麗に描いてくれた。実物よりも美化されている。それでも先輩にはそう見えてるのだとしたら都合がいい。不細工に描かれるより、よっぽど。
にやける唇をぐっと噛みながら、俺は校舎から自転車置き場に繋がっている階段を降りた。
先輩の絵が絶対に折れないようにしなきゃと、いつもより慎重に鞄をカゴに入れる。ペダルを踏もうとした瞬間、視界に先輩の姿が映った。
「川村せんぱ……」
名前を呼ぶために開けた口が中途半端に開いたまま固まる。川村先輩の隣にいる彼女の存在が見えたせいだった。
「ねえ今度わたしのことも描いてよ」
「この前描いたでしょ」
「え~でも、デッサンじゃなくて絵の具使うやつがいい」
「もう……仕方ないな」
「やった! じゃあこのあとうち来る?」
「絵の具はある?」
「もちろん、買っておいたよん。キャンバスも!」
「準備いいね」
俺に気付く気配すらない二人が目の前を通り過ぎて行く。美男美女。まさに非の打ち所がない完璧なカップル。
後ろ姿を見つめながら静かに自転車を降りた。とてもじゃないが、なんともない顔で彼らに挨拶をして帰るなんてこと、俺にはできない。
先輩には彼女がいる。それを知ったのは、一年生の半ば頃だった。俺の片思いはとっくの昔に終わっている。
──それでも、好きで好きでたまらない。
俺だってあんな風に先輩の腕に引っ付いて歩きたい。家に呼んで絵を描いてもらいたい。名字じゃなくて、名前で呼んでほしい。
「……っ」
自分が彼女のポジションにいることを想像したら涙で前が見えなくなった。
こんな場所で泣いたら誰かに見られてしまう。男なのに恥ずかしいと思うのに、涙を堪えようとすればするほど気持ちが溢れてきて、とうとう声を出しながら泣いた。
「うっ、うう……っく」
なんでこんなに涙が出てくるんだろう。片思いはいつものことだ。もう慣れたはずなのに。さっきまでの時間が幸せすぎたせいで、反動が大きくなってしまったのかもしれない。
「い、いちのせ?」
誰かの声がした。ぱっと顔を上げると、すぐ目の前に岩井が立っていた。
最悪だ、泣いてるところを見られるなんて──。慌てて制服の袖で顔を拭う。
「……なんでここに」
「いや、俺もチャリ……」
「ああ。邪魔して悪い」
「ぜんっぜん! てか、なんで泣いてんの」
「別に」
デリカシーのない男だ。ただのクラスメイトには話したくない。
地面を睨みつけたが、空気が読めない岩井は引かなかった。
「……もしかして、あの先輩のことが好きとか?」
「な、なんでそれを」
「やっぱりか。いや、ちょうど見てもうたんよ。先輩たちが帰ったあとに泣いてんの」
「……川村先輩にはこのこと、言わないでほしい」
「え、川村……先輩? 一ノ瀬が好きなのって、男のほうなん?」
「あ……」
失敗した。そういえば、彼女も先輩と同じ三年生だ。岩井が言っていたのは女のほうだったと気づいて、深い溜め息が出る。
「まじか」
この情報を知ったこいつは、どうするだろう。
これから俺はクラスメイトにゲイだホモだと揶揄われ、避けられたりするだろうか。
別に一人でいるのは嫌いじゃない。でも先輩に伝わってしまうかもと考えるだけで恐ろしい。クラスメイトに嫌われてもさほど傷つかないが、先輩だけはだめだ。
頼むから言わないでと言おうとした瞬間、正面から肩をガシッと荒々しく掴まれた。
「え?」
「なら、俺と付き合ってくれ!」
「はあ?」
なら、の意味が分からず首をひねる。
「やからっ……俺と付き合ってくれへん?」
「……なんで」
「なんでって、そんなん、お前のことが好きやから」
ぎゅっと目を閉じて言う岩井に、俺は唖然とし目を瞬かせた。
クラスメイトとして普通に関わってきたつもりだが好きな素振りをされたことはなかった。というか、同性に付き合ってくれって、そんな簡単に勢いで言えるものなのか?
「俺が好きなのは先輩なんだけど」
「そ、それはわかってるけどお……俺じゃ、あかんの」
「いやってか、なんでいきなり告白?」
「一ノ瀬が男も好きになれるって知らんかってん。でも、男いけるなら付き合いたい」
「はあ……?」
そもそも岩井はクラスの中でも目立つ、いわゆる陽キャというやつだ。顔が良くてサッカー部でも活躍していて、とにかくモテる。他クラスの女子が岩井にわざわざ会いに来るほど。
そして、こいつも満更でもない態度だった。聞いた噂では彼女を短期間で取っ替え引っ替えしてるとか。その噂が本当じゃなくても、相手には困ってないはず。
「岩井は彼女いるだろ」
「そんなのおらんて」
「……だとしても無理」
「頼む、俺めちゃくちゃ好きやんお前のこと」
「知らん。断る」
「えっ」
岩井の胸を押し退けて、自転車に跨る。
今度こそ帰ろう。こんな茶番に付き合ってる暇も、精神的な余裕も今の俺にはない。
「そこ退いて」
「あ、すまん……やなくて、えっ帰るん?」
「そうだけど。あ、あと先輩のこと誰にも言うなよ」
「俺の告白は!?」
「だから断るって言ったじゃん」
「あっ、ちょお待っ……ほんなら、また明日!」
背中に投げられた言葉を無視して懸命にペダルを漕ぐ。途中で後ろを確認したけど、さすがに追ってくる気配はなかった。
どうせただの冗談だ。きっと陽キャの中で、クラスメイトにゲームで告るみたいなノリが流行っているのだろう。岩井が俺のことを好きだなんてあり得ない。
──と、その時は思っていた。翌日から、岩井がまた躊躇いもなく告白してくるまでは。
こうして俺の人生で初めてのモテ期(望んでない)がめでたく幕を開けたのだ。
「なあ、俺と付き合わん?」
毎日毎日、よくも懲りずに告白できるなと感心する。
俺は一度だっていい反応をしてないのに、どうしてそんなことができるんだろう。普通なら心が折れて当たり前のはずなのに。
「断る」
「あかんか……」
心がこもってない浅い告白を何度されても、まったく揺らがない。せめてもっと気持ちを込めて言ってほしい。
「次、移動教室だからそこ退いて」
「一緒に行こ!」
「いやだよ」
「ええやん、なんで? どうせ同じとこ行くのに」
「岩井と仲良いと思われたくない」
こいつはいろんな意味で目立つ。陽キャというだけでなく、声が大きい上に、一人だけ関西弁だから特に浮いている。さらには他クラスにもたくさん友達がいる。今もこうして歩いてるだけで、一体何人が岩井と挨拶を交わしただろうか。
俺は平穏な学生生活を送りたい。そしてただ先輩と付き合いたいと思ってるだけで、他になにも望んでない。
「一ノ瀬、そんなに俺のこと嫌いなん……?」
「いや。好きでも嫌いでもないけど関わりたくない」
「冷たいなあ……てか、俺のこと岩井じゃなくて遼って呼んでや!」
「は? なんで」
「もっと仲良くなりたいし」
「じゃあ呼ばない」
「い、いちのせえ……頼むわ、ほんまに」
歩いているのに、ぎゅうっと腕を掴まれて転びそうになった。振り払おうとしても力の差で負けてしまう。
もう、なんなんだよこいつ。なんでこんなにしつこいんだ。
「分かった、分かったから。呼べばいいんだろ」
「ほんまに?」
「関西弁やめろよ」
「それはできんて……」
「遼。これでいい?」
投げやりに視線を向ける。それでも岩井は、かあっと分かりやすく頬を赤らめた。
俺のことを好きだと言うのは冗談だと思っていたが、どうやら本当にそうらしい。
「お、俺も悠真(ゆうま)って呼んでええか?」
「嫌」
「えなんで! ちょ、ちょっと歩くん早いって!」
「もう着いてくんな……」
「せやけど俺も同じとこ行かなあかんねん」
「遅れてくればいいだろ」
「あかん、先生に怒られたない!」
「うざ」
これだから同い年の男は子どもっぽくて嫌なんだ。
あと一年早く生まれていたら、クラスメイトに先輩がいたのかもしれないと思うと悔しい。



