ガラスのくつ ~アイドル残酷物語~

「今日の日経平均株価は62,000円台で推移しています。前日終値からは少し下落したものの依然として高水準を維持しており、一時63,000円を突破……」

「緊急速報です! 緊迫する中東情勢の中、つい先ほどステルス機からと思われる空襲が首都へ行われた模様です。続いて米海軍の先遣艦隊から海兵隊の第一陣が上陸を開始したと……」

「みなさん覚えてますか? 昨年バラエティ番組ユウヤンのオーディションから誕生したアイドルグループ『プーヤン』です! このたび活動を再開しました! 私たちは……」

 ビルの壁面に付けられた巨大な街頭モニターから、様々なニュースやプロモーションが、交差点を行き交う人々へ声高に訴えている。
 たまにチラリと顔を向ける者もいるが、そのほとんどは映像も声も無視して通り過ぎてゆく。
 だが、信号待ちやバスや電車を待つ間に彼等が見るスマホからも、同じように自分を見てくれ、声を聞いてくれと、様々なものがSNSや動画サイトを通じて訴えかける。

「本日のゲーム中継配信終了しましたァァ! 観に来てくれた方ありがとォォー♥ 今日は12連続ノーダメ勝利! 対戦者ども、ざまァァwww」

「話題沸騰の『頂き女子ルルちゃん』は今夜いよいよ最終回!人外魔境の歌舞伎町を舞台に、その奇行でカリスマ的存在に祭り上げられ、イケメンホスト達から『神姫』と溺愛され持て囃された彼女は承認欲求の無間地獄から闇へと堕ちてゆくのか……そして衝撃の結末が……乞うご期待!」

「書籍化とコミカライズ同時決定しました! 『目の前で幼馴染をNTRれたオレがチートスキルに目覚め「底辺如きが」と笑った伝説の勇者もといクズ共を絶望の闇へ叩き落とすまで』の応援をみんな引き続きよろしく!」

 華やかな人気をPRし歓喜する一方で、光の当たらぬ者は必死に声をあげ、あるいは諦めの声を綴っている。

「今月で登録者数3,000人いかなかったらVTuber引退するって宣言したのに全然足りないじゃない! もういい! みんなが本気で推す気ないなら私、本当に辞めるから!」

「投稿した小説はまた落選でした。今日で筆を折ります。10年書き続けて来たけど最後まで僕は選ばれなかった。今までありがとう。さようなら……」

 自分に気づいてと声を枯らし、訴える声。
 あがっては消えてゆく声。
 そのほとんどは聴き流され、同じような無数の声に埋もれ、受け止められることもなく忘れ去られてゆく。
 偶然や幸運で脚光を浴びた者も、光が当たるのはほんの束の間にしか過ぎない。そして彼等もまた、すぐに押し流されて消えてゆくのだ。泡沫の夢のように。

(かつては私もその、泡沫の小さな欠片だった……)

 ギターケースを背負った一人の少女は、ふと、そんな感慨に囚われた。
 街角に立ち尽くす彼女の周囲を、幾人もの人が目もくれずに通り過ぎてゆく。
 少女がかつて脚光を浴びた歌姫だと、まるで気づきもせず。
 彼女が寂しげに微笑んだそのとき……

『東京地検特捜部は、約1億2800万円を脱税したとして、オラトリオ・アソシエイツ取締役、藤元公を法人税法違反罪で起訴しました。政界とも深い繋がりを持ち、当初は起訴は難しいのではと言われていましたが、贈賄罪に加え、新たな追及の手が……』

 ぎょっとなって顔を向ける。
 モニターの画面の中に、フラッシュの閃光が無数に焚かれていた。それをものともせず、昂然と顔を上げて一人の男が黒塗りの車に乗り込んでゆく様子が目に飛び込んできた。

「……」

 絶大な支配力で芸能界の頂点に君臨した権力者。
 彼は悪びれた様子もなく……だが、誰が見てもそれは虚勢にしか見えなかった。
 より強大な司法の前に、権力者は今まさに押し潰されようとしている。

(オレが作った舞台の外に出る勇気もない薄っぺらなガキが、つけあがるな)

 初めて逆らった自分を制裁し、嘲笑したあの日が少女の脳裏によみがえる。
 自分のような者を数えきれないほど足蹴にし、踏み潰してきたであろう男。その末路を、彼女はぼんやりと見つめた。

(あの人もきっと落ちてゆくのだろう)
(良心の痛みもなく潰してきた人達が待っている地の底へ……)

 肩をすくめ、踵を返す。
 ザマァと見下す気持ちにはなれなかった。
 そんな気持ちになっても、救われるべき人はもうこの世にいないのだから。

(……)

 少女はふと思い出し、スマホを取り出した。
 かつて自分が所属したグループの歌姫達の名を検索する。それらはすぐに見つかった。SNSで彼女達はそれぞれの「あの日」の後の足跡を綴っていた。

「今日が初舞台でした。観客は数えるほどしかいませんでした。歌とはまったく違う芝居の世界では私はただの素人だけど……でも、これから本当の再スタートです!」

「結婚して二ヶ月。いろいろあったけれど、平凡な主婦になれてささやかな幸せを嚙みしめています。このブログの更新も今日までです。みんな、今までありがとう」

「オーディション、また駄目でした。過去の汚点がどこまでも私を呪い、苦しめてる。でも負けるもんか。泥にまみれてもっともっと強くなってやる!」


 少女の顔に笑みが浮かぶ。
 かつて共に歌い、肩を寄せ合い、時には一緒に泣いた歌姫たち。
 自分のせいで無惨に引き裂かれてしまったけれど、今は、それぞれがそれぞれの道を歩んでいる。
 彼女たちは裏切った自分のことなど友達とはもう思ってはいないだろうが……

 それでも少女は、彼女たちがただただ愛おしかった。

(みんな、がんばれ……)
(がんばれ……)

 検索結果が並ぶ中に、見知らぬ名前の少女のニュースがあった。新曲をリリースしたというもので、自分たちと何の繋がりがあるのだろうと不審に思ってタップする。
 それは、亡き歌姫の為に彼女自身が作った新曲という触れ込みだった。

『若松まどかです。私、ずっと憧れていただけであの人のことを何もわかっていませんでした。最後に逢った時なんて、私は自分のデビューで有頂天になってて……だけどあの人は「貴女はとうとうガラスのくつを履けるのね……」って微笑んでくれました。本当はとても辛かったはずなのに、私、気づきもしないで……』

 あの人に伝えたい私のメッセージソングです、と死者へ捧げる彼女の歌の動画プロモーションが紹介されていた。
 リンク先の動画を観るとPVがどんどん増えていた。評価数もうなぎ上りに伸びてゆく。近く、追悼イベントも開催されるのだという。そこには死者を神輿にしたショービジネスの匂いがしていた。
 動画のコメント欄には賞賛も多かったが「コイツ最近落ち目だから、死んだ歌手を利用してワンチャン復活を狙ってるんだろ」といった辛辣な批評も並んでいた。

「……」

 少女は黙ってスマホを閉じた。
 今は様々なプラットホームを通じてたくさんの人にこうやって訴えかけることが出来る。素人でも、観る者の琴線に触れれば大きなチャンスを手繰り寄せる可能性だってあるのだ。
 だが、今の少女はそんな気にどうしてもなれなかった。多くの人に自分の歌を聴かせたいなんて、もう思えない。
 過去に、たくさんの人に自分の歌を聴かせることだけに血道をあげ、その為に自分へ縋った親友を振り払い、捨ててしまった。
 そして、自分が金儲けの為に踊らされていたのだと知った時、親友はもうこの世の人ではなかった。
 そんな罪悪感に耐えかねてあの日全てを吐露し、今まで積み上げてたものを失った。何もかも。
 今も思い出すたび、癒えぬ心の傷が疼く。この疼きはきっと死ぬまで消えることはないだろう。

 少女は街角のガードレールに腰かけるとケースから愛用のギターを取り出し、黙ったまま、つま弾いて音を確かめた。
 そして、すぅ、と息を吸い……


I'm still wandering in the darkness
(私はまだ闇の中を彷徨い続けている)
How far does the deep darkness called despair extend?
(絶望というこの闇はどこまで続いているのだろう)
Yesterday, the day before yesterday, and the day before that, I lived with painful and sad feelings.
(昨日も、一昨日も、その前の日もずっと私には辛く悲しい日々ばかりだった)
Between that day and today, I have lost many important things that I believe in.
(あの日からたくさんのものを失ってしまったわ)


 彼女は、ただ一人のために歌い始める。
 この地上ではなく、空の向こうにいる歌姫のために。


But I've survived many betrayals, tragedies and breakups.
(だけど幾つもの裏切りや悲劇、さよならを越えて私は今ここにいる)
I cried and gave up many times. But I learned that there are people who are enduring the same suffering as me.
(数えきれないくらい泣いた。絶望した。でも知ったの、私と同じように苦しみに耐えて今日を生きる人々がいることを)
I want to sing for those who have no hope. I want to be their hope.」
(希望を持たぬ人々よ、今こそ私は歌うわ。あなたの暗闇に灯す灯火になる為に)


 一度だけ聴いた歌。
 権力の前に閉ざされ、誰にも届くことのなかった歌姫の最後の歌唱。
 この歌詞も、曲も、すべて少女が自分の記憶だけを頼りに書き起こしたものだった。
 語り掛けるように、少女は歌い続ける。


The deeper I sink into the darkness, the light of love shines deep in my heart.
(どんな深い暗闇の中でも、私の心の奥底で灯火は輝き続ける)
A dawn called hope shines upon us. Maybe tomorrow...
(希望という名の夜明けが私たちを照らすわ。そんな明日が、いつかきっと……)


 歌う彼女の瞳に、祈りの光と悔悟の涙が宿った。
 雑踏の中で立ち止まり、その歌に耳を傾ける者は誰もいない。
 涙は頬を伝い、流れ落ちてゆく。

 それでも……彼女はただ、静かに歌い続ける。


(ねぇ、莉莉亞。聴こえる?)
(莉莉亞……)