* * *

 「オープン!!」

 教室の奥で上がった女子たちの声が、文化祭の始まりを告げた。

 2年B組のカフェ風模擬店は、開店直後からすぐに活気に包まれていた。

 メニューを案内する声、注文を取る声、紙コップに注がれるジュースの音、焼きあがったワッフルの甘い香りが、教室中にふわりと漂う。

 「次、ふたり入ります!」
 「空いてまーす!おふたりどうぞー!」

 次々と入ってくるお客さんに、受付係が手際よく対応していく。
 その一方で、人気者の男子たちは教室の外へと飛び出していった。

 ——そしてその賑わいの中に、優真もいた。

 「ワッフル追加お願いしまーす!」
 「そっちのグラスもう拭けてる?」
 「パフェの飾りつけ、これで合ってる?」

 いろんな声が飛び交うたびに、優真は無意識に手を動かし、声をかけられる前に誰かの困りごとを見つけて、フォローしていく。

 「ありがと!さすが気が利く〜」
 「ううん、ついでだから」

 そんなふうに、あちこちに目を配って誰かの困ってるサインを拾っていくのは、もう癖みたいなものだった。

 にぎやかで、楽しそうで、でも、その分だけ、見落とされる小さな違和感があることも、優真は知っている。

 だから今日も、自分はその隠されてしまう感情を「拾う側」でいるつもりだった。

 そのとき、優真の視界の端に、ひとひらの白がふわりと揺れた。

 (……花びら?)

 ふわっと空中を泳ぐ綺麗な花びらを、優真は慣れたように目で追いかけた。

 幻覚にも見える季節外れの桜の花は、気のせいではない。
 その一枚に導かれるように、賑わいから少し外れた廊下の片隅で壁にもたれるようにうつむいていた男子生徒が目に入る。

 彼の肩先には、乾いた白い花びらがひとひら、留まっていた。

 その横顔には、どこか虚ろな影が差している。
 遠目にも、笑っていないことが分かった。

「これ、5卓のワッフル」

 優真は、作っていたワッフルの飾り付けを終えて、彼の方へと足を向けた。

 けれど、廊下から顔を出すと、その少年の隣には、すでに誰かの姿があった。

 紺色の制服。
 見慣れた髪の長さ。

 優しく、でもまっすぐにその子の目線に合わせて話しかける、麗衣の姿。

 驚いたように足を止めると、男の子の背中越しに、ふと目が合った。
 麗衣は、声を出さずに、小さく、確かに頷いた。

 「大丈夫。今は、わたしがいるから」

 麗衣の目は、そう言っているように感じた。

 優真は、ふっと息を吐く。
 そして、ほんの少しだけ、口元を緩めた。

 (ああ……もう、俺だけが拾わなくてもいいんだ)

 自分だけが、誰かを助けなきゃいけないと思っていた。
 そうじゃなきゃ、また誰かを見失ってしまうと、そう思っていた。

 でも今、目の前には、自分がいなくてもちゃんと手を差し伸べる人がいる。
 かつて助けたはずの麗衣が、今度は誰かを支えている。

 それが、どうしようもなく嬉しかった。

 手を伸ばさなくても、誰かがそばにいるということが、これほど心強いなんて。

 優真は、踵を返して、教室の方へと歩き出した。
 歩くたびに、周りに散らしていた桜の花びらは、今日は一枚も落ちていなかった。