* * *

 中学三年の夏の終わりだった。
 セミの声が急に止んだ、あの日の夜を、今でもはっきり覚えている。

 いつも通りの放課後だった。
 部活のあとの疲れが体に残っていて、まさかこんな日になるなんて、想像もしていなかった。

 帰り道、夕焼けが街の影を長く伸ばしていた頃。
 スマホを取り出すと、ひとつ、未読の通知が届いていた。

 ——妹の美羽からのメッセージ。

 時刻は、17時過ぎ。
 まだ明るさの残る時間帯だった。

《優しいお兄ちゃんが、大好きだよ。言えなくてごめんね》

 ……は?
 一瞬、眉をひそめる。

 なんの話だよ。

 意味がわからなかった。
 喧嘩もしてない。
 昨日も普通に話してたし、今日だって何もなかったはずだ。

 相変わらず、主語がないんだよなぁ。

 そう思って、スマホをポケットに戻した。

 どうせ帰ってきたら顔を合わせるし、聞けばいいだけだと思ったから。
 返信はしないまま、歩き続けた。

 家に帰ると、母がキッチンに立っていて、父はリビングで新聞を読んでいた。

 テレビの音と、冷蔵庫の低い唸り。特別なことなんて、何ひとつなかった。

 「美羽の塾、今日何時までだっけ?」

 母のその一言が、最初だった。
 いつもなら、とっくに帰っている時間。

 「寄り道でもしてるんだろ」
 「マイペースだからね〜」

 それでも、最初は誰も大騒ぎなんてしなかった。

 スマホの電源が切れているのかもしれない。
 どこかで寄り道しているだけかもしれない。

 ——そう思っていた。

 俺も、メッセージのことなんてすっかり忘れて、のんびりとテレビを見ていた。

 でも、時間が経つにつれて、空気が変わっていった。
 父がソファから立ち上がり、母がスマホを握りしめ、家のなかを何度も行ったり来たりし始める。

 いつもより冷房の風が強く感じるくらい、胸のあたりがざわついていた。

 22時を過ぎた頃には、母の声が震え始めていた。

 「美羽……なんで、連絡がないの……」

 父は塾に電話をかけるけれど、今日は塾には来ていないという。
 無断で休むような奴ではないはずだった。

「ちょっと、探してくる」

 俺はそれを聞いてたまらず立ち上がり外へ出た。

 美羽の名前を叫びながら、懐中電灯を持って家の周りを走り回った。

 近所の公園、通学路、スーパーの駐輪場。
 探しても、探しても、美羽の姿はなかった。

 夜の町は静かで、冷たくて、見慣れた景色なのに、何も信じられなかった。

 「なんでだよ……どこにいるんだよ、美羽」

 喉が焼けるほど呼んだ名前に、返事はなかった。
 あのときの空気、音、匂い。

 全部が今でも脳に焼き付いている。