花びらが舞う世界で、君の涙が未来を照らす

    * * *

 その夜。

 麗衣は布団に入ってから、何度も寝返りを打った。

 さっきまでなかなか寝てくれなかった蓮の寝息が、すぐそばで静かに響いている。

 その音に、耳を澄ませて目を閉じるけれど、麗衣はどうしても眠れなかった。

 起き上がって、そっと部屋を抜け出す。

 静まり返った廊下を歩いて、麗衣は食堂へと向かった。

 冷たい水をコップに注ぎ、ひと口。

 喉を通る感覚が、やっと自分を現実に引き戻してくれる。

 窓の外を見やると、グラウンドのような小さな広場が広がっていた。

 照らしているのは、ぽつんと立つ街灯の淡いあかり。
 砂の上に落ちるその光が、どこか心細くて、でも、やさしかった。

 「……眠れなかった?」

 ふいに声がして、肩がぴくりと跳ねた。

 振り返ると、昼間案内してくれた女性スタッフさんが、手にマグカップを持って立っていた。

 「夜って、いつもより静かだから、いろんなこと思い出しちゃうんだよね」

 そう言って、向かいの席に座るスタッフさんは優しく微笑む。

 麗衣は黙ったまま、もうひと口だけ水を飲んだ。

 「ここでは、頑張らなくても大丈夫だからね」

 やさしく笑うその顔を見て、思わず口が動いていた。

 「……ずっと、頑張らなきゃって思ってたんです」
 「うん」
 「怒らせないように。困らせないように。黙ってた方がいいって、そう思ってて……」

 喉の奥が熱くなった。

 言葉にした瞬間、自分の中にあった苦しさが、やっと形を持ったような気がした。

 「ここではね、何か言ったからって、誰かが壊れるなんてこと、ないよ」

 その言葉に、胸の奥がじんと熱くなった。

 麗衣は目を伏せたまま、小さくうなずいた。

 窓の外、グラウンドの砂の上に落ちる街灯の明かりが、まるでやさしく灯る小さな月みたいに見えた。

 誰かが怒鳴り込んでくることもない。
 何かに怯えて、音を立てないように息をひそめる必要もない。

 怒られない夜があることに、麗衣はそこで初めて気づいた。

 ——何も起きない夜って、こんなに静かで、こんなに温かかったんだ。

 いつの間にか、体の力が抜けていた。

 眠れないはずだったのに、気づけばまぶたが重くなっていた。

 麗衣はそっと椅子を立ち、「おやすみなさい」と小さく呟いた。
 背中にスタッフさんの「おやすみ」が返ってきた気がして、胸がじんとした。

 部屋に戻る足取りは、来たときより少しだけ軽かった。