* * *

 蝉の声が、朝から遠くで鳴いていた。
 風の通らない蒸し暑い空気のなか、冷たい麦茶のグラスにうっすらと汗がにじむ。

 いくつもの食器の音と、誰かの笑い声が、支援施設のリビングに穏やかに響いていた。

 これまで静まり返った家の中で、家族だけで過ごしていた麗衣には、その賑やかさが少しだけくすぐったくて、どこか落ち着かなかった。

 「蓮くん、麗衣ちゃん。ごはんできたよ」

 名前を呼ばれた瞬間、背筋がぴんと伸びる。

 麗衣は反射的に顔を上げたけれど、どこかぎこちない笑みしか浮かばなかった。

 隣にいた蓮も、不安そうにしていた。

 あの夜以来、蓮は以前よりも静かになった。
 大きな声で笑うことも減って、言葉の数も少なくなった。

 最初は、その変化が心配でたまらなかった。

 でも、考えてみれば、これまでの蓮が無理をしていたのかもしれない。

 お母さんの前で、麗衣の前で「元気な弟」であろうとしてくれていたんだ。

 本当はもっと甘えたかったし、もっと泣きたかったのかもしれない。

 だから、いま静かなのは、悪いことじゃない。

 ようやく頑張らなくてもいい場所に来られたってことかもしれない。
 そう思うと、ほんの少し、気持ちは楽だった。