* * *

 そして、文化祭を明日に控えた放課後。

 飾りつけの名残が散らばる中、窓から差し込む夕陽が、机や床の影をゆっくりと伸ばしていく。

 優真は、軽く息をついた。

 「……ちょっと、疲れたな」

 そんな独り言が、自然と口からこぼれた。

 今日の教室には、いつにも増してたくさんの花びらが舞っていた。

 不安、期待、焦り、緊張。

 文化祭を前にして揺れる感情が、目に見えるように散らばっていた。

 本当は、もっと声をかけたかった。
 だけど、追いつけなかった人もいる。

 すれ違ったまま何もできなかった気配が、優真の中にじわじわと染みついていく。

 人の感情を受け止め続けた心は、気づけばひどく重たくなっていた。

 誰かを助けたいと思えば思うほど、自分の中にも疲労と苦しさが積もっていく——そんな感覚があった。

 いつもより少しだけ遅くまで残っていた彼は、荷物をまとめ、ゆっくりと席を立った。

 廊下を曲がったとき、不意にポケットから何かが滑り落ちる。

 カツン、と軽い音を立てて、スマートフォンが床に転がった。

 「落としたよ」

 澄んだ声が聞こえ、驚いて顔を上げると、後ろから麗衣が顔を出し、すっとスマートフォンを拾い上げてくれる。

 「あぁ、ありがとう……」

 受け取ろうとした優真の手が、不自然に止まる。

 麗衣の視線が、スマートフォンの画面に落ちてそのまま止まったからだった。

 なんだろう、と違和感を覚えた優真が自分のスマホに目をやると、そこには、メッセージ画面が開かれていた。

 麗衣が画面を見たかもしれない。
 そう思った瞬間、胸の奥がかっと熱くなった。

 焦りが喉までこみあげてきて、スマートフォンを引き抜くように受け取る。

 よりによって、麗衣の前で——。

 画面に映っていたのは、いつものあのメッセージだった。

《優しいお兄ちゃんが、大好きだよ。言えなくてごめんね》

 (やっぱり、また……開いていたのか)

 お守りのように、無意識に見てしまうその画面。
 美羽の残した、たったひとつの言葉。

 だからきっと今日も、自分でも気づかないうちに、また開いていたんだろう。

 麗衣は、何も言わなかった。
 けれどその瞳に、一瞬だけ迷うような光が見えた。

 「麗衣」

 優真の声に、彼女がゆっくり顔を上げる。

 夕陽が差し込む廊下で、その目の奥に浮かんだ光が、涙か、光か、俺にはまだ分からなかった。