* * *
曇り空の昼休み。
湿った風が教室の窓を揺らし、どこか重たい空気が漂っていた。
チャイムが鳴るのと同時に、優真はざわめく教室へと戻ってくる。
一度深く息を吐いて、自分の席に腰を下ろした。
そっと視線を上げると、視界にそれがふわりと舞い降りる。
麗衣のまわりには、もう何も落ちていない。
友人たちと笑い合うその横顔には、かつてのような陰りはもう見えない。
その周囲に、花びらはひとひらも落ちていなかった。
——あのころは、床が見えないほどに、花びらが積もっていたのに。
(……よかった)
心の中で小さく息をつく。
けれど、教室全体を見渡せば、視界のあちこちに、ちらちらと白いものが揺れていた。
爆発するように降り積もる場所は、もうない。
それでも、誰にも気づかれず、誰にも見えないまま、ぽつり、ぽつりと、いくつもの花びらが空気の中に漂っている。
優真の目には、その教室全体が、ほんのりと白く揺らいで見えていた。
数人の友達に囲まれながらも、どこか視線を合わせようとしない男の子が目に留まる。
返事をしながら笑ってはいるものの、その笑顔はどこか空を見ているようだった。
左肩に乾いたピンク色の花びらが一枚、貼りついているのを確認し、優真は席を立つ。
そして、周囲に聞こえないような声で、そっと言葉をかけた。
「ねえ、手伝ってほしいことあるんだけど、ちょっといい?」
優真が声をかけると、彼はほんの少し戸惑ったあと、静かに頷いた。
二人で廊下へ出る。
「手伝いって?」
「ん? ノート取りに来いって先生が。ごめんね」
人のいない静かな廊下になったところで、優真は様子を伺いながら話を切り出す。
「なんかしんどそうだったけど、大丈夫?」
驚いたように顔を見た後、控えめに悩みを口にした。
「最近、夜になると眠れなくてさ。なんかずっと考えちゃって……気づいたら朝なんだよね」
優真は黙ってうなずきながら話を聞いた。
そうしている間に、彼の肩から、あの花びらはすっと溶けるように消えていった。
少しして、彼はふっと息を吐いて笑った。
さっきより、ほんの少しだけ柔らかい表情だった。
「なんか、ごめんね。ありがとう。……話したら、ちょっと楽になったかも」
「いや、全然。俺は、手伝ってもらえてラッキーだし」
優真も笑って頷いた。
教室へ戻る途中、ふと廊下の窓際で足を止めた。
隣のクラスの女の子がひとり、窓にもたれて立っている。
目元をこすったばかりの手。
まつげの先には、まだ乾ききらない涙の跡が光っていた。
足元には、くしゃくしゃになったプリントが一枚、静かに落ちている。
その足元には、小さくふわりと花びらが揺れていた。
「ごめん、先行ってて」
先ほどの友人を先に返し、優真は、ためらいなく歩み寄る。
そして、そっと声をかけた。
相手の表情がほぐれるのを待ちながら、自分のなかの感情を確認するように息を整えた。
(見えてしまうのなら、気づいてしまったのなら——動かなきゃいけない)
この目にその花びらが映る限り、少なからず人の痛みに気付くことができる。
だから、見て見ぬふりなんてできるはずがなかった。
「花びらが見える人には、救う役目がある」
優真は、その花びらの意味を知ってから、ずっと、そう信じている。
それが、優しさなんて良いものではないことは分かっていた。
「救う」なんて言いながら、本当はあの日のような後悔を抱えたくないという一心だということも。
止まることはできなかった。
止まったら、また誰かの「大丈夫」が、嘘になる気がして。
そう思うと、怖くて仕方がなかった。
その姿を、麗衣は教室の奥の席から、窓越しの光の中で静かに見つめていた。
麗衣の瞳は、どこか不安げに揺れていた。
曇り空の昼休み。
湿った風が教室の窓を揺らし、どこか重たい空気が漂っていた。
チャイムが鳴るのと同時に、優真はざわめく教室へと戻ってくる。
一度深く息を吐いて、自分の席に腰を下ろした。
そっと視線を上げると、視界にそれがふわりと舞い降りる。
麗衣のまわりには、もう何も落ちていない。
友人たちと笑い合うその横顔には、かつてのような陰りはもう見えない。
その周囲に、花びらはひとひらも落ちていなかった。
——あのころは、床が見えないほどに、花びらが積もっていたのに。
(……よかった)
心の中で小さく息をつく。
けれど、教室全体を見渡せば、視界のあちこちに、ちらちらと白いものが揺れていた。
爆発するように降り積もる場所は、もうない。
それでも、誰にも気づかれず、誰にも見えないまま、ぽつり、ぽつりと、いくつもの花びらが空気の中に漂っている。
優真の目には、その教室全体が、ほんのりと白く揺らいで見えていた。
数人の友達に囲まれながらも、どこか視線を合わせようとしない男の子が目に留まる。
返事をしながら笑ってはいるものの、その笑顔はどこか空を見ているようだった。
左肩に乾いたピンク色の花びらが一枚、貼りついているのを確認し、優真は席を立つ。
そして、周囲に聞こえないような声で、そっと言葉をかけた。
「ねえ、手伝ってほしいことあるんだけど、ちょっといい?」
優真が声をかけると、彼はほんの少し戸惑ったあと、静かに頷いた。
二人で廊下へ出る。
「手伝いって?」
「ん? ノート取りに来いって先生が。ごめんね」
人のいない静かな廊下になったところで、優真は様子を伺いながら話を切り出す。
「なんかしんどそうだったけど、大丈夫?」
驚いたように顔を見た後、控えめに悩みを口にした。
「最近、夜になると眠れなくてさ。なんかずっと考えちゃって……気づいたら朝なんだよね」
優真は黙ってうなずきながら話を聞いた。
そうしている間に、彼の肩から、あの花びらはすっと溶けるように消えていった。
少しして、彼はふっと息を吐いて笑った。
さっきより、ほんの少しだけ柔らかい表情だった。
「なんか、ごめんね。ありがとう。……話したら、ちょっと楽になったかも」
「いや、全然。俺は、手伝ってもらえてラッキーだし」
優真も笑って頷いた。
教室へ戻る途中、ふと廊下の窓際で足を止めた。
隣のクラスの女の子がひとり、窓にもたれて立っている。
目元をこすったばかりの手。
まつげの先には、まだ乾ききらない涙の跡が光っていた。
足元には、くしゃくしゃになったプリントが一枚、静かに落ちている。
その足元には、小さくふわりと花びらが揺れていた。
「ごめん、先行ってて」
先ほどの友人を先に返し、優真は、ためらいなく歩み寄る。
そして、そっと声をかけた。
相手の表情がほぐれるのを待ちながら、自分のなかの感情を確認するように息を整えた。
(見えてしまうのなら、気づいてしまったのなら——動かなきゃいけない)
この目にその花びらが映る限り、少なからず人の痛みに気付くことができる。
だから、見て見ぬふりなんてできるはずがなかった。
「花びらが見える人には、救う役目がある」
優真は、その花びらの意味を知ってから、ずっと、そう信じている。
それが、優しさなんて良いものではないことは分かっていた。
「救う」なんて言いながら、本当はあの日のような後悔を抱えたくないという一心だということも。
止まることはできなかった。
止まったら、また誰かの「大丈夫」が、嘘になる気がして。
そう思うと、怖くて仕方がなかった。
その姿を、麗衣は教室の奥の席から、窓越しの光の中で静かに見つめていた。
麗衣の瞳は、どこか不安げに揺れていた。



