* * *

 その日からだった。 

 誰かが「大丈夫」と笑うたびに、
 苦しさを隠して、平気なふりをするたびに——

 ふわり、と。

 目には見えないはずの何かが、空中からゆっくりと舞い降りてくるのが見えるようになった。

 教室の中に、廊下の先に、街角の夕焼けの中に——
 あちこちで、何度も、何度も、優真の視界に現れる花びらに優真は戸惑っていた。

 (……なんなんだよ、これ)

 自分だけが見えている現実。

 誰も気づかない、けれど確かにそこにある苦しさの残像。

 気持ち悪い。
 怖い。

 けど、目を逸らすことができなくて。

 次第に呼吸が浅くなっていくのを感じて、優真は逃げ出すようにして歩き出した。

 たどり着いたのは、昼休みには誰も来ない、静かな図書室だった。

 窓際の席に腰を下ろし、肩で息をしながら、ようやく落ち着いた視線で周囲を見渡す。 

 棚の並ぶ奥の方に、ふと視線を引き寄せる背表紙があった。

 それは、どこかで聞き覚えのあるタイトルだった。

 手を伸ばし、そっと引き抜く。

 (——ああ。これ、美羽が好きだったやつだ)

 本を開き、ペラペラと数ページを読んでみる。

 そのお話は、不思議な森のなかで、心の声が花びらになって舞い落ちる、幻想的なファンタジーの物語だった。

 苦しみを、誰にも言えないまま飲み込んでしまった人の心のかけらが、花びらになって空を漂う。

 そんな世界観は、自分が見ている幻想とどこか似ているような気がして、思わず本を閉じる。 

 (……もしかして、美羽が)

 美羽が最後に残したものなんじゃないかとそんなことを、ふと思った。

 助けて、って言えなかった美羽が、どうにかして伝えようとした——言葉の代わりのサイン。

 そうだとしたら。

 この花びらを見つけるたびに、誰かの心の痛みに気づけるのなら。 

 もう二度と、自分だけは、絶対に見落としたくないと思った。

 それから優真は、罪滅ぼしのように、その花びらを追いかけるようになった。

 誰かが見落としそうな痛みに、誰よりも敏感に気づこうとしていた。

 それが本当に誰かのためになるのか、なんてことは考えなかった。

 ただ、見えてしまう以上、美羽の笑顔と重なって、見過ごすことなんて、できなかったのだ。