* * *

 ふらふらと家を出て、公園の明かりが視界に入ったとき、ブランコにぽつんと座る小さな影が見えた。

 その影は、うつむいたまま、ゆっくりと足を動かしている。
 その隣には、見慣れた男の子の姿があり、麗衣はとりあえず安堵の息をつく。

 (蓮……)

 その名前を心の中で呼んだ瞬間、ブランコで俯いていた蓮が顔を上げた。

 驚いて立ち止まると、不安そうな視線が麗衣の姿を見つけて、ブランコから勢いよく立ち上がる。

 「おねえちゃあああん!!」

 小さな靴音が夜の公園に響き、全力で駆け寄ってくる。

 麗衣は、蓮を受け止めるように、とっさにしゃがみ込んだ。

 蓮はそのまま胸に飛び込んできて、大きな声で泣き始めた。

 その振動が、背中に響いて痛いのに、どうしてか愛おしい。

 「……蓮。もう大丈夫だからね」

 麗衣も泣きそうになりながら、蓮を抱きしめた。

 (蓮だけは、守らなきゃ。)

 疲れきってしまっていた気持ちがもう一度、はっきりとした瞬間だった。

 麗衣は、しゃがんだまま、蓮をしっかりと抱きしめていた。

 蓮の涙が制服の胸元を濡らしていくのを、何も言わず受け止める。

 自分の手も震えていた。
 でも、離したくなかった。

 どれくらいそうしていたのか。
 蓮の泣き声がおさまってきた頃に、背後から、やわらかな声がかかった。

 「麗衣」

 そのたった一言で、張りつめていた心が一気にゆるむ。
 堰を切ったように、胸の奥が熱くなった。

 顔を上げると、優真がゆっくりとこちらへ歩いてきていた。

 何も言わず、ただそのまなざしに包まれているだけで、全身から力が抜けていくのを感じる。

 「……来てくれて、ありがとう」

 ようやく絞り出した言葉だった。

 状況なんて、うまく説明できる自信はなかった。
 何から話せばいいのかも、わからなかった。

 でも今、ここに来てくれているという、その事実だけが、麗衣のすべてを支えていた。

 「ほんとに、ありがとう……」

 視線を合わせると、優真がそっとしゃがみ込み、麗衣の顔をじっと見つめた。

 その真剣な瞳に、なんだか気持ちが落ち着かなくなる。
 「……その傷」

 そう言って、彼の手がそっと頬に触れる。

 何も言わないまま、指先がほんのわずかに震えた。

 悲しそうなまなざしで、傷の近くにそっと触れられた。

 「大丈夫。かすり傷」

 血が出たのはほんの少しで、ぼーっとしている間に止まっていた。

 すでに瘡蓋になりつつある傷の存在は、自分でも忘れていたくらいだったのだ。

 「お母さんは?」

 悲しそうな顔のまま、尋ねられたその問いに、麗衣は小さく息をのんだ。

 蓮がどれだけ冷静に状況を伝えられたかは分からないけれど。

 優真はもう、大体のことを察しているんだと、麗衣はなんとなく感じる。

 「薬を飲んで、今は寝てる。強い薬を飲んだみたいだから。朝までは、たぶん起きないと思う」

 嘘はなく、真実を伝えるけれど、平静を保っていた声には、乾いた夜風に混じって、震えがにじんでいた。

 「そっか……」

 優真は短くそう返しただけで、それ以上は何も言わなかった。

 麗衣は立ち上がり、制服についた草をぱんぱんと払う。

 「よし。蓮も落ち着いたし、もう帰らなきゃ。本当に夜遅くに急にごめんね。ありがとう」

 強く微笑んで、蓮の手を握る。

 その様子を見ていた優真は、ぎゅっと唇を噛んで一緒に立ち上がった。

 「……戻るの、やめよう」

 優真の手が、そっと麗衣の腕をつかむ。
 その瞬間、思わず麗衣は小さく息を呑んだ。

 「痛っ……」

 わずかに顔をしかめたその表情に、優真がすぐ反応する。

 目線を落とし、彼の指が触れている部分をじっと見つめた。

 薄手の長袖。
 夏には似つかわしくない、暑さを無視した装い。

 「……なんで、夏なのに長袖着てんの」

 その問いには、返せなかった。

 次の瞬間——

 「ごめん。ちょっと、見せて」

 優真はほとんどためらわず、麗衣の袖をぐっとまくった。

 「やめて……っ」

 抵抗しようとする前に、傷があらわになった。

 赤く腫れた腕。
 うっすらと血がにじむ、痛々しい痕跡。

 頬のかすり傷とは違い、まともにガラスのコップを受け止めた腕は、深い傷になってしまっていた。

 その傷を見た優真は、一瞬だけ、呼吸を止めた。

 何かを噛みしめるように唇を結び、そして、はっきりと言った。

 「帰せないよ」

 その声は低く、静かで、でも何よりも強い意志に満ちていた。

 そんな強い優真の声は初めて聞いて、麗衣は、何も言い返せなかった。