* * *

 教室の扉を開けると、朝のざわめきがぱっと押し寄せた。
 机を動かす音、笑い声、プリントをめくる音。

 どれもが、今日という日常の始まりを知らせてくれる。

 「おはよう〜!」

 明るい笑顔で教室に入ると、いくつもの「おはよう!」が返ってきた。

 「麗衣〜、今日も元気じゃん!」
 「ほんとね、麗衣の笑顔ってほんと元気もらえるわ~」
 「あはは、大袈裟~!こんなんでよければいつでも笑っちゃう!でも褒めてもらえてうれしい」

 冗談を言って笑いながら、麗衣はいつも通りに会話を続ける。
 その隣を控えめに通って行った女の子が、たくさんのプリントを抱えていたのに気づき、麗衣はその子の後ろ姿を追いかけた。

 「ねえ、そのプリント配るやつでしょ。わたし半分手伝うよ!」
 「え、いいの?助かる……」

 さっとカバンを置いて、受け取ったプリントの束を両手で整えると、教室を軽やかに回っていく。

 「麗衣ちゃん、ありがとう!いつも助けてくれて……何かお礼しなきゃだ」
 「え〜じゃあ、とびっきりの笑顔ででいいよっ」

 そんな冗談を交わせば、教室中がまた少し和んだ。

 配り終えて自分の席に戻ると、隣の男子が机に突っ伏しているのが目に入った。

 「一限、国語だよ。起きないと移動間に合わなくなるよ」

 小声で言いながら、机の上の教科書をトントンと優しく叩く。

 「ん〜ありがと……あと五秒だけ……」
 「じゃあ四秒数えるね。いーち、にー……」
 「うそ、うそ、起きるって!」

 そのやりとりに、ふっと笑ってしまう。
 何でもない会話が、教室という空間をほんのりと温かくしていく。

 「麗衣ってさ、ほんと完璧だよね〜」
 「しっかりしてるし、優しいし、絶対いい奥さんになるタイプ」

 斜め前の女子たちが、楽しげにそう言って笑う。
 麗衣は「やめてってば」と照れたように返す。

 その仕草も、教室に自然に溶け込んでいく。

 けれど。

 麗衣の指先は、無意識にスカートの裾をいじっていた。
 明るい自分でいるために、まだどこか足りない気がして。

 (大丈夫。ちゃんと笑えてるから、大丈夫)

 そう自分に言い聞かせるように、口角をもう一度だけ整える。
 教室は明るく、今日も順調に始まっている。

 何も問題ないはず。

 ひらり。

 笑顔を振りまく麗衣の足元には、誰にも見えないひとひらの花びらが音もなく落ちていた。