「今日の元季、凄かったねぇ……」
駅のホームで欠伸混じりに恵留が言った。何のことかと聞き返そうとしたがアナウンスが流れて、元季は口を噤む。返事のない元季に、小さく笑った恵留はまた何か口にしたが、電車の音がその声をかき消した。
「ごめん、なんて言った?」
電車に乗り込みながら元季が尋ねると、恵留は首を横に振り座席に座った。一番端の席に座った恵留は、身体を手摺りにもたれ掛け、また大きな欠伸をした。
「眠いんだ?」
「うん……今日は疲れた」
恵留は目を閉じながら答える。今日は全学年参加の球技大会で、朝からずっと動きっぱなしだった。もともと運動が苦手な恵留は相当疲れたのだろう、帰りのホームルームの時から目を開くのがやっとだった。
「ドッヂボール、最後まで逃げるから」
元季は思い出して笑いながら言った。コート内を必死に逃げ回っていたのだから、疲れない訳がない。
「だって俺、逃げるしかないじゃん。どうせボール取っても、上手く投げられないし」
目を閉じたまま恵留は言い返す。参加した種目は参加人数の多いドッヂボール。外野からボールを投げても人に当てることが出来ないと踏んだ恵留は、内野で逃げ回ることを決めたのだ。その結果、必死に逃げ回って最後の最後までコート内に残ることはできたのだが、終わる頃には体力の限界がきて立つのもやっとだった。
扉が閉まり、電車が大きく揺れて発車した。二人の降りる駅は五つ先の駅。途中、大きな川を越える橋を渡るため、区間は意外と距離があった。一眠りするには時間は十分で、恵留が静かになったのを見て、元季は鞄から読みかけの本を取り出した。栞を外し、続きを読み始めたが、元季の頭ではホームで恵留が言った一言がこだまする。
『今日の元季、凄かったねぇ……』
なんの……ことだろう。
元季は横目で眠る恵留を見た。手摺り側に寄りかかっていたはずの恵留だったが、電車の揺れによって頭が落ちそうだった。
「メグ、危ないよ」
「んー……」
寝ぼけた生返事が返り、元季は本を閉じた。恵留の頭を自分の肩へ寄せ、体重を預けさせる。
「ほら」
「……あはは、イケメン」
「そのままだと手摺に頭ぶつけるだろ」
「ん……。ありがと、今日の元季はスペシャルかっこいいよ」
「……こういう時は、いつもって言うんだよ」
「だって、ほら。今日のバスケもさ、凄かったもん……」
恵留はふわりと大きな欠伸をして目を閉じた。
また言った……。
「別に……特別凄かった訳じゃないだろ」
「ふふふ、気付いてないんだ」
恵留は目を閉じたまま、くすりと笑う。寄りかかっているせいで、笑う度に恵留の髪の毛が元季の首を掠め、擽ったい。
「さぁ、大したことしてないから」
「流石のコメントだぁ」
そう言われても、自分にはまったく身に覚えがない。得点は確かに決めたが、スリーポイントを入れた訳でもない。相手の持つボールをカットしたが、それも普通だ。相手がバスケ部の主将となれば話は別だろうが、体育の授業で運動が得意な人間ならやりそうなプレイしかしていない。
元季がバスケの試合を振り返っている横で、恵留はまた静かに笑う。
「ほら、フリースローの時だよ」
「フリースロー?」
「そう」
恵留は目を開けると、元季から身体を離してゆっくりと伸びをした。話しをしているうちに目が覚めてきたらしい。
「超絶運動神経抜群の元季くんが、フリースローでシュートを決めた時にゼッケンの裾がふわって浮いてさぁ。腹チラって言うんでしょ?試合見ていた女の子達がキャーキャー言ってたよ」
だから、凄かったねって言ったの。ニヤリと笑って恵留は元季の顔を覗き込む。
「澄ました顔でサラッとシュート決めちゃうし。本当、そういうとこだよ」
なんだ、そんなことか……。
「あー……うん」
理由が分かった途端、元季の肩の力がスッと抜けた。
「うんってなんだよ、まったく。人がカッコ良かったって言ってんのに……」
「え」
そんなこと今、言ってたか?
元季がポカンと口を開けたまま恵留の目をまじまじと見つめる。
「……なに?」
「いや、ううん……なんでもない」
元季の拍子抜けした反応に、ふぅと小さな溜息を吐くと、恵留はまた元季の肩に寄りかかった。
「やっぱり少し寝る。着いたら起こして」
「え、あと二駅だぞ?」
「良いから」
そう言って恵留は黙って目を閉じ、下を向く。本当に眠ってしまったかはもう分からないが、余程眠かったのだろう、それから数分と立たずに寝息が聞こえてきた。
がこん、と電車が大きく揺れた。大きな川を渡る橋に差し掛かった合図だった。周囲から木々や塀などが消え、眩しい夕陽が窓から差し込んだ。窓の外に見える川の水面もキラキラと眩しく照り返している。急に顔や肩が妙に熱く感じたのはこれのせいかと思ったが、視線を車内へ戻すと二人の重なった影が足元に映し出されていた。元季はその影を見て静かに笑う。
そういうことにしておくか……。
電車がまた大きく揺れる。「んんっ……」と、恵留の声が漏れた。しかし目を開ける様子はない。元季は恵留のずり落ちそうな頭を優しく支え、静かに目を細めた。



