六時間目が終わる頃、窓の外で黒い雲が見えた。それはまだ遠くにあるように見え、恵留は大して気に留めなかった。今朝の天気予報では晴れのち曇りと言っていたし、きっと降ることはないだろうと傘を持たずに登校した。
うん、まぁ……まだ大丈夫だろう。
きっと家に着いた頃、思い出したかのように降り出すんだ。
ここ最近天気は良好続きだったし、いつも見ている天気予報は外れないことで有名だ。
……だから、大丈夫。
恵留は鞄を机の上にどさりと置くと、ペンケースや持ち帰る分のノート達を入れ込んだ。
「あーあ。降っちゃった」
恵留は気の抜けた声を出した。窓の外に見えたあの黒い雲は、学校の上空に到達して雨粒を落とし始めたのだ。今日に限って日直だった。すっかり日誌のことが頭の中から抜け落ちており、ホームルームの後に担任に言われ慌てて書き始めたのだ。
「傘、ないのになぁ」
頬杖をつき、窓の外を眺める。自分以外の生徒は既に下校し、教室も暗い。独り言を呟いても拾う者はおらず、虚しさが残った。いつも一緒に下校する元季も残ると言ってくれたが、完全に頭から抜け落ちていた日誌は、一時間目から六時間目まで真っさらだったし、今日の出来事を記入する記事欄を書くのが苦手な恵留は、元季に先に帰るようお願いしたのだ。
しばらくすれば止むかと思ったが、念のためスマホで天気予報を確認すると、明日の朝まで降りっぱなしだという。
こればっかりは仕方ないか……。
恵留は諦めてペンを握り直す。書き途中の日誌の天気欄を曇りから雨に書き直した。
「あれっ。帰ったんじゃなかったの?」
職員室へ日誌を提出した恵留が昇降口へ降りると、元季が下駄箱に寄りかかっていた。その手には濡れたビニール傘を持っている。
「雨、降ってきたから」
「あー、ね。降られちゃった。俺傘忘れてさぁ」
「俺も」
そう答える元季だが、その手にはビニール傘がある。
「傘、あるじゃん」
「うん。今さっき買った」
すぐそこのコンビニで。そう続けた元季は傘の柄を指先でなぞった。制服の肩が濡れていて、コンビニに着く前に降られたのがわかる。手元の傘は確かに真新しく、コンビニのテープが柄に付いていた。
「あはは、本当だ」
恵留は自分のスニーカーを取り出す。
「それで、何か忘れ物?」
わざわざビニール傘を買って戻ってくるなんて、スマホでも忘れたのだろうとそう思った。しかし、元季は首を横に振り、自分のスニーカーを履き直す。
「メグも傘忘れた気がしただけ」
元季は顎で外の雨を指した。昇降口からも外の雨ははっきりと見え、その湿気で肌にしっとりした空気がまとわりつく。雨粒はさっきよりやや強めに降っているように見えた。
「ないけど……。えぇ、先帰って良いって言ったのに……」
「この間、メグも待ってたじゃん」
「そうだけどさぁ」
心臓がどくんと跳ね、顔が熱くなる。都合のいい解釈をしてしまいそうで、元季の顔を見ることができない。
たぶん、同じ天気予報を見ていただけなのだろう。自分と同じで、傘を持ち歩くのをただ面倒くさがった偶然の結果が、たまたま重なっただけだ。
そう自分に言い聞かせるが、余計に熱を帯びるだけで全く落ち着かない。
「ちょうど良いじゃん。入ってけば」
「えっ、い、良いよ。俺もコンビニで買うから」
慌てて首を振ると元季は眉を寄せた。
「もったいないだろ」
「元季が言う?それ」
恵留がくすくすと笑うと、元季も静かに笑った。しん、とした昇降口に雨音と二人の笑い声が響く。
「……じゃあ、駅まで入れて」
「家まで入れてく」
ムッとした顔で元季が傘を開く。雨粒が少し弾けて飛んだ。
「ならせめて俺が持つ」
恵留が手を伸ばすと、元季がすかさず手を引っ込めた。
「ダメ。これ俺の傘」
面白くなさそうな顔をされ、恵留は困ったように笑った。
「……分かった。じゃあ、お願いするけど……ちゃんとさしてよ」
「うん」
頑なに手を離そうとしない元季に負けて、恵留は潔く傘の中に入った。肘がぶつかる距離になんだか気恥ずかしい。
「元季」
「ん?」
「ありがとう」
「うん」



