巡る季節のその中で


 桜の開花がもう間も無くと迫った頃のこと。空気の澄んだ朝だった。恵留がリビングで姉と母と一緒に昼間からテレビを見ていると、リポーターの女性が桜餅を紹介し始めた。
『甘酸っぱくて、モチモチした食感が堪らないっ!それにたっぷり入った餡子のこの重量感、見てくださいっ』
 カメラがリポーターの手元に寄った。半分に割られた、桜色の柔らかい餅の中から甘い餡子がぎゅうぎゅうに詰まっているのが見える。
 うわぁ、甘そう……。
 元季なら数百個は軽いなぁと、思っていると、画面を見ていた母が何かに気がついた。
「あら、ここって」
「ん、お母さん知ってるの?」
 姉がコーヒーの入ったマグカップをローテーブルに置きながら尋ねる。
「恵留の学校近くの商店街じゃない?」
「え、そうなの?」
 姉は恵留の顔を見た。恵留は返事の代わりに首を傾げる。確かに見たことのある風景にも見えたが、家の最寄りの商店街にだってありそうな和菓子店にも見え、何とも言えない。
「分からない。そっちの方、あんまり行かないし」
「普段から周りを気にしないんだから」
 まったく、と付け加えながら姉は腕を組み、ソファーに深く腰かけ直す。そう言われても、学校最寄りの商店街なんて、行く予定の方が少ない。姉の返しに苛立つが、反抗したところで言いくるめられるのが関の山だ。
「でも美味しそうねぇ」
 母がボソリと呟くと、せっかく深く腰掛けたというのに、姉が身体を乗り出した。
「わかる!めちゃくちゃ食べたくなってきたぁ……!ちょっと、めぐ。お金渡すから買ってきてよ」
「え、今から?」
 急な無茶振りに恵留の声が裏返る。
「今、食べたいんだもん。アンタ定期あるでしょ?ほら、私の財布持ってきて!」
 財布まで持ってこいと言う姉をジト目で睨むが、さっさと持って来いと言われ、後が怖くなった恵留は、素直に姉の部屋へと向かった。



 まったく、人遣いが荒いんだから……。
 フード付きのジャケットを羽織り、玄関を閉めると恵留は溜息を吐いた。姉からは三千円の軍資金を手渡され、家族全員分の桜餅を買って来る命を受けた。確かに定期券内の場所かもしれないが、折角の何もない休日がなくなってしまった。恵留はもう一度溜息を吐くと、諦めたように歩き出す。外の風はまだ冷たいが、日差しはぽかぽかと暖かい。大きく伸びをすると、一気に冷たい空気が肺に取り込まれ、さっきまでの浮かなかった気分とズンと重かった足が少し軽くなった。
 まぁ、いっか。姉ちゃんが家にいるのももう少しだし……。
 もう数週間も経てば、姉は就職と共に家を出る。転勤はない企業のようだが、勤務地が県を跨ぐため一人暮らしを決めたのだ。最近は引越し準備で、断捨離だ何だと片付けを手伝わされることがあったが、こういう突発的なお使いを頼まれることは、もう数える程しかないと考えると多少は我慢もできた。
 せめてもう少し言い方を優しくしてくれるとありがたいんだけどなぁ……。一生直らないと思うけど。
 静かに口角を上げる。駅前の横断歩道の信号が赤になり、恵留は立ち止まった。すると、隣に見知ったモサモサ頭が並んで止まった。
「あれ、元季?」
「……メグ?」
 元季が眼鏡の奥で大きく目を見開いた。
「ビックリした、会うとは思わなかった」
「あはは。確かに」
「どっか行くの?」
「そ、不本意だけど姉ちゃんのお使い。今さっきテレビでやってた桜餅買って来いってさぁ……。知ってる?学校の近くの商店街らしいよ」
「あー……うん、知ってる。俺もさっき見てたから」
 すると、今度は恵留が目を丸くした。
「……もしかして?」
「そ。そのもしかして」
 くすりと元季が笑った。同時に信号が青に切り替わる。
「流石甘党おばけ」
「……馬鹿にしてると道案内しないからな」
「あはは、ごめんって」
 少しだけ早足になった元季を恵留は駆け足で追いかける。さっきよりも気分も足も断然に軽くなった気がした。


 学校の最寄り駅で電車を降りた二人は、学校に行く道とは反対の道を真っ直ぐ歩き、いつもとは違う桜並木を抜けてテレビで紹介された商店街へと辿り着いた。学校側にある商店街とは違い、錆が混じった古いアーチがどんと構えいる。シャッターの閉まった店の前を数軒通り過ぎると、テレビに映り込んでいた看板や八百屋などが見えてきた。その先を数分歩くと、あの桜餅が紹介された和菓子店なのだが、先に見えた長蛇の列に恵留は絶句した。
「うげぇ……やっぱ混んでる」
「テレビって凄いな」
 隣の店三軒ほどにもなる列が、その和菓子店から伸びている。もっと言えば、店の中には入るのに人数制限までされているようだった。テレビの影響がここまで凄いとは予想しておらず、唖然とする。しかし、ここに並んでいるほぼ全員がさっきまで家でテレビを見ていたと思うと、何だか笑えてきた。
「これ、買えるかなぁ」
「どうかね」
 苦笑いをしながら二人は列に並んだ。恵留は買えなかった時の予防策に、並んだところから写真を撮り、姉にメッセージを送る。すると、直ぐに返信が返ってきてそのメッセージに思わず溜息を吐いた。
「どうした?」
「買えなかったら、別の物でも良いってさ。どうしても餡子が食べたいんだと」
 恵留は呆れ口調で答えると、スマホの画面を落として、デニムのポケットにつっこんだ。
「大変だな」
「大変だよ。良いよね、妹ちゃんは。こんなこと言わないでしょ?」
 というか、元季の家族に家でゆっくりしている人をアゴで使ったりする者はいないだろう。上に姉や兄がいると、下は逆らう暇があるならさっさと行動に移すべしという、謎の家訓を幼い頃から背負わされるのだ。元季の家は長男が元季だし、妹も大人しそうな子だ。絶対こんな仕打ちはしたことがないだろう。恵留は勝手にそう思い込み、元季の顔を覗き込む。しかし、恵留の問いに元季は苦笑いを返した。
「妹だって結構我儘だったりするぞ。今日なんて、買ってくるなら私のもって。メグみたいに軍資金は一切ない」
「……隣の芝生は青いってやつ?」
「もう諦めたけど」
 二人は顔を見合わせて苦笑いを浮べると、列の中で小さく溜息を吐いた。



 一時間近く並び、ようやっと恵留達の番が回ってくると、店のショーケースの中は殆ど空っぽだった。テレビで紹介されただけあって、桜餅に関しては残り三つと中途半端な数が余っている。
「げ、マジか……」
 恵留は思わず元季の顔を見た。同じく元季も気まずそうに恵留の顔を見る。自分の家は最低でも五つ、元季の家は最低でも二つは必要だ。しかし、店主はもう今日の分の桜餅は出切ってしまって、これが最後だと言う。
「じゃあ俺いいよ。代わりにこっちの大福買うから。元季が買いなよ。残りの一個は半分こしたら良いし」
「え、でも」
「良いから、良いから。三つ買ったって姉ちゃんにどやされるだけだからさ。おじさん、俺こっちの大福五つね」
 元季を制し、恵留は店主に注文をする。袋に包んで貰っている間に、姉には買えなかったから大福を買いましたと、メッセージを送った。恵留が代金と引き換えに大福を受け取るのを元季は何か言いたげな眼差しで見る。
「ほら、早く買わないと」
「分かった」
 恵留に促されると、元季は桜餅を三つとそれから大福を五つ購入し、二人は和菓子屋を後にした。




「本当に良いの?」
「あはは、まだ言ってる。良いって言ってるじゃん」
 商店街を抜け、駅へと続く桜並木を歩きながら恵留は答えた。
「それにさ、俺はそこまで甘い物に執着ないし。実際姉ちゃんもそうなんだよね。学校から近いし、また来れば良いじゃん?」
 その時はまた付き合えよ、と恵留が言うと、元季は静かに頷いた。ぶわっと冷たい風が強く吹き、桜の枝を揺する。丁度二人の頭上の枝にも小さな薄桃色の蕾がちらほらと見えた。
「わ、もう咲きそうじゃん」
「もうすぐって言ってたな」
「そしたら花見しに来なきゃ」
「良いな、それ」
「まぁ、元季は花より団子だろうけど」
「食べながら見れば良いんだよ…………あ」
「ん?」
 元季は手に持っていた和菓子屋の袋の中に手を入れて、桜餅の入ったパックを取り出した。
「え、もう?まだ咲いてないんですけど」
 恵留のツッコミにも答えず、元季はそのパックから桜餅を一つ取り出すと、両手で半分に割った。
「はい」
「え?」
「食べながら帰れば丁度良いなって」
「丁度良いって何が」
 眉を寄せながら恵留は差し出された半分の桜餅を受け取る。
「証拠隠滅。うちは甘い物に執着のある兄妹なもんで」
「……なるほど?」
「それに」
 元季が直ぐ近くに垂れ下がる桜の木の枝を指差した。
「早咲きの桜、見つけたから」
 風が吹き、桜の木が揺れる。桜餅を元季から受け取ると、恵留は静かに笑った。


「満開になったら桜餅半分じゃ足りないな」
「花見に託けて食べ過ぎだって」
「次は弁当も持ってこよう」
「良いよ、唐揚げ入りね」
「大学芋も入れよ」
「うわ、それおかずに入んないやつ〜」
「大学芋は箸休めです〜」
 笑いながらもう間も無く開花する桜を見上げる二人。次もあるのだと、声には出さなかったが、その気持ちと一緒に、半分に分けた桜餅を噛み締めた。