時刻は午後二十三時。早々に年越し蕎麦を食べ終えた恵留は、自宅のリビングの炬燵でぼんやりと年末のテレビを見ていた。もう数時間で今年が終わります、何度目になるだろうこのセリフを司会者が言うたびに小さな溜め息が漏れ、スマホの画面を見つめた。
 もしかして、また?
 最早怒る気になれないのは去年待ちぼうけを食らったせい。元季と初詣に行く約束をしたのにも関わらず、寝落ちされたのだ。おかげで熱を出し、年明けは殆ど布団の中で過ごすという結果だったため、今年は元季から連絡をする約束をしたのだ。

「良い?二十三時三十分までに連絡来なかったら俺、絶対外出ないからね」
「分かった。ちゃんと今年は昼寝して起きれるようにしとくから」
「……絶対だからね」
「はいはい」


 はいはいって返事って、ちゃんと分かってないやつがするんだよな……。
 恵留は先日の会話を思い出しながら溜め息を吐いた。約束をしたのはクリスマス当日、ケーキ屋の外でホールケーキを売っている元季を覗きに行った時だった。サンタの格好をし、覇気のない声で客を呼び込んでいた姿にも唖然としたが、いつもより雑な返事にも驚いた。
 まぁ、仕事中に押しかけたのは行けなかったけどさ……!
 あれからまともに連絡を取っていない。年末年始に休みを貰うため、恵留もシフトを詰めていたのだ。別に喧嘩した訳ではないのに、自分から連絡するのも癪な気がして結局そのままだった。それに約束は約束だ。元季が意図して破ったことはない。昨年のは完全に不可抗力なのも分かっていた。
「もう直ぐ日付け変わっちゃうんですけどぉ……」
 姉も兄も恋人と新年を迎えると言って夕方から出掛けたし、両親も相変わらず仲良く出掛けるらしい。そろそろ行こうか、なんてダウンジャケットを二階の部屋に取りに向かった父親の背中を、ほんの数秒前に見たばかりだ。恋人同士とまではいかないが、元季とはだいぶ前から新年を一緒に迎えている。
「もーーーーっ」
 不貞腐れながらもう一度時計を見ると、期限切れまで残り二十分しかない。こりゃ、今年も一人初詣だな、なんて諦めかけた時だった。
 ピンポン、と玄関で呼び鈴が鳴ったのだ。こんな年の瀬で夜中に誰が来たんだと、父親が玄関口へと向かっていく。恵留は炬燵から出ると、リビングの扉からその様子を伺った。父親が目を細めてのぞき穴の向こうを見ると、やって来た人物を確認して恵留を呼んだ。
「え、俺?」
「お前以外に用があるわけないだろ」
 不思議そうな顔をし、父親が出掛ける支度をしに戻っていく。恵留が首を傾げながら玄関のドアを開けると、そこには元季が立っていた。
「も、元季?」
「ごめん、遅くなった」
 寒さで赤くなった鼻を擦りながら、元季が言った。家の温度に触れたせいで眼鏡も曇り、不恰好に見える。
「昨日の夜からスマホの充電忘れてた……」
「え?」
 すると、元季は堰を切ったように話し始めた。
「そのまま大掃除とかお使いとかして、戻って直ぐ昼寝したら、また充電忘れて……。連絡しなきゃって時に使えなくなってた。ごめん、それで今充電中で……」
「ふ、ふふふっ。なんだよそれ……っ」
 真剣な顔で話しをするため、恵留は思わず吹き出した。
「充電中って、俺に言ってどうするんだよ」
「……だって連絡するって約束したから」
「覚えていたなら良いって。待ってて、今支度して来る」
 玄関に元季を入れ、恵留はドタドタと二階の自室へと向かった。慌ててマフラーを巻いて、ダウンコートと貴重品を入れっぱなしにしているメッセンジャーバッグを取り、両親へ自分も出掛けることを伝えると、元季を引っ張って最寄りの神社へと向かった。
「てっきり忘れているのかと思った」
「忘れるわけないだろ。そのためにバイト先まで来たくせに」
 少し不機嫌そうに元季は返した。
「よく言うよ、俺の話適当に流したじゃん」
「それは……」
 元季が急に吃る。それもそのはずで、あの日は家族にすら見られたいとは思えない格好をさせられていたのだ。その辺のディスカウントストアで店長が買って来たサンタ服とサンタ帽は、長身の元季にはサイズが若干小さく、着るだけで違和感しかなかった。更に丈が合わないせいで隙間から冷たい風が入り込み、身体も強張って必要最低限喋りたいとも思えなかった。そもそも、恵留には特に見られたくないと思っていたから外売りのバイトのことは黙っていたのに、人の気も知らない恵留がクリスマスケーキを買いに来たのだ。本当は文句の一つでも言ってやりたかったが、客商売でそんなことは出来るわけがないし、冬休みのバイトがこれから毎日続くと分かっていたから、会えたことは嬉しかったのだ。要するに、あの不格好な姿を見られたことが気に食わなかったのである。
 元季が答えあぐねていると、恵留は眉をハの字に寄せた。
「まぁ、いいよ。ちゃんと来てくれたしね。早く行こう、絶対並ぶから」
 口振りはしょうがないと言っているが、元季に見えないよう恵留はこっそりとマフラーで口元を隠した。どうしても上がってしまう口角を誤魔化しながら、とにかく急ごうと元季を急かした。


 案の定、最寄りの神社は長蛇の列だった。夏祭りに来ていた人数とは偉い違いで、かなりの人口密度とも言える。二人は急いで拝殿に続く列へ並ぶ。押しつぶされそうになりながら、恵留はバッグからスマホを取り出した。
「あっ、やっぱり」
「なに?」
 恵留はスマホの画面を元季に見せた。時刻はいつの間にか年を越し、新年を迎えていた。
「あ、越してる」
「ね……。あ、明けましておめでとうございます」
「明けましておめでとうございます……って、ここで言う?」
「だって、明けちゃったもん」
 ケラケラと笑い、恵留はスマホをもう一度鞄へしまった。後ろを振り返ると、つい「うわぁ」という声が漏れた。まだ全然最後尾の方が近いが、どんどん二人の後ろにも列が出来始めている。
「暖かい飲み物でも買ってから並べば良かったなぁ」
 手を擦り合わせながら恵留が言った。深夜ともなれ気温がぐっと下がる。雪でも降るのではとふざけて言うと、元季が笑って「まさか」と答えた。
「甘酒なら配ってるみたいだけど」
「でもお詣り終わらないと貰えに行けないでしょ」
「……確かに」
 今年初の元季の天然発言を目にした恵留はくすくすと笑う。すると、数歩ほど列が進んだ。意外にも列の進みが早いらしく、甘酒も意外と早く貰える可能性が出て来たようだった。


 並び始めて二十分ほど経った。後二組が終われば自分達の番だ。恵留と元季はお賽銭を手に準備し、順番を待っていた。
「元季はもうなにお願いするか決めた?」
「学業成就。今年から受験生なもんで」
「偶然。俺もなんだよね」
 当たり前な会話をふざけながら交わす。恵留は元季の口から出た受験、という単語を反芻した。そうだった。来年はこの時間すら惜しんで机に齧り付いている可能性があるのだ。急に見たくない現実を突き付けられた感じがし、気分が下がる。来年はこうして一緒に年を越せているとは限らないと思うと、妙に胸がざわついた。
「メグ」
「えっ」
「俺らの番」
 恵留は慌てて元季の隣に立つと、賽銭箱に小銭を投げた。二礼二拍手一礼を数回頭の中で繰り返し、二拍手の後に手を合わせる。神様相手に欲をかいてはいけないと分かっていながら、恵留は学業成就の他にも一つお願い事をした。
 一礼を終え、顔を上げると元季はすでに列から離れた所に立っていた。
「長かったな。もしかして欲張った?」
「良いんだよ、あとは俺の努力次第だから」
「そっか」
 元季が小さく笑う。
「実は俺も少し欲張ってきた」
「あ、分かった。この間行きたがってたスイーツビュッフェの当選だ!」
「違う。まぁ、それも春休みには行きたいけど」
「じゃあ、なに?」
「……秘密。メグには言わない」
「意地悪っ」
「意地悪で結構。言ったら叶わないって言うだろ。あ、ほら甘酒」
 話を逸らした元季は甘酒配布のテントを指差した。テントの方へ顔を向けると、まろやかで甘い麹の香りが鼻へと抜ける。
「貰って来ても良い?」
「どうぞ」
 さっきの返しが全く面白くない恵留は、唇を尖らせる。その顔を見て、元季はまた静かに笑うと、テントの方へと歩いて行った。
 なんだよ、俺には言わないって……。
 不貞腐れたまま、甘酒を貰う元季の背中を見ていると、両手に甘酒を持った元季と目が合った。
「メグ、あっちにおみくじあるって」
 両手の塞がった元季が首を頭を揺らして方向を教える。トレードマークのようなモサモサ頭が大きく揺れるのが、物凄く笑えてきて恵留は思わず吹き出した。
「分かったって、今行くからそれやめて!」




「元季、何だった?」
「小吉。メグは?」
「大吉!」
「……意地悪したからだ」
「あはは。もう良いよ、叶えたいお願いなんでしょ」
「まぁ、うん」
「それよりさ、ラーメン行こうよ」
「え、今から?」
 きょとんとする元季の腕を恵留は強引に掴む。
「年越しそば食べたんじゃないの?」
「並んでたらお腹空いたんだよ。それに、行こうって言ったのそっちじゃん」
 頬を膨らませ恵留が言うと、元季はぶはっと噴き出した。
「……ケーキより罪悪感大きいんですけど」
「あはは、それはそうかも」