『春ってさ、みんなが上を向く季節だよね』
『桜を見上げるとき、澄み切った空を見上げるとき、飛び立つ鳥や蝶を見上げるとき、別れの涙を乗り越えるとき』
『はるちゃんもそう。どんな悲しいことがあって俯いていても、隣にいるはるちゃんと目を合わせようとすると自然と上を向かされちゃうんだよね。だってほら、はるちゃん大きいから』
『だからね、私は春っていう季節もはるちゃんも大好きなんだよ』
ひとりでぺらぺらと語っていたかと思いきや、突飛な暴論で締めて満足そうに笑った幼なじみ。その笑顔はいつだってムカつくくらいに眩しく俺を照らしていた。
最愛であり、唯一の弱点。それはたったひとりの幼なじみだった。
『おっも……』
背中におぶった瑠果の体がずり落ちそうになり、軽く弾みをつけて背負い直す。その反動で、頭の上からぱらぱらと雪が落ちた。
高校からの帰りのバスで寝落ちた瑠果は、何度揺すり起そうとしても目を覚まさず寝息をたて続けた。一度寝たら滅多なことが起きない限り腹が空くまで起きないことを痛いほど知っている俺は、起こすことを早々に諦めておぶってバスから降りた。
午前中の授業が終わり、昼休みに窓の外を見た頃には、すでに雪が降りだしていた。
バス停までは瑠果が折り畳み傘を差してくれていたけれど、瑠果が寝ているため今はそれもない。しんしんと降り積もる雪の中、すっかり白く染まった歩道を歩いていく。
『いつの間にこんなに重くなってんだよ……』
つい小言がもれる。
物心ついた頃からずっと一緒にいるけど、瑠果をおぶったことなんて記憶にはほんの数回しかない。最後におぶったのはおそらく小学生の頃。それから10年近く経ち、成長しているのは当然のことだけど、小言のひとつでも吐いてやりたくなったのだ。
あとで絶対なにか奢らせてやる。死んだ目でそう誓ったとき。
『はるちゃんっ! 見て、ペンギンが空を飛んでるっ』
突然背中で瑠果が声を上げる。『は?』と一瞬驚くも、間もなく寝息が聞こえてきた。どうやら寝言だったらしい。
どんな夢を見ているんだか。馬鹿だなと思うと、自然と笑みがこぼれた。
そのとき、突然心臓にひびが入るような鋭い痛みが走り、思わず顔を歪めて立ち止まった。
『……っ』
歯を食いしばり体を丸め、なんとか痛みをやり過ごそうとするけれど、痛みは蜘蛛の巣のようにその毒を巡らせ俺の体を蝕もうとする。
『……はあ、はあ……っ』
体に力を込めて息を止めていたせいで、呼吸が乱れる。
瑠果をおぶっているのに、こんなところでくたばるわけにはいかない。自分の体に鞭打ち、痺れを伴って尾を引く痛みを振り切って無理やり足を踏み出す。
まるで瀕死の虫けらが地べたを這いつくばっているみたいだと思うと笑えてくる。なんて無様なんだろう。
『お前のことさえおぶってやれねえのな……。ださ』
白い息と共に、自嘲に染まった声が落ちた。
最近、症状が現れる頻度が増えてきていた。
俺はどの道多分そんなに長くは生きられない。瑠果を置いて死ぬことになる。
『はるちゃんがいれば他になにもいらない、だから死なないではるちゃん……っ』
いつかの瑠果が放ったその言葉はまるで呪いのようだった。
我ながらろくでもない幼なじみだったと思う。欠陥だらけの空っぽな人間だ。ずっと自分のことが嫌いで憎かった。弱くて役立たずの身体も、碌でもない親と同じ血も、涙ひとつ流すこともできない冷え切った心も。
だから瑠果の想いを知りながらはぐらかし続けてきた。触れたらこの手で壊してしまいそうで、ずっと壁を崩さないように接してきた。
それでも瑠果は俺のすべてを受け止めて、隣で笑ってくれる。
ガラクタだらけの理不尽な世界で輝く宝物。お前がいれば他にはなにもいらない。
瑠果が笑うたび、俺の名前を呼ぶたび、この胸が疼いて生きていることを実感した。瑠果がいなければ、きっとすべてがどうでもいいと自棄になって、こんな命なんて簡単に放り出していただろう。俺を引き留めてくれていたのは他でもない瑠果の存在で、この命はお前の笑顔のためだけに在るようなものだった。
歩みを進めながら、ついと顎の先を持ち上げて空を見た。白と灰色の混ざり合った空から天使の羽根が絶え間なく降ってくる。
俺が死んだらきっとお前は泣くのだろう。大っ嫌いなあの泣き顔で、俺の名前を呼ぶのだろう。だけどお前が泣くとき俺はもう隣にいてやれない。
だから瑠果、俺のことは過去にして置いていっていいよ。ふたりで過ごした日々も、お前の初恋も、永遠に俺のものだから。俺だけが知っていればいいから。
『どんなに遠く離れても、心だけはずっと繋がってる』
寝ている瑠果に、そして自分に言い聞かせるように呟く。
たとえこの体が朽ちようと、想いはきっと死なない。
ほんのたまにお前が俺のことを思いだすとき、俺もまたお前のことを想ってるよ。
『いつでもお前の幸せを願ってる。……好きだよ、瑠果』
こんな俺に愛を教えてくれてありがとう。
行き先のない告白は、白い靄となって痛いほど冷え切った空気の中に消えていく。
今夜には雪が積もり重なり、俺の足跡はあっという間に埋もれて消えるだろう。
ゆっくりと、けれど立ち止まることなく歩みながらふと、肩の辺りがじわりと温かくなるのを感じた。どうやら寝ながらよだれを垂らしているらしい。
『ったく、お前は……』
人知れず苦笑しながら、小さくて温かいこの愛おしい宝物が幸せな夢の中を微睡んでいられますようにと願った。
◻︎Fin

