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校舎を出て校門前に向かうと、そこでスマホを触っている彼の姿を見つけた。
「朔良先輩!」
声をかけると、校門前の外壁に寄りかかっていた朔良先輩が顔を上げて笑む。
「お疲れ、山下」
「ほんと疲れた~」
疲労を表すように脱力して見せながら、帰路を歩き出す。
「みんな私を心配して声をかけてくれたり、少し遠くで見てたり、なんかこう腫れ物に触れるような感じでね、それは想像してたから割り切れたんだけど。でもやっぱりクラスの中ではもうグループとか関係性ができあがってて、あんまり馴染めなかったかな」
「そっか……」
「まだ初日だからね! これから頑張るよ!」
「ああ。でもとりあえず初日頑張ったな」
威勢よくガッツポーズを作った私を、朔良先輩がどこか嬉しそうに見つめる。そんな眼差しになんだか照れてしまって、私はへへ、と小さくはにかんだ。
「でも少し気楽なんだよね。今までは人の顔色窺って愛想よくして、友達はなにがなんでも作らなきゃだめだって思ってた。だけどこう言うのもなんだけど、高校の友達なんて大人になっても関係が続く人なんてそうそういないんだよなって。中学のときの友達だって今でも連絡とってる子なんて数人だしね。友達が多ければいいわけじゃない、それよりもひとつひとつの縁を大切にしたい、そう考えたら気が楽になったの。ちょっとだけ柔軟になれたんだよね」
長い直線となっている並木道に差し掛かる。葉の隙間からまばらな光がきらきらと私たちに降り注ぐ。
するとそのとき。
「俺も、報告」
朔良先輩が澄んだ真っ直ぐな声で空気を切り裂いた。引き寄せられるように朔良先輩を仰げば、朔良先輩はその横顔に光を受けながら一息に告げた。
「俺、医者になろうと思う」
「え、本当?」
思いがけない告白に目を見張る。だって朔良先輩が将来の弁護士として周囲の期待を一身に背負っていることを知っていたから。
それと同時に新鮮な驚きを覚える。朔良先輩の横顔はこんなに凛々しかっただろうかと。
「小さい頃から父親の弁護士事務所を継ぐように言われ続けてきた。俺もそれが当然の未来なんだと思って、反発はしても心のどこかでは受け入れてきたんだ。でも未来は自分で変えられるんだよな。だから親が敷いたレールじゃなくて、自分で望む未来を選びたいと思った。俺は医者になるよ、そして一ノ瀬みたいな患者をひとりでも多く救いたい」
「朔良先輩……」
法学部を目指すために文系だった朔良先輩が理系のクラスに進んだことを不思議に思っていたけれど、これで合点がいった。朔良先輩は将来と向き合い、こんなにも大きな決心をしていたのだ。
「親の説得も含めて簡単な道じゃないことはわかってる。でもやってみるよ。俺、意外と頑固なんだ」
「波琉くんも喜ぶよ、絶対」
ここに波琉くんがいたらどんなによかっただろう。
未来は変えられる、それを体現しようとしている朔良先輩をきっと誇らしく思っているはずだ。私がそうであるように。
「朔良先輩なら大丈夫。自分では気づいてないだろうけど、朔良先輩は私の太陽であり希望なんだよ。揺らぐことなく実直に私の心を照らしてくれる。そんな強さを持った朔良先輩を、私はだれより信じてる」
言葉に実感がこもって、透明な声の芯が質量をはらむ。
……でも、だからこそ、私たちの関係は潮時なのかもしれない。波琉くんが亡くなったあの日の事故をなんとか乗り越えて、私たちは多分ひとりでも立てるようになった。朔良先輩といる口実はもうなくなったのだ。
このままなし崩し的に一緒にいたら、私はきっとまた守られてばかりだし、朔良先輩の自由を奪い続けてしまう。隣に私がいつまでも居座るわけにはいかない。
幼なじみの親友、親友の幼なじみ。その関係性に戻るときがきたのだと思う。
頑張れ、そう言って新しい夢に向かう背中を押してあげなきゃ……。
そのとき、不意に朔良先輩が足を止めた。
「なあ、山下。変なこと考えてるだろ」
「え?」
まるで心の内を読まれたような指摘にびくっと肩を震わせて振り返れば、くっきりとした瞳に温度を込めて朔良先輩が私を真っ直ぐに見つめていた。いつもの朔良先輩のはずなのに大人びていて、心臓が重い音をたてて揺れる。
日差しがその輪郭をくっきり映し出す中、朔良先輩はずっと心の中にしまっていたのであろう感情を壊さないように言葉にしていく。
「一ノ瀬が死んでからずっと、山下のために俺が一ノ瀬になれたらって思ってた。でも代わりにはなれないし、今はなろうと思わない。だって俺は俺の方法で、この手で山下のことを幸せにしたいから。俺にしかできないことがあるはずだから」
ざああっと頭上で葉が揺れる。
「一ノ瀬のことは俺だって忘れられない……忘れたくない。だから山下の中で一ノ瀬を超える存在になってみせる」
そして朔良先輩は私の意識を奪ったまま唇を動かし、世界で一番尊い言葉を紡いだ。
「好きだ、山下」
世界中の音が止まった気がした。刹那には理解できなかったはずなのに、鼓動は瞬時に悟ったかのようにどくどくと暴れ出す。
「え……?」
朔良先輩が私のことを……?
朔良先輩の言葉が胸の中で熱を帯びる。
突然の告白にパニックになる頭の中を、不意に朔良先輩が私に贈り続けてくれた言葉たちが巡った。
――俺は同情だけで山下と一緒にいるわけじゃない。
――無理をする山下を見ていたくない。胸の中に重いものがあるなら、少しでもいいから俺にくれないか。
――どれだけ時間がかかっても俺は山下の隣で待つ。哀しみに無理やり強くなろうとするな。
――だから結局なにが言いたいかって言うと、……大丈夫だ、俺がいるから。
――少しくらい立ち止まったっていいだろ。生きてる限りいつだって取り戻せる。それにもし迷っても、そのときは俺が手引っ張ってみせるから。
――言っただろ、俺がいるって。もしその先になにも見つからなくても、そんときは一緒に思いっきり泣こう。
――曲がったことが嫌いで、いつだって自分に正直な山下がかっこよくて、俺も山下みたいになりたいって思った。
これまで積み重ねられた朔良先輩の言葉が、私を見つめてくれていた眼差しが、混線しかけていた私の思考を落ち着かせていく。
愚図な私をめげずに何度も引っ張り上げてくれた。私の道標になってくれた。
いつしかあなたの眼差しの先が、私の居場所になっていた。
「俺の人生に山下が必要なんだ。これからは俺のために生きてほしい。俺が山下の笑顔を守るから」
「……っ」
あまりに直向きな想いを向けられ、胸を打たれる。心が震える。
愛おしさが込み上げ、そしてそれは涙となる。
私なんかが隣にいてもいいのだろうか――何度も自問したそれが愚問であったことを、朔良先輩が教えてくれた。
大切な人。会いたい人。守りたい人。
そして暗闇に突き落とされ生きる意味を失った私に、この感情を再び授けてくれた人。
「私っ……」
ぽろぽろと涙が転がり落ち、私はへにゃへにゃになりながら、声を振り絞った。
「あなたのために生きたい……っ」
胸に生まれた温かい感情が体中を満たしていく。
両手で必死に涙を拭う私を、朔良先輩が優しく抱きしめた。私を包む自分のものではない温度が、ひとりではないことを教えてくれた。
「もうすぐ夏が来るね」
「ああ、そうだな」
桜が散って青々とした葉を茂らせた木々を見上げれば、朔良先輩も頭上を見上げて穏やかに微笑んだ。
夏も秋も冬も、これからずっと。止まることなく巡っていく季節を、私はこの人と共に過ごしていくのだろう。
ねえ、波琉くん。私の隣には今、大切にしたい人がいるよ。
波琉くんは永遠に17歳のまま、私だけが歳を重ねていく。君が迎えることができなかった未来を、春の陽だまりを抱いて生きていく。
人より少し歩くのが遅いかもしれないけど、のんびり踏ん張りながら歩いていくよ。だからまた会えたらそのときは、頑張ったねって言ってね。
人生は激流のようだ。今日という日もあっという間に過去になるのだろう。
過去ばかりを振り返って留まり続けるのではなく、そしてまだ見ぬ未来に怯え続けるのではなく、今の自分を見失わなければいい。今この瞬間を大切に生きていきたい。
「明日、喫茶店で超辛いナポリタン食って、海行こうか」
きっと同じ人を思っていただろう朔良先輩の提案に、私は笑顔で頷いた。
「うん……!」

