【完】さよならの向こうで待つ君へ




『高校2年生男子生徒⠀海に投身自殺か
――また事故当日には、母親のスマホに男子生徒から自殺を仄めかす内容の留守電が入っていたことも明らかになった。――』

 ネットニュースを開いたままのスマホを持つ手が、だらんとベッドから落ちている。
 暗い自室の中、私はベッドに寝転び、焦点の合わない目でぼんやりと天井を見つめていた。

 私は過去を変えることができなかった。指の事故を防ぎ、原因は取り除くことができたはずなのに、私はなにを間違えてしまったのだろう。

「波琉くん……」

 さっき握った波琉くんの手の温もりが、どうしても思い出せない。あれはあくまで去年10月の私、そして10月の波琉くん。"今"に波琉くんはいない。

 ふと視界の端でなにかが光って、時間をかけながらのそりとそちらに顔を向ける。その先には勉強机。そこに置かれたCDケースが目に留まる。
 ケースが反射して光ったのだろう。でもあんなところにCDなんて置いていただろうか……。

 ベッドから起き上がりCDを手に取る。と、息をのむ。CDには見覚えのある筆跡で"私の光のために"と殴り書きの文字が並んでいた。この斜めった字は間違いなく波琉くんの字だ。
 そのとき突然脳内に記憶が流れ込んでくる。

『このデモやるよ。失敗作でコンテストにも出せないから』

 このCDを作り渡してきたのは、そう――波琉くんだった。
 あれはたしか10月の終わり頃。通学路の道端で唐突に渡されたのだ。

『え、いいの!? っていうか波琉くんが作った曲ってこと?』
『まあね』
『すごい……! 初めてだよね!』
『そんな大したもんじゃねえよ』
『そんなことないよ! 今度弾いて聴かせて!』
『絶対やだ』
『えー! なんでっ?』
『うるせえよ。黙って受け取れっての』
『もう……。でもこのCDたくさん聴く! いっぱい聴くね!』

 はしゃぐ私に、『ん』と優しく微笑んだ波琉くん。
 なかったはずの記憶。けれどどこからか突然湧き出た記憶が、それまでも頭の中にあったことが当たり前のように馴染んでいる。
 これはきっと、過去を変えたことで得たもうひとつの記憶だ。そうだ、あの日指に怪我を負わなかった波琉くんは、あれからもピアノを弾き続けていた。

 お母さんから譲り受けたものの長らく使っていなかったはずのCDプレイヤーが、なぜか机の横の棚の上に置いてあった。
 逸る気持ちを抑えながらCDをセットして、わずかに震える指で音楽再生機器の再生ボタンを押す。
 すると静寂を押し流す波のように、ピアノの音が流れ込んできた。なめらかで清らかで澱みなく、この世の汚いものすべてを洗い流していく美しい奏で。

 とても優しくて温もりのある曲だった。陽だまりに包まれているような気持ちになる。波琉くんにとっての光は、こんなにも温かく眩しく、少しだけ泣きたくなるものだったのだ。
 そしてなぜだろう、泣かないで、笑っていてと、ピアノの音にそう語りかけられている気がする。
 瞼を閉じれば、このCDの向こうでピアノを弾く波琉くんの姿が見える気がした。
 波琉くんが軽やかに滑るように鍵盤を叩く。そうして生まれるこの一音一音が波琉くんが生きていた揺るぎない証だ。

 気づけば、涙が音もなく頬を伝っていた。

「波琉くん……」

 波琉くんが死ぬという過去は変えられなかった。けれど小さな小さな過去は変えることができたのだろうか。