【完】さよならの向こうで待つ君へ




 あれから何度も朔良先輩と手分けをして鏡について聞き込みをしているけれど、めぼしい情報はいまだ得られていない。
 そうするうちに私は3月も終わりの春の日に誕生日を迎え、波琉くんと同じ17歳になった。
 それに加えて新年度が始まり、不登校でいる私もまた2年生へと進級した。引き続き担任は小谷先生で、ナナとリンカとはクラスが別れた。

 小谷先生からは相変わらず毎週電話がかかってきて、私を登校させるための説得は続いている。見捨てないでいてもらえることはありがたいことだとわかっている。けれどその連絡がプレッシャーになっていることをきっと小谷先生は知らないだろう。
 いつもはお母さんが電話に出ているけれど、今日はお母さんのパートの時間中に家の電話が鳴った。小谷先生への恐怖心がないかと言われれば嘘になるが、彼の存在が私の乗り越えるべき壁だともわかっている。だから意を決して電話に出たのだった。
 やはり小谷先生には学校に来るよう促され、だけどまだもう少し時間がかかりそうだということを伝えた。電話を終える頃には、受話器を持つ手がひどく汗ばんでいた。それでも最後まで会話を成立させられたことは私の中での大きな一歩だった。

 すると夕方、パートから帰ってきたお母さんが開口一番、厳しい顔で問いかけてきた。

「瑠果ちゃん、小谷先生からの電話出たの? 着信履歴にあったんだけど」

 リビングでとりこんだ洗濯物を畳んでいた私は、何事だろうと驚きながら頷く。

「うん、出たよ。少しだけ話した」

 するとお母さんは腰に手を当て、ため息を吐き出す。

「学校からの電話なんて出なくてもよかったのに」
「え?」
「瑠果ちゃんがあんな先生と話すことなんてないわよ。代わりにお母さんが話してあげるから」
「でも私ちゃんと話せたよ……?」
「お母さんは瑠果ちゃんのことを心配して言ってるの」
「うん……」

 そう言われたらなにも言えなくなってしまう。どう答えるべきか咄嗟に判断できず、曖昧な笑顔で頷く。
 そっか、頑張ったねって言ってほしかったな。そう考えてしまうのは傲慢だろうか。

 お母さんが夕食の支度を始め、キッチンから水を流す音と調理器具が鳴らす金属の音が聞こえてくる。
 ぼうっと濁った思考でタオルを畳みながら、ふと朔良先輩のことを思った。朔良先輩は今頃なにをしているだろうかと。
 朔良先輩とは喫茶店を訪れて以来、2週間ほど会えない日々が続いていた。

 私たちの通う高校では、毎年春に進路決定に向けて実力考査試験が行われる。後に大きく響いてくる重要な試験だ、それに備えるためにも会うのはしばらく控えようと私が連絡したのだ。
 朔良先輩は弁護士になり、いずれはお父さんの事務所を継ぐのだろうと風の噂で聞いたことがある。朔良先輩には輝かしい将来がある。それを、ぼんやりとした将来すら見えていない私なんかが邪魔していいわけがない。

「朔良先輩、元気かな……」

 ぽつりと呟いた声は、だれに届くでもなく空気に溶けて消えた。

 朔良先輩に会いたい。2週間しか空いていないのに、ひどく長い間会えていない気がする。
 最初はもしかしたら、波琉くんの代わりだったのかもしれない。波琉くんがいなくなってぽっかり空いた心の隙間に朔良先輩との時間を無理やり嵌め込んで、寂しさを塞ごうとした。ひとりでは耐えられない空虚さをやり過ごすために朔良先輩に会いに行った。
 けれど今は違う。私にとって波琉くんと朔良先輩はまったくの別物で、ただ朔良先輩が隣にいてくれるだけで、それだけでよかった。

 そのとき、突然テーブルの上に置いていたスマホが音をたててメッセージの着信を知らせた。メッセージの送信者は朔良先輩だ。

【突然悪い。外に出てこられるか】

「え?」

 メッセージに目を通した私は、思わず声をもらす。
 もしかして朔良先輩が家の前にいるのだろうか。

【どうしたの?】
【山下に会いに来た】

 短くて、けれど濃いその一言に、どきんと鼓動が跳ねる。
 なにか用だろうか。話があるとか……?

【ちょっと待ってて】

 素早くレスポンスを送ると、私はキッチンにいるお母さんに声をかける。

「お母さん、ちょっと出かけてくる!」
「えっ、急にどうしたの?」

 お母さんの声が聞こえてくるけれど、それに答える余裕はなかった。
 急いで部屋着からパーカーとロングスカートに着替える。衣替えができていないため季節外れ感は否めないけど、気にしている暇はない。ばたばたと慌ただしく家を飛び出すとやはり、塀の前にその姿はあった。

「朔良先輩……!?」

 朔良先輩は制服姿だ。時間から考えても、下校途中に家に寄ってくれたのだろう。

「悪いな、急に呼び出して」
「ううん、全然! 暇してたし。でもどうしたの?」

 すると朔良先輩はふわりと微笑んだまま一言。

「会いたかったんだ、山下に」

 あまりにさらりと放たれた言葉に思わず固まる。

「えっ……? 朔良先輩、熱でもある?」

 額の温度をたしかめようと伸ばした手を朔良先輩が掴み、呆れたようにつっこむ。

「こら。俺は正気だ」

 ……そうだとしたら、そんな真面目な顔で言わないでほしい。今日の朔良先輩はなんだか変だ。

 けれどそんな真剣な朔良先輩に引っ張られるようにして、ぽつりと声がこぼれる。

「朔良先輩って魔法使いみたいだよね」

 だってちょうど今、朔良先輩のことを考えていたんだよ。
 朔良先輩はいつも私がほしい言葉をくれる。そして会いたいと思ったときに会いに来てくれる。

「私も会いたかったの。だから会いに来てくれてありがとう、朔良先輩」

 温かい気持ちが心から溢れて、それはありのままの笑顔になる。
 すると朔良先輩は小さく微笑み、そしていつもよりもどこかしっとりとした声音で私を誘った。

「ちょっと歩かないか?」
「うん」