【完】さよならの向こうで待つ君へ





 ――お前はほんと、俺がいないとだめだね。

 そうやって笑った君は、私を置いていってしまった。



【昨夜、高校1年生の女子生徒が校舎から転落し、その場で死亡が確認されました。近くには遺書のようなものがあり、警察は自殺と見て調べを――】

 ぶつんっ。ニュース番組が流れていたテレビ画面が、突然消えた。
 はっとして振り返れば、そこにはリモコンをテレビに向けたお母さんが厳しい顔でそこに立っていた。お母さんは私と目が合うなり、わざとらしい気丈な笑顔を作る。

「瑠果ちゃん、早く朝ごはん食べちゃってね。お味噌汁が冷めちゃうわ」
「……だね!」

 私はなににも気づいていない鈍感なふりをして、お茶碗によそった白米を元気よく口に運んだ。
 時刻は10時。普通の学生ならもう登校している時間に、私は寝ぐせをつけてパジャマのまま食卓についていた。
 高校2年生の冬、私は学校に行かなくなり、その生活は3か月にも及んでいる。世間はこれを不登校と言うのだろうし、クラスメイトや近所の人にもそう認識されているはずだ。
 山下瑠果(やました るか)、16歳。私は社会の外れものだ。

 お母さんが11時からのパートに行くのを見送ると、私は階段を駆け上がって自室に戻った。本当は一秒でも早く自室に逃げ込みたかったけど、お母さんを心配させたくなくて気を張っていた。
 倒れ込むようにベッドに横になって、ぎゅうっと背筋を丸めて膝を抱える。

「波琉くん……」

 白いシーツの上に、声がこぼれた。あの日からなぜか透明になってしまったその名前が。

 脱色した白銀の髪もピアスも、制服の気崩しも、全部校則違反。悪目立ちにも程があるその姿は、今でも瞼の裏に焼きついている。それに何気ない仕草や表情も。だって私は365日、彼を見つめていたのだから。

 一ノ瀬波琉(いちのせ はる)は、1歳年上のたったひとりの幼なじみだった。
 同じアパートで生まれ育ったこともあり、小さな頃から私の隣にはいつでも波琉くんがいた。小学校高学年のときに私たち家族はマイホームを建てアパートを出たけれど、引越し先は同じ地区内だったため交流は高校生になっても続いた。

 傲慢で無慈悲で傍若無人。まわりを見下すような軽薄な態度から、男子たちからはいけ好かない奴だと嫌われていた。全然いい人なんかじゃない、むしろ嫌な奴。
 けれど自分でも持て余すほどのカリスマ性に満ち、どこにいても人の目を引いてやまなかった。彼の存在は乱暴なほどに眩しかったのだ。
 そんな波琉くんは私にとって唯一無二のヒーローで、私の世界になくてはならない存在だった。

 小さい頃から体が弱く、心臓病を患っていた波琉くんは、外で遊べない代わりにピアノの才覚を現した。
 独学ながら、コンテストではまるで大人がままごとでもしているかのようにほしいままに優勝を掻っ攫っていった。
 その異例な経歴と、ピアニストには似つかわしくない素行や見た目から音楽界の異端児とも呼ばれ、眉を顰める人もいたけれど、無骨な振る舞いとは裏腹に波琉くんが奏でるピアノの音は信じられないほどに美しかった。優しくて澄んでいて、泣きたくなるような儚さ。波琉くんの奏でる音色は唯一無二だった。
 私は波琉くんのピアノを聴いているときが一番幸せだった。

 小さい頃からずっと隣にいて、これからもその日々は当たり前に続くと思っていた。けれどそれは盲目な思い上がりだったことを知る。──波琉くんが遺体で見つかったと、学校で担任から知らされたそのときに。

 波琉くんを喪い、私の日常は崩壊した。
 数日休み、それから久々に登校した日、SHR前の教室で嘔吐した。以来、私はずっと自室の小さな小さな空間に引きこもっている。
 外に出れば、目に映る景色のどこにだって波琉くんの面影がある。それがたまらなく怖い。昏く深い喪失感と哀しみに向き合うのが、怖くてたまらないのだ。

 飄々として風のように自由気ままな君は、だれの手にも掴まらないまま空の星になった。憎らしいほど眩い光を放って、輝いているのだろう。

 ――なんで私を置いていったの。寂しいよ、波琉くん。