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「なんか都会って感じだねえ」
「地元に比べたら辛うじてって程度だけどな」
「え~? そんなことないって」
電車を降りて、朔良先輩について街中を歩く。
私は未踏の地に、きょろきょろ視線を巡らせる。
マンションが多いし、数分歩いただけでコンビニはすでに2軒も現れた。海に囲まれ、野良猫がふらふらと歩いているような田舎町とは、電車で十数駅しか離れていないというのにまるで世界が違う。
街を歩きながら、朔良先輩が街案内をしてくれる。
「あそこのネコカフェ、超人気なんだ」
「へえ」
「キジトラのむぎこ、全然懐かないけど可愛くて」
「待って、見てないけど朔良先輩とネコの相性すごくいい……! 癒し光景すぎる……!」
「ふは、なんだよそれ」
ネコカフェにいる朔良先輩を想像して思わずとろけそうになる。きっと朔良先輩はネコにもモテモテで、まわりに集まったネコたちはお腹を見せてごろごろと甘えるのだろう。
「朔良先輩はよくここに来るの?」
「ああ。小さい頃からひとりで伯母の家に遊びに行ってた」
「ひとりで?」
「そうだよ。俺にとっての居場所だったから」
伯母さんのことを話すときの朔良先輩はいつもとはまた違う温かさを纏っているようで、伯母さんに心を許していることが伝わってくる。
10分ほどで着くだろうと言われていた距離を、たっぷり時間をかけてのんびりふたりで歩き、住宅街が見えてきた。
いざこのときが来たのだと思うと、私は風に吹かれながら寒さと不安に首を竦めた。
「緊張してきた……」
「そんな心配しなくても大丈夫だって。ほんとに優しい人だから」
朔良先輩が私の緊張をほぐすようにくすりと笑う。
「でもなにか少しでも進展あるといいよな」
「うん」
そして住宅街の端、ここだと朔良先輩が指さした先には、庭付きの2階建ての家がそびえていた。
肩あたりまである黒い門を朔良先輩が開けたとき、「朔良?」――庭の方から女の人の声が聞こえてきた。
朔良先輩と共に声がした方に顔を向ければ、花壇の前にしゃがみこんでいた女性が立ち上がる。
「ゆき子さん」
「いらっしゃい、待ってたのよ」
ガーデニングをしていたらしく土だらけの軍手を外しながらにこやかな笑顔を浮かべる彼女は、50代半ばほどと聞いていたけれどそうは見えないほど若々しい。
朔良先輩の言うとおり優しそうな人だ。ふわりとしたボブヘアに、ナチュラルな美しさ。その中には気取らないチャーミングさも同居していて、初対面なのに一気に心を掴まれる。
彼女は私に向き合うようにして微笑んだ。
「初めまして、あなたが瑠果さんね。朔良の伯母のゆき子です。いらっしゃい、会いたかったのよ」
ゆき子さんの朗らかな笑顔を前にすると、緊張は鳴りを潜め、一気に肩から力が抜けるような感覚だ。
「初めまして。山下瑠果です。よろしくお願いします」
お辞儀をし頭を上げた私は、庭に入ってきたときから目を惹かれていた花壇に目をやる。
「綺麗ですね、花壇」
花壇には色とりどりの花が咲いている。冬にこうして様々な種類の花が一か所に集まって咲いている光景はなかなか目にしないから、この花壇にだけ春が宿っているような気がする。
「まあ、ありがとう。これが唯一の趣味なの。ねえ見て見て、瑠果ちゃん。ちょうど今朝スノードロップが咲いたのよ」
あまりに自然に私の名を呼びながら、伯母さんが膝を軽く折って花壇の中の白い花を指さす。私も膝を折って花壇の中を覗き込んだ。
「スノードロップ、ですか?」
「ええ、この白い花。可愛いでしょう?」
初めて聞いた花の名だ。スノードロップと呼ばれたその花は、下に向かって6枚の花弁を開いている。その白い花びらはまるで雪の雫のようだ。
色彩のある花たちの中で、スノードロップは儚くも凛として咲いていた。
「スノードロップはね、春の訪れを告げる花なのよ」
「春の訪れ……」
「今はまだ寒いけど、春は案外近くまで来ているのかもね」
ゆき子さんがふわりと笑う。
そんな邪気のない笑顔を目の当たりにしながらも、春は本当に来るのだろうか――そんなことをぼんやり思う。
日々が過ぎていく実感は残酷なほどにあるのに、季節は巡ることなくいつまでも痛く寒い冬の真ん中に取り残されているような、そんな感覚が続いているせいだろうか。
するとゆき子さんは背筋を伸ばして苦笑した。
「なんてごめんなさい、こんなところで立ち話なんて寒いわよね。さあどうぞ。あがってあがって。部屋を暖めておいたの」
「ありがとう、ゆき子さん。山下、あがっていこうか」
「うん」
合図をするような朔良先輩の呼びかけに、私は気を引き締めて頷いた。
そう、ここに来た目的はひとつ。もしかしたら大きな手がかりが掴めるかもしれない――。
実態を捕らえられないでいる鏡の手がかりがすぐ近くにあるかもしれない、その実感に背筋には緊張がまた這い上がってきていた。

