【完】さよならの向こうで待つ君へ




 待っててね、波琉くん。絶対に会いに行くから。君を失わない未来を見つけるから――。

 最近は曇り空が続いていたけれど、今日は久々に太陽が顔を覗かせた。
 外は寒いかと思いもこもこのダウンジャケットを準備していたけれど、出かける寸前で薄手のダッフルコートに替えた。どうやらこの選択は正解だったらしい。
 駅前のベンチに座って、手のひらサイズのコンパクトミラーをバッグから取り出し、前髪の具合をチェックする。けれど数分前に確認したばかりだから、特に変化なし。
 するとそのとき、背後から肩をぽんぽんと叩かれた。振り返ると、そこには私服姿の朔良先輩がいた。

「悪い、待たせたか?」
「ううん! 全然待ってないよ」

 素早くコンパクトミラーをバッグにしまいながら立ち上がる。
 今日の朔良先輩もかっこいい。モデルが雑誌から出てきたようだ。派手ではないこのシンプルなコーディネートを着こなせるのは、朔良先輩のスタイルの良さのせいだろう。骨格からして選ばれし存在だと思っていた波琉くんの横に並んでも、朔良先輩は引けをとらない。

「あの人かっこよくない?」
「隣の人彼女かな」
「えー、それはないんじゃない?」

 私たちのそばを通り過ぎる女子高生たちのくすくすと笑う声がふとざわりと耳を触っていった。 
 喧噪の中、どうしてこういう声だけ拾ってしまうのだろう。
 私は急に恥ずかしくなって俯いた。リップを塗っただけの化粧気のなさと、面白みのないストレートヘア。顔だって平凡だし、スタイルがいいわけでもない。
 ……朔良先輩の隣に立つのが申し訳ない。

 すると不意に私の腰に手が回された。
 そしてそっと腰に手を添えたまま、朔良先輩が駅の改札へと促す。

「親御さん大丈夫だったか?」
「う、うん、今日も図書館に行ってくるって言ってきた」

 急なことに驚きつつも、朔良先輩が私を守ってくれていることを悟る。さりげない優しさが心に染みる。

「よし、じゃあ行くか」

 頭上で朔良先輩が笑う。私もつられて笑顔がこぼれた。
 私たちはこれから電車で隣県まで向かう。
 こうして土曜日に集まったのは、一昨日朔良先輩がかけてきた電話がきっかけだった。

『俺の伯母が、あの鏡のことを知ってるって』

 いきなり電話をかけてきた朔良先輩の声は興奮していた。
 なんでも昔こちらに住んでいたおばさんにダメ元で鏡のことを聞いてみたところ、思いがけず知っているとの返答がきたのだそうだ。それから私たちは急遽アポをとり話を聞きに訪問する約束をとりつけ、今日という日に漕ぎつけたというわけだ。

 隣県とは言っても県境に近い地域のため、電車で40分ほどで着くらしい。
 ホームの電光掲示板で時間を確認しながら、目的はさておき、少しだけ心が浮つくのを感じていた。だってこうして休日にだれかと電車に乗るなんて久々のことなのだ。

「なんかさ、遠足みたいじゃない?」
「行き先は観光地でもなんでもないけどな」

 朔良先輩が苦笑するのを見ながらふと、朔良先輩はこんなに笑う人だったんだなと思った。
 波琉くんの生前は直接話すことは少なくはなかったけれど多いわけでもなくて、絶妙な距離感でいた。けれど波琉くんが亡くなって同じ時間を分かち合ううちに、朔良先輩という人のことがよく見えるようになった気がする。それまではよくも悪くも波琉くんのことしか見えていなかったから。
 朔良先輩がいてくれてよかった。朔良先輩がいなければ、今頃私は絶望の波に飲み込まれていただろう。

 程なくしてホームに滑り込んできた電車にふたりで乗り込む。車両は4両しかしかないうえに土曜日の午前中だけれど、車内は空いていた。
 私たちはシートの端っこに並んで座った。

「寝ていいよ、着いたら起こしてあげるから」

 そう言うと、朔良先輩は「寝ないよ、山下といるんだから」とさらりと答えた。
 あまりにストレートな言葉に、どきっと心臓が揺れる。朔良先輩はそんなつもりで言ったわけではないかもしれないのに、身の程知らずな誤解をしそうになる。
 急に朔良先輩と触れ合っている右肩に意識が集中し、落ち着かなくなる。

 雲ひとつない青い空、穏やかな港町。すっかり見慣れた景色が車窓を流れていく。
 他人顔で私を拒んでいるように見えた世界が少しだけ優しく見えるのは、隣に朔良先輩がいてくれるからだろうか。

「山下さ、出会った頃俺のこと嫌いだっただろ」

 不意にそう切り出したのは朔良先輩の声だった。

「え?」

 脈絡のない思いがけない言葉に驚いて隣を見ると、朔良先輩があまり見たことのない不敵な笑みを浮かべた。

「一ノ瀬のことひとり占めできなくなるから」
「ふふ、よくわかったね」
「敵対心剥き出しだったからな。嫌われてるのわかってたから、ウォークラリーのときは気まずかったなー」
「ばればれだったんだ。そうだね、出会った頃は邪魔者が現れたって思ってたね」

 おどけたふうに笑っていると、朔良先輩が私を見つめてきた。光を反射させる瞳に映るのは私だけ。
 私を見据えたまま、それからの言葉が壊れてしまわないように、じんわりとした空気と間を纏って声を放つ。

「今は? 俺のこと、どう思ってる?」
「え?」

 なんでか朔良先輩の目を見ていられなくなって視線を落とす。
 とくとくと逸る心臓の音。当たり前の言葉を伝えるだけなのに、こんなにどきどきするのはなんでだろう。

「今は……大切に思ってるよ、すごく」

 朔良先輩が真剣な調子で聞いてくるから。だから私も変に意識してしまったじゃないか。
 なんだか無性に耳が熱い。

 自分の中で朔良先輩という存在が大きくなっている。それは疑いようのない事実だった。朔良先輩と一緒にいると自然体でいられるし、意識せずとも笑顔が引き出されている。私の心の拠り所であり希望、それが今の私にとっての朔良先輩だ。

「朔良先輩は私のことどう思ってた?」

 少しだけかしこまってしまった空気を整えるように、軽いトーンで問うてみる。
 すると朔良先輩はいたずらっ子のように口の中の空気を緩ませた。

「俺も最初は邪魔者だと思ってたかな」
「えー! 正直すぎない?」
「でもあのウォークラリーのとき、流星群を見上げる山下の笑顔が眩しくてなんでか目が離せなくなったんだよな。こんなにきらきら屈託なく笑う子がいるんだって、軽く衝撃だったっていうか」

 そう言う朔良先輩の瞳の方が煌めいていて、また耳がじわっと熱を帯びる。今度は頬まで火照ってきて、髪を耳にかけながらふいっと顔を逸らした。

「褒めすぎだよ。……でもありがとう」

 顔をあげた先の車窓には、住宅街が見えてきた。いつの間にか遠くまで来ていたのかもしれない。

「波琉くんが出会わせてくれたんだよね、朔良先輩と」
「そうだな」

 朔良先輩が目元を緩めて微笑む。
 私と朔良先輩の心の中に今同じ人がいる、その実感がとても心地よくて、服の上からそっとシーグラスのペンダントに指先で触れた。