春の日差しが穏やかな昼下がりのこと。泉水家の庭園で、二人の少女が遊んでいた。五歳の妹と、八歳の姉。姉には、生まれた時から動植物に好かれる不思議な体質があった。だがそれについて特段誰かが言及することもなく。穏やかな母親と家業を盛り立てる父親、母親譲りの優しい姉、父親譲りの天真爛漫な妹。ありふれた仲の良い家族だった。
「ひっ……おねえちゃん! まっくろなへび! こわいよお!」
それは突然現れた。元気よく庭園を駆け回る二人の傍に、一匹の小さな蛇が草叢から転がり出てきたのだ。蛇は真っ黒な体をしていた。鱗の所々に金が散りばめられた珍しい黒蛇だった。見たことのない禍々しい蛇の姿に妹は悲鳴を上げ、後ずさる。
しかし姉は違った。蛇の様子をじっと見つめると、やがて蛇に駆け寄ったのだ。
「待って、珊瑚……! 見て……この子、怪我してる」
姉は蛇を掬い上げると、傷口を確認する。傷口からは見たことのない黒い靄が溢れ出し、蛇の身体を覆うように広がっていた。
その様子を少し離れた場所から見ていた妹が、恐々と声を上げる。
「おねえちゃん、やめようよ! きもちわるい!!」
「大丈夫。怖かったら、珊瑚はお母さんたちの所へ先に行ってて」
姉が言うと、妹は半べそをかきながら母親のいる屋敷の方へと走り去ってしまった。
残された少女は蛇を両手に収めたまま、近くに咲き誇る桜の木の方へと歩いていく。そして、木の根本に置いてあった巾着の中をまさぐると、小さな蛤の貝を取り出した。中には軟膏が詰められていた。
「ごめんね。珊瑚が怪我した時のためにってお母さんが持たせてくれた薬……あなたの傷に効くのか分からないけど……今これしか持ってないの。どうか良くなりますように」
少女が蛇の傷口に触れ、軟膏を塗りこんでいた時だった。さあ、と辺りに温かな風が吹き渡り、少女の頭上に咲き誇る桜を散らせた。
「わ……! すごい桜……きれい……」
少女を覆い隠すほどに一斉に舞い散る桜吹雪。そのうちの一枚がはらりはらりとやってきて、蛇の傷口に重なり落ちた瞬間。
蛇の身体から淡い光を放つ大量の桜の花びらが舞い上がった。舞い上がる花びらが蛇と少女を包み込む。少女の視界は眩い白に染まってく。不思議と恐怖はなかった。どこまでも温かく、柔らかく、慈愛に満ちた光に少女は身を委ねる。
どれぐらいの時間そうしていたのだろうか。やがて淡い光はゆっくりと溶け、消えていく。気付けば桜吹雪は止んでいた。それどころか、あんなに地面に散り落ちていたはずの桜の花びらが見当たらない。妹と遊んでいた時と寸分違わぬ庭園の景色だけが広がっていた。不思議な体験に、果たして自分は夢を見ていたのだろうかと少女は首を傾げる。
「……いま、何が……あっ! 待って!」
呆然としていた少女の手の中で、先ほどまで大人しく収まっていた蛇が弾かれたように蠢き出した。蛇は少女の手をすり抜け、茂みの中へと姿を消す。その体を包んでいたはずの黒い靄は姿を消し、くすんでいた金色の模様がきらきらと光り輝いていた。
(不思議な蛇……)
何故だろうか。少女は予感していた。きっとまた、あの蛇にどこかで出会えるだろうと。願わくば、どうかその時まで元気で。そんな祈りを込めて、蛇の消えた草叢を静かに見つめていた。
少女の起こした小さな奇跡が、蛇を救った。
その奇跡の片鱗を見た蛇は思った。
この力こそが、常世を救う一筋の希望の光となるのではないか、と。
蛇は振り返る。
その瞳には強い決意が宿っていた。
「ひっ……おねえちゃん! まっくろなへび! こわいよお!」
それは突然現れた。元気よく庭園を駆け回る二人の傍に、一匹の小さな蛇が草叢から転がり出てきたのだ。蛇は真っ黒な体をしていた。鱗の所々に金が散りばめられた珍しい黒蛇だった。見たことのない禍々しい蛇の姿に妹は悲鳴を上げ、後ずさる。
しかし姉は違った。蛇の様子をじっと見つめると、やがて蛇に駆け寄ったのだ。
「待って、珊瑚……! 見て……この子、怪我してる」
姉は蛇を掬い上げると、傷口を確認する。傷口からは見たことのない黒い靄が溢れ出し、蛇の身体を覆うように広がっていた。
その様子を少し離れた場所から見ていた妹が、恐々と声を上げる。
「おねえちゃん、やめようよ! きもちわるい!!」
「大丈夫。怖かったら、珊瑚はお母さんたちの所へ先に行ってて」
姉が言うと、妹は半べそをかきながら母親のいる屋敷の方へと走り去ってしまった。
残された少女は蛇を両手に収めたまま、近くに咲き誇る桜の木の方へと歩いていく。そして、木の根本に置いてあった巾着の中をまさぐると、小さな蛤の貝を取り出した。中には軟膏が詰められていた。
「ごめんね。珊瑚が怪我した時のためにってお母さんが持たせてくれた薬……あなたの傷に効くのか分からないけど……今これしか持ってないの。どうか良くなりますように」
少女が蛇の傷口に触れ、軟膏を塗りこんでいた時だった。さあ、と辺りに温かな風が吹き渡り、少女の頭上に咲き誇る桜を散らせた。
「わ……! すごい桜……きれい……」
少女を覆い隠すほどに一斉に舞い散る桜吹雪。そのうちの一枚がはらりはらりとやってきて、蛇の傷口に重なり落ちた瞬間。
蛇の身体から淡い光を放つ大量の桜の花びらが舞い上がった。舞い上がる花びらが蛇と少女を包み込む。少女の視界は眩い白に染まってく。不思議と恐怖はなかった。どこまでも温かく、柔らかく、慈愛に満ちた光に少女は身を委ねる。
どれぐらいの時間そうしていたのだろうか。やがて淡い光はゆっくりと溶け、消えていく。気付けば桜吹雪は止んでいた。それどころか、あんなに地面に散り落ちていたはずの桜の花びらが見当たらない。妹と遊んでいた時と寸分違わぬ庭園の景色だけが広がっていた。不思議な体験に、果たして自分は夢を見ていたのだろうかと少女は首を傾げる。
「……いま、何が……あっ! 待って!」
呆然としていた少女の手の中で、先ほどまで大人しく収まっていた蛇が弾かれたように蠢き出した。蛇は少女の手をすり抜け、茂みの中へと姿を消す。その体を包んでいたはずの黒い靄は姿を消し、くすんでいた金色の模様がきらきらと光り輝いていた。
(不思議な蛇……)
何故だろうか。少女は予感していた。きっとまた、あの蛇にどこかで出会えるだろうと。願わくば、どうかその時まで元気で。そんな祈りを込めて、蛇の消えた草叢を静かに見つめていた。
少女の起こした小さな奇跡が、蛇を救った。
その奇跡の片鱗を見た蛇は思った。
この力こそが、常世を救う一筋の希望の光となるのではないか、と。
蛇は振り返る。
その瞳には強い決意が宿っていた。
