桜河は一度視線を外すと、小さく息を零す。
「俺もそろそろ……向き合わねばならないな……」
「?」
「花緒。聞いてくれ」
桜河が花緒に向き直る。居住まいを正すと、花緒を真摯に見つめる。
「俺はもう、おまえが悲しむ姿を見たくはない。俺の隣で笑っていてほしい。おまえがここに居ていい理由など、それで十分なのだから」
「桜河、様……」
桜河の言葉が、花緒の胸の内を温めていく。
自分はずっと、己の居場所を探していたのかもしれない。ありのままの自分でいられる場所。何に怯えることもなく、安心していられる場所を。
それが桜河の傍だと気づいたのは、いつのことだっただろう。自分を必要としてくれる彼に応えたいと思った。それが彼に惹かれるきっかけであっただろうか。そのうちに、彼の誰よりも強くて優しい人柄を知っていった。そして誰よりも不器用で、寂しがり屋の弱い部分もあることを知った。
だから自分は、この人の傍にいたいと思ったのだ。この人を一番近くで幸せにしたいと。
彼への溢れんばかりの想い。この温かい想いの心があれば、この先、何があっても桜河を守り支えていけると思った。贄姫として桜河の傍にいられること――自分は、それだけで幸せなのだから。
花緒は顔を上げる。すると、熱を帯びた桜河の瞳がこちらを射抜くように見つめていた。
「桜河様……?」
「――好きだ」
「……っ」
桜河からはっきりと告げられた言葉。花緒は目を瞬かせる。息を呑んだ。
(好き……。桜河様が、私のことを……?)
聞き間違いではないだろうか。そう思いたくもなるくらい、花緒は自分の耳を疑っていた。……自分に、桜河に好いてもらえるような面があっただろうか。初めこそ、桜河に贄姫として見捨てられないよう必死だった。けれどもいつの間にか、彼を守りたい、彼を支えたい、彼と共に黒姫国を支えてゆきたいと思うようになって――自分が桜河にどう思われているのかを考えてはいなかった。けれども、そのようなありのままの自分の姿を桜河が好いてくれているのだとしたら……。
(――……これ以上、幸せなことはない)
これ以上の願いはない。花緒は、嬉しくて嬉しくて体を震わせる。
やっと、想いが届いたのだと思った。自分が自分らしくいられる人を見つけられたのだと思った。彼と共にこの先も歩いていくことができたら、どれだけ幸せな未来が待っていることだろう。
感極まって肩を震わせている花緒。その手を、桜河がそっと両手で取る。
「俺の全身全霊をかけて、おまえを誰よりも幸せにすると誓う。だからどうか、至らない俺と共にいてほしい。贄姫としても――一人の女性としても」
「……ありがとう、ございます、桜河様。私も、お慕いしております。どうか私を貴方様のお傍に置いてください」
花緒は桜河の男性らしい大きな手を握り返す。美しいけれども節くれ立った手。これからずっと手を取り合っていく想い人のものだった。
桜河が花緒の頬に手を添えて、上を向かせる。近づいていく二人の影は、月夜の下に重なり合った。
***
花緒は一人、自室に続く廊下を歩いていた。桜河と二人夜通しで語り合い、想いが通じ合った今。思いを寄せていた男からの愛の言葉。抱きしめられた熱。それらを思い出すたびに、胸が痛いほど高鳴った。先ほどまでに起きた出来事がようやく自覚し始めた眠気と相まって、まるで夢の中にいるような浮遊感を覚える。
だが、色恋に現を抜かしてばかりではいられない。桜河の隣に立っても恥じぬ贄姫となりたい。まずはもう一度、浄化の儀をきちんと遂行しなければ。それに、桜河を救った未知の力。山吹さえ『見たことがない』と言っていたあの力の正体は一体何だったのか知りたい。まだまだやらなければならないことが山積みだ。
浮ついた心を落ち着かせようと頭の中で思考を巡らせていた最中、ふと、一つの疑問が浮かぶ。
(そういえば……桜河様は何故、私を贄姫に選んでくださったのだろう)
両親の壮絶な死から、贄を選ぶことを頑なに避けていた桜河。それが何故、自分の贄姫を選ぶに至ったのだろう。
……いや。今はまだ、知らなくてもいい。いつか互いの過去の傷が癒え、そんなこともあったのだと思えるようになったなら。その時にまた、聞いてみよう。
東の山影からは、柔らかな黎明の光が空を白く染め始めていた。
「俺もそろそろ……向き合わねばならないな……」
「?」
「花緒。聞いてくれ」
桜河が花緒に向き直る。居住まいを正すと、花緒を真摯に見つめる。
「俺はもう、おまえが悲しむ姿を見たくはない。俺の隣で笑っていてほしい。おまえがここに居ていい理由など、それで十分なのだから」
「桜河、様……」
桜河の言葉が、花緒の胸の内を温めていく。
自分はずっと、己の居場所を探していたのかもしれない。ありのままの自分でいられる場所。何に怯えることもなく、安心していられる場所を。
それが桜河の傍だと気づいたのは、いつのことだっただろう。自分を必要としてくれる彼に応えたいと思った。それが彼に惹かれるきっかけであっただろうか。そのうちに、彼の誰よりも強くて優しい人柄を知っていった。そして誰よりも不器用で、寂しがり屋の弱い部分もあることを知った。
だから自分は、この人の傍にいたいと思ったのだ。この人を一番近くで幸せにしたいと。
彼への溢れんばかりの想い。この温かい想いの心があれば、この先、何があっても桜河を守り支えていけると思った。贄姫として桜河の傍にいられること――自分は、それだけで幸せなのだから。
花緒は顔を上げる。すると、熱を帯びた桜河の瞳がこちらを射抜くように見つめていた。
「桜河様……?」
「――好きだ」
「……っ」
桜河からはっきりと告げられた言葉。花緒は目を瞬かせる。息を呑んだ。
(好き……。桜河様が、私のことを……?)
聞き間違いではないだろうか。そう思いたくもなるくらい、花緒は自分の耳を疑っていた。……自分に、桜河に好いてもらえるような面があっただろうか。初めこそ、桜河に贄姫として見捨てられないよう必死だった。けれどもいつの間にか、彼を守りたい、彼を支えたい、彼と共に黒姫国を支えてゆきたいと思うようになって――自分が桜河にどう思われているのかを考えてはいなかった。けれども、そのようなありのままの自分の姿を桜河が好いてくれているのだとしたら……。
(――……これ以上、幸せなことはない)
これ以上の願いはない。花緒は、嬉しくて嬉しくて体を震わせる。
やっと、想いが届いたのだと思った。自分が自分らしくいられる人を見つけられたのだと思った。彼と共にこの先も歩いていくことができたら、どれだけ幸せな未来が待っていることだろう。
感極まって肩を震わせている花緒。その手を、桜河がそっと両手で取る。
「俺の全身全霊をかけて、おまえを誰よりも幸せにすると誓う。だからどうか、至らない俺と共にいてほしい。贄姫としても――一人の女性としても」
「……ありがとう、ございます、桜河様。私も、お慕いしております。どうか私を貴方様のお傍に置いてください」
花緒は桜河の男性らしい大きな手を握り返す。美しいけれども節くれ立った手。これからずっと手を取り合っていく想い人のものだった。
桜河が花緒の頬に手を添えて、上を向かせる。近づいていく二人の影は、月夜の下に重なり合った。
***
花緒は一人、自室に続く廊下を歩いていた。桜河と二人夜通しで語り合い、想いが通じ合った今。思いを寄せていた男からの愛の言葉。抱きしめられた熱。それらを思い出すたびに、胸が痛いほど高鳴った。先ほどまでに起きた出来事がようやく自覚し始めた眠気と相まって、まるで夢の中にいるような浮遊感を覚える。
だが、色恋に現を抜かしてばかりではいられない。桜河の隣に立っても恥じぬ贄姫となりたい。まずはもう一度、浄化の儀をきちんと遂行しなければ。それに、桜河を救った未知の力。山吹さえ『見たことがない』と言っていたあの力の正体は一体何だったのか知りたい。まだまだやらなければならないことが山積みだ。
浮ついた心を落ち着かせようと頭の中で思考を巡らせていた最中、ふと、一つの疑問が浮かぶ。
(そういえば……桜河様は何故、私を贄姫に選んでくださったのだろう)
両親の壮絶な死から、贄を選ぶことを頑なに避けていた桜河。それが何故、自分の贄姫を選ぶに至ったのだろう。
……いや。今はまだ、知らなくてもいい。いつか互いの過去の傷が癒え、そんなこともあったのだと思えるようになったなら。その時にまた、聞いてみよう。
東の山影からは、柔らかな黎明の光が空を白く染め始めていた。
