……ひどく身体がだるかった。
 けれども、一つのことをやりきったという充足感に満たされていた。
 大切な人を救うことができた――……。
 それは、これまでの様々なことから自分の力不足を感じていた花緒が、壁を乗り越え、自分に自信を取り戻したきっかけとなった。

(ここは、自室……?)

 自分は、部屋の中央に敷かれた布団に寝かされていたようだった。廊下に沿う障子からは月明かりが差し込んでいる。部屋の隅に置かれた行燈の明かりが、花緒の手元を僅かに照らしていた。よく嗅ぎなれた白檀のお香が焚かれている。
 誰かが心尽くしで看病をしてくれていたのだろうことが窺えた。

(……私、きっとあのまま気を失ってしまったのね)

 半狂妖化し始めていた桜河を、浄化の力で助けられたところまでは覚えていた。毒気から解放された桜河に抱き締められたことも――。
 そこでふっつりと記憶が途切れてしまっている。おそらくその後、誰かが意識を失くした自分を自室まで運んでくれたのだろう。最後まで迷惑を掛けてしまった、と花緒は一人で項垂れる。

(……とりあえず、起きよう。皆さまに謝罪をお伝えしなければ)

 此度の危機は、自分が未熟ゆえに桜河に過度な負担を掛けてしまったからだった。自分が何故、贄姫の本来の力では助けられないはずの、狂妖化を始めてしまった桜河を浄化することができたのかはわからない。それでも、自分の不出来が原因で起きてしまったこの一連の騒動を自分で収めることができたことに、花緒は僅かばかりほっとしていた。とはいえ、桜河本人はもちろんのこと、その仲間たちや黒姫国の人々をまたも危険に晒したことに違いはない。

(それに、本当に桜河様がご無事だったのかも確かめたい――……)

 自分は、彼を苦しみの淵から救うことが出来た。彼に抱きしめられたあのぬくもりは確かなものだったと思う。疑っているわけではないのだけれど、彼の無事な顔を確かめるまでは確信が持てないのだ。

(あの時は無我夢中だったから、まるで夢の中の出来事のように思えて仕方なくて)

 そう思うと気が急いてくる。花緒が掛け布団を持ち上げ、上体を起こした時だった。

「花緒様? お目覚めになられたのですか?」
「梅さん……ですか?」

 障子を挟んで聞こえてくるくぐもった声。確かに使用人の梅のものだった。花緒が返事をするなり、静かに障子を空けて梅が顔を覗かせる。

「まあまあ! お気づきになられて良かったです! 桜河様が大層ご心配されていて、花緒様の私室で付きっきりで看病したいと駄々をこねていらしたのですよ。ご本人だって病み上がりでいらっしゃるのに。この梅がなんとかあの大きな駄々っ子を諫めまして、わたくしが花緒様の看病に当たらせていただいておったのです」
「そ、そうだったのですか……」

 ――さすがは梅さん。桜河様の扱いに慣れていらっしゃる……!

 花緒が感心している中、部屋へ入室した梅は、花緒の枕元に盆を置いた。そこには美味しそうに湯気を上げる粥が乗っている。少量の野菜や魚の出汁の優しい香りがした。
 梅が粥の乗った盆を手で示す。

「滋養食を持って参りました。食べられる分だけご無理なく召し上がってくださいませ」
「お気遣いありがとうございます。とても美味しそう」
「良かったです。食べ物を召し上がって、少しでも元気になられましたら、桜河様のお部屋を訪ねてはいただけませんでしょうか? 大変花緒様のご無事を心配しておられます。わたくしが無理に言って聞かせましたもので、渋々とご自身のお部屋に戻られましたが……ここ数日、ほとんど睡眠を取られていないようでございます。花緒様のお姿が見られるのを心待ちしていらっしゃるはずです」
「分かりました。私、自分が気を失う前までのことをおぼろげにしか覚えていなくて……。桜河様はご無事でいらっしゃるのですね。それだけお聞き出来て安心いたしました」

 花緒が微笑むと、梅は表情をふと改める。

「……桜河様には、花緒様が必要でございます。わたくしもこのお屋敷に長く勤めて参りましたが、花緒様がいらしてからというもの、桜河様は非常に表情が柔らかくおなりになりました。黒姫国の王という重責を背負っておられるためか、子供の頃から気を張っておられて、わたくしは老婆心ながら心配しておったのです」
「梅さん……」
「花緒様。どうかこれからも、桜河様の傍にいて差し上げてくださいませ」

 梅は、畳に三つ指を付いて深々と頭を下げた。花緒も慌てて姿勢を正し、布団の上で失礼ながら頭を下げる。

「私こそ。桜河様に身も心も救っていただきました。お邪魔にならないうちは、桜河様や皆様と共にここに置いてください」

 常世で出会った面々は、花緒にとってなくてはならない存在だ。初めて自分の存在を認めてくれ、ここにいてもいいのだと、ここが居場所なのだと教えてくれた。大切な人達。

(――……これからもずっと、みんなと一緒にいられたらいいな。ずっと、桜河様のお傍にいられたら……)

 ――って、何をおこがましいことを考えているの、私!

 一人で百面相をしている花緒を、梅が優しく見守っている。
 その後、梅が退室をして花緒は美味しくお粥をいただき――桜河の無事を自分の目で確かめるべく、彼の自室へと赴いた。