その日は抜けるような秋空だった。
山吹との特訓を始めてから早一か月。今日も今日とて、花緒は山吹と共に霊山の山頂にやって来ていた。ここへ来るのももう慣れたものだ。標高の高さ特有の空気の薄さが、初めの頃は心なしか息苦しかった。けれども今は、逆に気合いが入り、集中力を高めてくれるのだ。御山が力を貸してくださっているような、そんな感覚がした。
(今日こそ、上手くいきますように……)
花緒は穏やかな気持ちで目を閉じる。山間を吹き抜ける風が心地良い。
桜河や皆に隠し事をするのはもうやめよう。ありのままの自分を知ってもらおう。
そう心に決めてからというもの、何か胸のつかえが取れたようにすっきりとしていた。無理に自分を押し殺していた気持ちが解放されたかのようだった。依然として傷は痛い。だけど前よりもずっと、息がしやすい。これまで周りの目ばかりを気にして必死に取り繕い、自分の過去から目を逸らし続けてきた。常世の皆を失望させないよう、受け入れてもらえるよう、強がっていた。
(……けれども、もうそれはやめよう。私が私であるために)
受け入れてもらえるかは分からない。贄姫に相応しくないと追放されるかもしれない。もう桜河の傍にはいられなくなるかもしれない――。
それでも、それを含めて花緒という人間なのだ。踏みしだいて来た足跡の先に、今日と言う自分が立っているのだから。ようやくありのままの自分を受け入れる覚悟ができた今、皆に伝えたい。泉水 花緒が、今までどのような人生を歩んできたのかを。
(……――だから、お願い。私の妖力。私が常世のみんなとこれから先も一緒にいられるように、どうか私の力になってください……!)
目を閉じたまま、穏やかな気持ちで懇願する。そう思った途端だった。暗闇に桜吹雪が巻き起こった。自分の妖力の流れが、凄まじい桜吹雪となって花緒の視界を覆いつくす。
(わ……!)
驚いて目を開ける花緒。するとそこには、目を閉じていた時に視ていた桜吹雪そのものが、花緒を中心に渦巻いていた。乱気流のように激しいものだけれど、これが決して自分を傷つけないものだと分かる。花緒のことを必死に守ろうとしてくれているものだと。
山吹が満足げに拍手を送る。
「お見事……まさか本当にこの短期間でここまでできるようになるとは恐れ入ったよ。それにしても、なんて優しい妖力なんだ。花緒ちゃんらしい、あらゆるものを包み込むような花吹雪だね。桜河が扱う妖力と同じ桜の花びらなところも、なんともいじらしいね」
「……山吹さん。からかわないでください」
花緒は唇を尖らせる。一度、妖力を具現化させてしまえば正体が分かるというもので、花緒は恐れることなく自身の纏う桜吹雪に両手を添えた。舞い上がっている桜の花びらたちは、花緒の手に甘えるように寄り集まって来る。この桜吹雪の持つ妖力を自在に操れるようになること――それが妖力操作なのだろう。神楽殿でお神楽を舞ったときよりもずっと、自分の力を身近に感じられていた。
山吹が後ろ頭を掻く。
「……花緒ちゃん、どこか吹っ切れたような感じがするね。いい顔をしているよ」
「え! そ、そうですか?」
「うん。今までと違って、表情が生き生きとしている。君本来の雰囲気は、きっと今のように年相応の可愛らしいものなのだろうね。今まではどこか翳があるというか、無理をしている感じだったから」
山吹は、眉尻を下げて困ったように笑っている。
(――……お見通し、だったのかもしれない)
自分が、現世での生い立ちを隠していたことも。その理由が、桜河を傷つけないためということはもちろん、自分を常世の皆によく見せようと見栄を張っていたことも。特に、自身の凄惨な生い立ちから人の感情の機微に聡い山吹には。
どこか気まずくて口ごもる花緒。山吹が穏やかに聞く。
「……妖力の顕現は、ある意味、自身の解放だ。自分の内に眠る力を発揮するには、心を自由にしてやらなければならないよ」
「はい……」
「何か大きな心境の変化があったんだね」
「はい。あの……私、まだ話していないことがあるんです。桜河様にも、常世の皆さんにも……ずっと話せないままで……。でも、ちゃんと向き合わないといけないと思って」
「それは、現世でのことかい?」
「おっしゃる通りです……」
やはり、山吹はなんでもお見通しのようだ。機微に聡い男である。
山吹は茶目っけたっぷりに片眼を瞑る。
「きっと、桜河も花緒ちゃんが話してくれることを待っていると思うよ。ああ見えて桜河は花緒ちゃんのことをよく見ているからね」
「……そのことなのですが、桜河様は、私の過去を知っても贄姫としてお認めくださるでしょうか?」
「それはおれには何とも言えないけれど。ただ、桜河のことを信頼してやってよ、花緒ちゃん。あいつの優しさは筋金入りだ。花緒ちゃんの生い立ちがどんなものだって、そんなことで花緒ちゃんを見捨てるような男ではないよ。おれが言うんだ、説得力あるでしょ?」
「はい……! ありがとうございます、山吹さん」
山吹から勇気をもらって――花緒は、押し殺していた心を解き放ち、変わり始めた自分を好きだと思えるようになっていた。
山吹との特訓を始めてから早一か月。今日も今日とて、花緒は山吹と共に霊山の山頂にやって来ていた。ここへ来るのももう慣れたものだ。標高の高さ特有の空気の薄さが、初めの頃は心なしか息苦しかった。けれども今は、逆に気合いが入り、集中力を高めてくれるのだ。御山が力を貸してくださっているような、そんな感覚がした。
(今日こそ、上手くいきますように……)
花緒は穏やかな気持ちで目を閉じる。山間を吹き抜ける風が心地良い。
桜河や皆に隠し事をするのはもうやめよう。ありのままの自分を知ってもらおう。
そう心に決めてからというもの、何か胸のつかえが取れたようにすっきりとしていた。無理に自分を押し殺していた気持ちが解放されたかのようだった。依然として傷は痛い。だけど前よりもずっと、息がしやすい。これまで周りの目ばかりを気にして必死に取り繕い、自分の過去から目を逸らし続けてきた。常世の皆を失望させないよう、受け入れてもらえるよう、強がっていた。
(……けれども、もうそれはやめよう。私が私であるために)
受け入れてもらえるかは分からない。贄姫に相応しくないと追放されるかもしれない。もう桜河の傍にはいられなくなるかもしれない――。
それでも、それを含めて花緒という人間なのだ。踏みしだいて来た足跡の先に、今日と言う自分が立っているのだから。ようやくありのままの自分を受け入れる覚悟ができた今、皆に伝えたい。泉水 花緒が、今までどのような人生を歩んできたのかを。
(……――だから、お願い。私の妖力。私が常世のみんなとこれから先も一緒にいられるように、どうか私の力になってください……!)
目を閉じたまま、穏やかな気持ちで懇願する。そう思った途端だった。暗闇に桜吹雪が巻き起こった。自分の妖力の流れが、凄まじい桜吹雪となって花緒の視界を覆いつくす。
(わ……!)
驚いて目を開ける花緒。するとそこには、目を閉じていた時に視ていた桜吹雪そのものが、花緒を中心に渦巻いていた。乱気流のように激しいものだけれど、これが決して自分を傷つけないものだと分かる。花緒のことを必死に守ろうとしてくれているものだと。
山吹が満足げに拍手を送る。
「お見事……まさか本当にこの短期間でここまでできるようになるとは恐れ入ったよ。それにしても、なんて優しい妖力なんだ。花緒ちゃんらしい、あらゆるものを包み込むような花吹雪だね。桜河が扱う妖力と同じ桜の花びらなところも、なんともいじらしいね」
「……山吹さん。からかわないでください」
花緒は唇を尖らせる。一度、妖力を具現化させてしまえば正体が分かるというもので、花緒は恐れることなく自身の纏う桜吹雪に両手を添えた。舞い上がっている桜の花びらたちは、花緒の手に甘えるように寄り集まって来る。この桜吹雪の持つ妖力を自在に操れるようになること――それが妖力操作なのだろう。神楽殿でお神楽を舞ったときよりもずっと、自分の力を身近に感じられていた。
山吹が後ろ頭を掻く。
「……花緒ちゃん、どこか吹っ切れたような感じがするね。いい顔をしているよ」
「え! そ、そうですか?」
「うん。今までと違って、表情が生き生きとしている。君本来の雰囲気は、きっと今のように年相応の可愛らしいものなのだろうね。今まではどこか翳があるというか、無理をしている感じだったから」
山吹は、眉尻を下げて困ったように笑っている。
(――……お見通し、だったのかもしれない)
自分が、現世での生い立ちを隠していたことも。その理由が、桜河を傷つけないためということはもちろん、自分を常世の皆によく見せようと見栄を張っていたことも。特に、自身の凄惨な生い立ちから人の感情の機微に聡い山吹には。
どこか気まずくて口ごもる花緒。山吹が穏やかに聞く。
「……妖力の顕現は、ある意味、自身の解放だ。自分の内に眠る力を発揮するには、心を自由にしてやらなければならないよ」
「はい……」
「何か大きな心境の変化があったんだね」
「はい。あの……私、まだ話していないことがあるんです。桜河様にも、常世の皆さんにも……ずっと話せないままで……。でも、ちゃんと向き合わないといけないと思って」
「それは、現世でのことかい?」
「おっしゃる通りです……」
やはり、山吹はなんでもお見通しのようだ。機微に聡い男である。
山吹は茶目っけたっぷりに片眼を瞑る。
「きっと、桜河も花緒ちゃんが話してくれることを待っていると思うよ。ああ見えて桜河は花緒ちゃんのことをよく見ているからね」
「……そのことなのですが、桜河様は、私の過去を知っても贄姫としてお認めくださるでしょうか?」
「それはおれには何とも言えないけれど。ただ、桜河のことを信頼してやってよ、花緒ちゃん。あいつの優しさは筋金入りだ。花緒ちゃんの生い立ちがどんなものだって、そんなことで花緒ちゃんを見捨てるような男ではないよ。おれが言うんだ、説得力あるでしょ?」
「はい……! ありがとうございます、山吹さん」
山吹から勇気をもらって――花緒は、押し殺していた心を解き放ち、変わり始めた自分を好きだと思えるようになっていた。

