桜河と二人でやって来た離れの土蔵。桜河は大きな鉄製の鍵を錠前に差し込む。厚い外戸を開き、内部には更に二重扉があった。さすがは妖の王の書庫。重要文書も多数保管されているため、しっかりと防犯されているのだろう。
閂を抜いて二重扉の引き戸を開けた桜河。蔵の前で待機していた花緒を振り返ると、こちらへ来いとばかりに手招きする。
それに応えて、花緒は遠慮がちに蔵に足を踏み入れる。薄暗い内部は、土埃と黴臭さが鼻を突いた。壁際には漆塗りの本箱や、杉の長持が整然と積まれている。長く放ったらしにしているのではなく、きちんと手入れされていることが窺えた。定期的に虫干しもしているのだろう。くぐもった空気の中にも、からりとしたお日様の匂いが感じられる。
「妖力操作に関する文献ならば、この辺りにあるだろうか」
桜河は淀みなく蔵内部に足を進める。奥の一括に積まれていた杉の長持を、腕を伸ばして手に取った。長持は何段も積まれているが、背の高い彼ならば楽々と届くようだ。そんな些細な仕草にも彼の男性らしさを意識してしまって、花緒は心臓が小さく鳴る。
(……私、どうしよう。桜河様といるとどきどきして仕方ない)
お蓮のおかげで恋心を自覚してからというもの。ちょっとしたことでも、切ないほどに胸がときめいてしまう。恋に不慣れな自分だから、尚更なのかもしれない。
花緒が気持ちを持て余しながら見守る中――桜河は杉の長持を床に降ろし、両手で蓋を持ち上げて開いた。花緒が中を覗き込むと、そこには更に桐の長持が仕舞われていた。桜河は、今度はその桐の長持の蓋の両側を掴んで持ち上げる。するとやっと、漆塗りの小箱が姿を現した。ずいぶんと厳重に保管されているようだ。
桜河が、隣で小箱を覗き込んでいた花緒を横目に見やる。
「開けるぞ。おまえに合う文献が見つかると良いな」
「ありがとうございます。このような貴重な書物を見せていただけること、とてもありがたいです」
花緒が笑いかけると、桜河もまた笑い返す。このようなさりげないやり取りを桜河と交わせるようになった。それがとてもくすぐったかった。彼と自分の心の距離が少しずつ少しずつ縮まっているような気がして。彼が自分に心を許してくれているように感じて。
小箱の中には、二十冊ほどの和綴じ本が平積みに収納されていた。本に側面に題名が書かれている。どれも妖力に関する本のようで、花緒には取捨選択が難しそうだ。
桜河はそれらをざっと見つめると、小箱から二冊ほど和綴じ本を手に取った。
「ひとまずこの二冊から読んでみては貰えないだろうか。これらを読み終えたら、また新しいものを取りに来よう」
「承知いたしました。まずはこの二冊から始めてみます」
桜河が選んだ本ならば間違いあるまい。
花緒は桜河から受け取った二冊の本を、大切に胸に抱え込む。そうして二人は書庫の蔵を後にした。
母屋に戻る道すがら、ふと桜河が花緒に問いかける。
「……時に、瓢坊から聞いたのだが、おまえは読み書きに不自由はないようだな。現世の生家で学んだのか?」
「え? い、いえ、泉水家で習っていたものは主に舞で――」
花緒はもごもごと口ごもる。
以前と変わらず、桜河には現世での軟禁生活については伏せている。答えによっては、花緒が泉水家で長女としての扱いを受けず、不遇だったことがばれてしまうだろう。
花緒は頭を巡らせる。
「あの、桜河様の蔵書ほどではないのですが、泉水家にも離れの蔵がありまして、そこに大量の書物が置かれておったのです。私は小さい頃から、その蔵に入り浸って書物を読み漁ることが好きでした。幼少期に習った文字を基礎に、難しい言葉は独学で調べながら色々な本を読んでおりました」
「ほう。ずいぶんと勉強家だったのだな。かく言う俺も、幼い頃は蔵に閉じこもって読書ばかりしていた。父上には、もっと身体を動かせとよくどやされたものだ」
「そうだったのですか……。桜河様の小さい頃のことを知ることができて嬉しいです」
そう微笑みながらも、花緒の胸の奥はずきりと痛んでいた。
桜河は、己の生い立ちを偽ることなく話しているのだろう。その優しさが、とても心苦しかった。自分は現世で虐げられていた過去を伏せている。読書が好きだったことは決して嘘をついているわけではない。泉水家の人間たちによって蔵に捨て置かれた古本の山。それらを読むことが、外界から断絶されていた花緒が唯一知識や情報を得られる手段であり、密かな娯楽だったのだ。けれども、いくら取り繕ったところで粗末な生活を送っていたという事実を変えられるわけじゃない。
(こんなふうに、大事なことを隠しながら話さなければならないなんて……)
ひどく罪悪感が募る。ここまでずっと隠し通し続けてきた。だからこそ、優しい桜河に知られたくないと同時に、その優しい彼を騙しているような気持ちになるのだ。
(……いつまでも、隠しているわけにはいかない)
いや、彼に隠していたくないと思い始めている自分がいるのだ。本音の部分では、彼にありのままの自分を知ってほしいと感じ始めている。彼を好きになってしまった。だからきっと、欲が出てきてしまったのだ。
彼に真実を話すことで、それで彼に受け入れてもらえるかはわからない。もしかしたら虐げられていた事実を知った彼を傷つけてしまうかもしれない。
(それに、そもそもこんな境遇の自分を受け入れてもらえるかも分からない……)
自分の過去を知られることが怖いというのもまた本音だった。こんな過去をもつ自分が、贄姫として常世の皆に認めてもらう自信がない。桜河の隣に立つことなんてなおさらだ。なによりも花緒は、自分自身がこの過去を受けとめ切れていないのだと悟る。今日に至るまで、ずっと気づかないふりをしていた心の傷。常世で過ごすうちに癒えたと思っていたそれは、未だ赤く腫れた瘢痕のままだった。
けれども、もう自分を偽り続けることは嫌だった。桜河やみんなの信頼を裏切りたくはなかった。これからもずっと変わらずに隠し続けること――きっと自分は耐えられない。
いつか頃合いを見計らってちゃんと話そう――花緒はようやく、癒えぬ傷を直視する。
それきり目立った会話はなく、花緒と桜河は並んで離れから母屋へと戻る。特段会話はなくとも、彼と並んで歩いていると心地よい。包まれているような、守ってもらえているような、そんな安心感があるのだ。
(……私も、桜河様が隣にいて安心できるような存在になれたらいいのに)
高望みしすぎかもしれない。それでも、彼を支えるまではいかなくとも、彼の隣に並べるような力を身に着けたいと、花緒は願うのだった。
閂を抜いて二重扉の引き戸を開けた桜河。蔵の前で待機していた花緒を振り返ると、こちらへ来いとばかりに手招きする。
それに応えて、花緒は遠慮がちに蔵に足を踏み入れる。薄暗い内部は、土埃と黴臭さが鼻を突いた。壁際には漆塗りの本箱や、杉の長持が整然と積まれている。長く放ったらしにしているのではなく、きちんと手入れされていることが窺えた。定期的に虫干しもしているのだろう。くぐもった空気の中にも、からりとしたお日様の匂いが感じられる。
「妖力操作に関する文献ならば、この辺りにあるだろうか」
桜河は淀みなく蔵内部に足を進める。奥の一括に積まれていた杉の長持を、腕を伸ばして手に取った。長持は何段も積まれているが、背の高い彼ならば楽々と届くようだ。そんな些細な仕草にも彼の男性らしさを意識してしまって、花緒は心臓が小さく鳴る。
(……私、どうしよう。桜河様といるとどきどきして仕方ない)
お蓮のおかげで恋心を自覚してからというもの。ちょっとしたことでも、切ないほどに胸がときめいてしまう。恋に不慣れな自分だから、尚更なのかもしれない。
花緒が気持ちを持て余しながら見守る中――桜河は杉の長持を床に降ろし、両手で蓋を持ち上げて開いた。花緒が中を覗き込むと、そこには更に桐の長持が仕舞われていた。桜河は、今度はその桐の長持の蓋の両側を掴んで持ち上げる。するとやっと、漆塗りの小箱が姿を現した。ずいぶんと厳重に保管されているようだ。
桜河が、隣で小箱を覗き込んでいた花緒を横目に見やる。
「開けるぞ。おまえに合う文献が見つかると良いな」
「ありがとうございます。このような貴重な書物を見せていただけること、とてもありがたいです」
花緒が笑いかけると、桜河もまた笑い返す。このようなさりげないやり取りを桜河と交わせるようになった。それがとてもくすぐったかった。彼と自分の心の距離が少しずつ少しずつ縮まっているような気がして。彼が自分に心を許してくれているように感じて。
小箱の中には、二十冊ほどの和綴じ本が平積みに収納されていた。本に側面に題名が書かれている。どれも妖力に関する本のようで、花緒には取捨選択が難しそうだ。
桜河はそれらをざっと見つめると、小箱から二冊ほど和綴じ本を手に取った。
「ひとまずこの二冊から読んでみては貰えないだろうか。これらを読み終えたら、また新しいものを取りに来よう」
「承知いたしました。まずはこの二冊から始めてみます」
桜河が選んだ本ならば間違いあるまい。
花緒は桜河から受け取った二冊の本を、大切に胸に抱え込む。そうして二人は書庫の蔵を後にした。
母屋に戻る道すがら、ふと桜河が花緒に問いかける。
「……時に、瓢坊から聞いたのだが、おまえは読み書きに不自由はないようだな。現世の生家で学んだのか?」
「え? い、いえ、泉水家で習っていたものは主に舞で――」
花緒はもごもごと口ごもる。
以前と変わらず、桜河には現世での軟禁生活については伏せている。答えによっては、花緒が泉水家で長女としての扱いを受けず、不遇だったことがばれてしまうだろう。
花緒は頭を巡らせる。
「あの、桜河様の蔵書ほどではないのですが、泉水家にも離れの蔵がありまして、そこに大量の書物が置かれておったのです。私は小さい頃から、その蔵に入り浸って書物を読み漁ることが好きでした。幼少期に習った文字を基礎に、難しい言葉は独学で調べながら色々な本を読んでおりました」
「ほう。ずいぶんと勉強家だったのだな。かく言う俺も、幼い頃は蔵に閉じこもって読書ばかりしていた。父上には、もっと身体を動かせとよくどやされたものだ」
「そうだったのですか……。桜河様の小さい頃のことを知ることができて嬉しいです」
そう微笑みながらも、花緒の胸の奥はずきりと痛んでいた。
桜河は、己の生い立ちを偽ることなく話しているのだろう。その優しさが、とても心苦しかった。自分は現世で虐げられていた過去を伏せている。読書が好きだったことは決して嘘をついているわけではない。泉水家の人間たちによって蔵に捨て置かれた古本の山。それらを読むことが、外界から断絶されていた花緒が唯一知識や情報を得られる手段であり、密かな娯楽だったのだ。けれども、いくら取り繕ったところで粗末な生活を送っていたという事実を変えられるわけじゃない。
(こんなふうに、大事なことを隠しながら話さなければならないなんて……)
ひどく罪悪感が募る。ここまでずっと隠し通し続けてきた。だからこそ、優しい桜河に知られたくないと同時に、その優しい彼を騙しているような気持ちになるのだ。
(……いつまでも、隠しているわけにはいかない)
いや、彼に隠していたくないと思い始めている自分がいるのだ。本音の部分では、彼にありのままの自分を知ってほしいと感じ始めている。彼を好きになってしまった。だからきっと、欲が出てきてしまったのだ。
彼に真実を話すことで、それで彼に受け入れてもらえるかはわからない。もしかしたら虐げられていた事実を知った彼を傷つけてしまうかもしれない。
(それに、そもそもこんな境遇の自分を受け入れてもらえるかも分からない……)
自分の過去を知られることが怖いというのもまた本音だった。こんな過去をもつ自分が、贄姫として常世の皆に認めてもらう自信がない。桜河の隣に立つことなんてなおさらだ。なによりも花緒は、自分自身がこの過去を受けとめ切れていないのだと悟る。今日に至るまで、ずっと気づかないふりをしていた心の傷。常世で過ごすうちに癒えたと思っていたそれは、未だ赤く腫れた瘢痕のままだった。
けれども、もう自分を偽り続けることは嫌だった。桜河やみんなの信頼を裏切りたくはなかった。これからもずっと変わらずに隠し続けること――きっと自分は耐えられない。
いつか頃合いを見計らってちゃんと話そう――花緒はようやく、癒えぬ傷を直視する。
それきり目立った会話はなく、花緒と桜河は並んで離れから母屋へと戻る。特段会話はなくとも、彼と並んで歩いていると心地よい。包まれているような、守ってもらえているような、そんな安心感があるのだ。
(……私も、桜河様が隣にいて安心できるような存在になれたらいいのに)
高望みしすぎかもしれない。それでも、彼を支えるまではいかなくとも、彼の隣に並べるような力を身に着けたいと、花緒は願うのだった。

