「で、おれが教えることになったってわけ!」
「山吹さんが……」
翌日の昼下がり。花緒は山吹に連れられ、屋敷の近隣にある霊山の頂上にやって来ていた。標高の高い山らしく、眼下には山々の峰が連なっている。吹き上げた風に、花緒が身に着けている紺色の袴の裾が巻き上げられる。どこか空を駆けているのだろう。鳶の甲高い鳴き声が澄んだ空気を震わせた。
昨日の招集の後、花緒を除いた男性陣で誰が花緒の妖力操作の修行を担当するのか話し合っていた。そこで抜擢されたのが山吹だ。山吹自身の妖力操作の技術の高さについては言わずもがな、強大な妖力を持て余していた幼少期の桜河もまた彼に師事していたことから、その育成能力の高さを買われてのことだった。口下手な桜河に不愛想な蘭之介、経験が浅い梵天丸……頭に浮かぶ他の三人の顔ぶれに花緒は苦笑する。妖力というものを一から教えられる言語能力と、花緒の妖力が暴走しそうな時の抑止力。この二つの能力を兼ね備えた人材として、山吹以上の適任はいないだろう。
山伏の装束に身を包んだ山吹が、景色に見惚れている花緒の隣に立つ。
「花緒ちゃん。ここは桜河も妖力操作を学んだ場所なんだ。周囲には誰もいないし何もない。思う存分、妖力を解放できるというわけだね」
「は、はい……。桜河様ほどの大きな力は私にはないと思うのですが。不肖の弟子ですが、私を山吹さんの門下に加えてください」
「ふふふ、やる気があって良いことだ。おれも俄然、昔桜河を弟子に取った時のような高揚感を思い出してきた。君は兄弟子である桜河の妹弟子だ。兄弟子に恥じない実力を身に着けてもらうよ」
「……はい! 望むところでございます!」
花緒が意気込んで答えると、山吹が満足そうに頷く。彼が軽く右手を広げると、場に丸天井の形をした透明な壁が出来上がった。
「とりあえず結界を張ったよ。これで、どんなに強い妖力を放っても周囲を傷つけることはないから安心してほしい。花緒ちゃん、さっそくだけれど中央に立って」
「はい、師匠!」
「呼び方! 花緒ちゃんにそう呼ばれると新鮮だなあ」
困ったような、それでいて嬉しそうに破顔する山吹。
花緒は山吹に言われた通り、土が剥き出しになっている地面の真ん中に佇んだ。今日は神楽鈴を持っていない。手ぶらの状態だ。まずは鈴を持たずに自分の妖力を扱えるようになること――それが山吹からの指示だった。
山吹は花緒から一定の距離を置いて立つ。
「良いかい? 花緒ちゃん、君は今、初めて妖力を得た状態だ。まずは、自分の内に宿っている妖力を具現化することから始めよう。――目を閉じて。己の中にある力の流れを掴むんだ」
「承知いたしました。やってみます」
花緒は静かに瞼を閉じる。視界を覆う真っ暗闇。山頂の風が花々を揺らす音、鳥たちのさえずりが鮮明に耳に届くようになる。
(私の中に流れる桜河様の妖力。桜河様からの贈り物……)
大切なものに触れるかのように、花緒は自分の胸に片手を当てる。桜河のことを思い浮かべると、自分の内にある温かなものの存在を感じた。それは確かに自分の中に宿っていて、まるで自分を守るかのように全身を巡っている。これが自分の妖力――なのだろうか。
山吹が目を細める。
「花緒ちゃん。その妖力を自分に合う形で具現化してみて」
(自分に合う形……。これは桜河様から授かった力。桜河様を表すものといえば――)
目を閉じたままの真っ暗な視界に、桜の花びらが一枚舞い降りる。それは漆黒の湖面に落ち、緩やかな波紋を描いた。
――そうだ。桜河様の妖力と言えば桜。
未だに胸元に入れて持ち歩いている、現世から持参した桜の花びら。その花びらの姿形が、自分の中にある妖力のそれと重なる。ずっと自分の傍にあり、守ってくれているもの。そこが共通している気がして。
その感覚を掴もうとしたけれど――視えていた桜の花びらがぼんやりと霞んだ。
(待って……!)
消えゆく花びらに向かって手を伸ばしてみたけれど、虚しく空を掴むだけだった。花びらは花緒の指先から逃れて跡形もなく消えてしまう。それと同時に、自分の内に集中していた視界が外に押し出された。元いた山頂の景色が戻って来る。
……何も起こらなかったのだ。
(そんなに上手くはいかないよね……)
山吹の話では、妖力操作を自然にではなく故意に会得することは、身の危険を伴うくらいに何が起こるか分からないと言われていた。しかも桜河の妖力は他に類を見ないくらいに強大。それを行おうというのだから、一日で何かできるようになると思うほうが傲慢だったのかもしれない。
それでもがっかりした気持ちが隠し切れない花緒。山吹が困ったように笑った。
「……そんなに残念がることはないよ。特訓初日に不測の事態が起きなかっただけでも上出来だ。何か掴めたものはあった?」
「はい。目を閉じた時に、桜の花びらのようなものが視えました。掴もうとしたら消えてしまったのですが……」
「そう。桜の花びら、か。その感覚を忘れないようにしてね。――さ、今日のところはここまでにしよう。急いては事を仕損じると言う。続きは明日」
「承知いたしました。ご指導ありがとうございます。師匠」
空を見上げると、そろそろ日が傾き始めている。夕刻が近いのだろう。
花緒は山吹と共に、山を下りて屋敷へと帰路に着いた。
「山吹さんが……」
翌日の昼下がり。花緒は山吹に連れられ、屋敷の近隣にある霊山の頂上にやって来ていた。標高の高い山らしく、眼下には山々の峰が連なっている。吹き上げた風に、花緒が身に着けている紺色の袴の裾が巻き上げられる。どこか空を駆けているのだろう。鳶の甲高い鳴き声が澄んだ空気を震わせた。
昨日の招集の後、花緒を除いた男性陣で誰が花緒の妖力操作の修行を担当するのか話し合っていた。そこで抜擢されたのが山吹だ。山吹自身の妖力操作の技術の高さについては言わずもがな、強大な妖力を持て余していた幼少期の桜河もまた彼に師事していたことから、その育成能力の高さを買われてのことだった。口下手な桜河に不愛想な蘭之介、経験が浅い梵天丸……頭に浮かぶ他の三人の顔ぶれに花緒は苦笑する。妖力というものを一から教えられる言語能力と、花緒の妖力が暴走しそうな時の抑止力。この二つの能力を兼ね備えた人材として、山吹以上の適任はいないだろう。
山伏の装束に身を包んだ山吹が、景色に見惚れている花緒の隣に立つ。
「花緒ちゃん。ここは桜河も妖力操作を学んだ場所なんだ。周囲には誰もいないし何もない。思う存分、妖力を解放できるというわけだね」
「は、はい……。桜河様ほどの大きな力は私にはないと思うのですが。不肖の弟子ですが、私を山吹さんの門下に加えてください」
「ふふふ、やる気があって良いことだ。おれも俄然、昔桜河を弟子に取った時のような高揚感を思い出してきた。君は兄弟子である桜河の妹弟子だ。兄弟子に恥じない実力を身に着けてもらうよ」
「……はい! 望むところでございます!」
花緒が意気込んで答えると、山吹が満足そうに頷く。彼が軽く右手を広げると、場に丸天井の形をした透明な壁が出来上がった。
「とりあえず結界を張ったよ。これで、どんなに強い妖力を放っても周囲を傷つけることはないから安心してほしい。花緒ちゃん、さっそくだけれど中央に立って」
「はい、師匠!」
「呼び方! 花緒ちゃんにそう呼ばれると新鮮だなあ」
困ったような、それでいて嬉しそうに破顔する山吹。
花緒は山吹に言われた通り、土が剥き出しになっている地面の真ん中に佇んだ。今日は神楽鈴を持っていない。手ぶらの状態だ。まずは鈴を持たずに自分の妖力を扱えるようになること――それが山吹からの指示だった。
山吹は花緒から一定の距離を置いて立つ。
「良いかい? 花緒ちゃん、君は今、初めて妖力を得た状態だ。まずは、自分の内に宿っている妖力を具現化することから始めよう。――目を閉じて。己の中にある力の流れを掴むんだ」
「承知いたしました。やってみます」
花緒は静かに瞼を閉じる。視界を覆う真っ暗闇。山頂の風が花々を揺らす音、鳥たちのさえずりが鮮明に耳に届くようになる。
(私の中に流れる桜河様の妖力。桜河様からの贈り物……)
大切なものに触れるかのように、花緒は自分の胸に片手を当てる。桜河のことを思い浮かべると、自分の内にある温かなものの存在を感じた。それは確かに自分の中に宿っていて、まるで自分を守るかのように全身を巡っている。これが自分の妖力――なのだろうか。
山吹が目を細める。
「花緒ちゃん。その妖力を自分に合う形で具現化してみて」
(自分に合う形……。これは桜河様から授かった力。桜河様を表すものといえば――)
目を閉じたままの真っ暗な視界に、桜の花びらが一枚舞い降りる。それは漆黒の湖面に落ち、緩やかな波紋を描いた。
――そうだ。桜河様の妖力と言えば桜。
未だに胸元に入れて持ち歩いている、現世から持参した桜の花びら。その花びらの姿形が、自分の中にある妖力のそれと重なる。ずっと自分の傍にあり、守ってくれているもの。そこが共通している気がして。
その感覚を掴もうとしたけれど――視えていた桜の花びらがぼんやりと霞んだ。
(待って……!)
消えゆく花びらに向かって手を伸ばしてみたけれど、虚しく空を掴むだけだった。花びらは花緒の指先から逃れて跡形もなく消えてしまう。それと同時に、自分の内に集中していた視界が外に押し出された。元いた山頂の景色が戻って来る。
……何も起こらなかったのだ。
(そんなに上手くはいかないよね……)
山吹の話では、妖力操作を自然にではなく故意に会得することは、身の危険を伴うくらいに何が起こるか分からないと言われていた。しかも桜河の妖力は他に類を見ないくらいに強大。それを行おうというのだから、一日で何かできるようになると思うほうが傲慢だったのかもしれない。
それでもがっかりした気持ちが隠し切れない花緒。山吹が困ったように笑った。
「……そんなに残念がることはないよ。特訓初日に不測の事態が起きなかっただけでも上出来だ。何か掴めたものはあった?」
「はい。目を閉じた時に、桜の花びらのようなものが視えました。掴もうとしたら消えてしまったのですが……」
「そう。桜の花びら、か。その感覚を忘れないようにしてね。――さ、今日のところはここまでにしよう。急いては事を仕損じると言う。続きは明日」
「承知いたしました。ご指導ありがとうございます。師匠」
空を見上げると、そろそろ日が傾き始めている。夕刻が近いのだろう。
花緒は山吹と共に、山を下りて屋敷へと帰路に着いた。

