黒蛇様と契りの贄姫

 あれから一晩ゆっくりと休み――その翌日。花緒は、桜河の招集で座敷に向かっていた。『浄化の儀』で起きた数々の出来事をまとめるためだ。自分は儀式を完遂する前に気を失ってしまった。だから記憶が断片的で、何もわからないことと変わりがなかった。特に、何故毒気の浄化を途中で失敗してしまったのか――その理由を知りたかった。
 座敷に到着した花緒は、障子の前に膝をつく。

「桜河様。花緒でございます」
「入ってくれ」

 室内から、桜河の落ち着いた声音が返ってくる。花緒がゆるりと障子を開くと、広間には桜河や梵天丸の他、山吹や蘭之介の姿もあった。そして花緒にとっては儀式以来の再会となる妖狐の与太郎もおり、花緒は目を瞬いた。おそらく、本日の議題に最も詳しい彼を桜河が呼んだのだろう。
 花緒は三つ指をついて深々と頭を下げる。

「皆様。このたびは桜河様の贄姫としての務めを果たせず、誠に申し訳ございません……!」
「花緒ちゃん……」

 山吹の気遣うような声が、頭を下げ続けている花緒の耳に入る。山吹が立ち上がり、花緒の傍に膝をついた。花緒の肩にそっと手を乗せる。

「顔を上げて、花緒ちゃん。桜河から大体の顛末は聞いたよ。いろいろあったようだけれど、結果は上手くいったんだ。もっと胸を張ってほしい」
「ちっ、だから素人なんて連れて行くなっつったんだ」

 すぐに蘭之介の舌打ちが聞こえる。花緒はびくりと肩を震わせた。
 責められて当然だ。儀式の向かう前、蘭之介からはくれぐれも桜河の足を引っ張るなと言われていた。それがこの様……。何も言い訳はできない。
 花緒が体を小さく震わせていると、山吹が意外にも小さく笑った。

「蘭ちゃん、素直じゃないなあ。花緒ちゃん、蘭ちゃんはああ冷たく突き放しているけれど、あれでも一応、花緒ちゃんのことを気にかけていたんだよ。君が三日間寝入っている間、滋養の付く獲物を狩ってこようか、と提案するくらいにはね」
「山吹! 余計なことを言うんじゃねえ」
「蘭之介様……」

 花緒が思わず顔を上げると、蘭之介は口をへの字にしてそっぽを向いていた。
 取っつきにくい人ではあるけれども、桜河が見込んだ人物だ、素っ気ない態度に隠された優しさを持ち合わせているのかもしれない。
 桜河が場を諫めるように、軽く手を叩く。

「さて。そろそろ本題に入ろう。花緒、こちらへ」
「はい。お隣、失礼いたします」

 花緒は桜河の手招きに従い、彼の脇に控えめに腰掛ける。
 桜河が全員の顔を見渡す。

「――今回の『浄化の儀』。結果としては毒気の浄化を達成することができた。花緒は贄姫としての務めを立派に果たした。そこを前提として話をさせてもらいたいのだが、此度の儀式の最中に不測の事態が起きた。花緒以外は知っていると思うが、『揺らぎ』が起きてしまったのだ」
「揺らぎ……」

 花緒は口の中で呟く。
 聞き覚えのある単語だった。――……そうだ、儀式の最中にお神楽が乱れてしまった時に、妖狐の頭首――与太郎が発していた言葉だ。あの時、混乱に陥っていた頭でその単語だけは鮮明に聞こえたことを覚えている。きっと自分にとって大切な事柄なのだろう。
 桜河が腕を組む。

「……妖の王として不甲斐ないのだが、俺は『揺らぎ』について詳しくはない。あの儀式の場で初めて聞いたくらいなのだ。だから、この機会に与太郎を呼び、皆で理解を深めようということになったのだ。花緒、おまえを守ることにも繋がるからな」

 桜河の紹介を受け、与太郎が皆に一礼する。花緒はその場で畳に指を揃える。

「与太郎様、ご挨拶が遅れて申し訳ございません。御身がご無事で何よりでございました。このたびは、私の未熟さが桜河様を始め妖狐の皆様を危険に晒してしまい、誠に申し訳ございません」
「贄姫様。貴方様は何も気に病むことはございません。初めての儀式であらせられたでしょうから、何か予期せぬ出来事が起きることは当然にあることでございます。それに、我々も説明不足の部分がございました。何卒、贄姫様に謝罪させてください」

 与太郎もまた、畳に指を付いて頭を下げる。桜河が首を横に振った。

「花緒も与太郎も顔を上げろ。此度のことは皆に落ち度があった。誰にも責任はない。だから皆で等しく理解を深めようと、儀式に詳しい与太郎を招集させてもらったのだ。さっそくだが与太郎、『揺らぎ』について説明を頼めるか?」
「賜りました」

 与太郎がその場にいる全員の顔を見渡す。

「まず、贄姫様の扱う神楽鈴には特殊な妖力が込められております。ですから、一般的な鈴よりも少しだけ重く感じるかと存じます。その代わり、神楽鈴は贄姫様の妖力と共鳴して増幅し、『浄化』の力に変換することができるのでございます」

 花緒は納得して頷く。儀式で神楽を舞っている最中、自分の妖力に反応し、鈴が青白い輝きを発していたことを思い出す。あれは鈴が花緒の妖力を増幅してくれていたのだ。
 与太郎が表情を引き締める。

「贄姫様と神楽鈴は一心同体でございます。ですから、贄姫様が焦りや不安、憎しみのような負の感情を持つと、鈴の妖力が贄姫様の感情に共鳴して暴走を起こす――これを『揺らぎ』と申すのです。『揺らぎ』を起こした鈴は周囲の毒気を引き寄せ増幅してしまいます。贄姫様、思い当ることはございませんか?」
「あります……。あの時、あの場にいた女の子の霊魂の記憶に影響されてしまって。気持ちが揺らいで、集中力を欠いてしまいました。それが『揺らぎ』を生んだ――」

 大池に映し出されていた少女の現世での記憶。それが、自分が泉水家で虐げられていた記憶を呼び起こしたことは伏せなければならない。自分の生い立ちを知られるわけにはいかないから。特に桜河には。
 口をつぐんだ花緒。桜河たちもその理由をここで質すつもりはないようで、気遣うような視線を向けるだけだった。
 与太郎が気づかわしげに続ける。

「今回はそれが原因だったようですね。贄姫様の妖力で鈴の暴走を制御できない場合、鈴は妖力の代わりに贄姫様自身の生命力を源として制御しようとします。代償として贄姫様は体力を激しく消耗する。ですから贄姫様は、儀式を完遂する間際に気を失われた」
「そうだったのですね……。お神楽を立て直した後、神楽鈴に体力を分け与えている感覚がありました。それは鈴が、私の体力を使って足りない妖力を補っていてくれていたからだったのですね」

 花緒は改めて、今は持ち合わせていない神楽鈴に感謝する。鈴は、何としても儀式を成功させたいとする花緒の願いに応えてくれたのだ。そうして無事に毒気を浄化し、負担を掛けたとはいえ花緒が無事でいられる方法を取ってくれた。
 与太郎が花緒に微笑みかける。

「『浄化』を行うにあたっては、贄姫様の精神が凪いでいる状態が好ましいと言われております。また、鈴の妖力は鈴が磨かれることによって研ぎ澄まされていく。ですから、大切に扱われた鈴には強大な力が宿るとされているのです。さきほどお蓮から窺いましたが、贄姫様は稽古後に毎回欠かさず鈴を磨かれていたようですね」
「いえ、お褒めいただけるようなことはなにも。ただ、まだまだ未熟な私ですから、せめて自分にできることをと鈴を磨いておっただけなのです」

 お蓮との舞の稽古後、花緒は日々の日課として鈴を磨いていた。その美しい輝きが曇らないように。神楽鈴との見えない絆を感じる。

 ――これからも鈴を大切にしよう。私と共に戦ってくれる半身なのだから。

 神楽鈴の涼やかな音が、まるで返事をするように花緒の耳に届いた気がした。