花緒にとって町へやって来るのは二度目だ。桜河の少し後ろを歩きながら緩やかな坂を下る。やがて少し開けた広場に出た。どうやら市場が開かれているようだ。
農家の女たちが店先に籠を並べている。野菜や茶葉が山のように盛られていた。その隣には魚屋があり、桶の中で銀色の小魚を泳がせている。遠くからは商人の引く荷車の軋む音が聴こえ、縁台に座って世間話に花を咲かせる老人たちの声や、町娘たちの笑い声や子どもたちの遊びまわる声で賑わっている。
市場の活気に満ちた様子に、笠を深く被った桜河の口元が微笑んでいた。
(桜河様、とても嬉しそう)
彼が身体を呈して守っている平和。この光景は彼にとって宝物のように大切なのだろう。
(今日、彼と一緒にここに来られてよかった……)
彼の守りたいもの。その気持ちを共有できた気がして、花緒は密かに誇らしくなる。
桜河が機嫌の良い様子で振り向く。
「花緒。何か見たいものはあるか?」
「見たいもの……」
「……すまない。俺は山吹と違ってあまり誰かと街で遊び歩いたことがないから、こういったときにどのような店に行くのが良いのか分からない。だから、お前がどんなものを好むのか、何をするのが楽しいのか、知りたい。お前のことを教えてくれ」
「え、え、ええと……!」
桜河の表情はあくまで真剣そのものだ。言葉が直球な分、花緒は赤面してしまう。
誰かに自分のことを教えて欲しいと言われたことなどなかった。自分に興味を持って貰えたことが初めてで、花緒はうろたえてしまう。自分のことをどう言葉にしたら良いのか分からなかった。
花緒は悩んだ末、言葉よりも行動で伝えることを試みる。花緒はきょろきょろと周囲を見渡す。市場の一角に銀細工や木工細工、陶器を並べる小間物屋が目に付いた。装身具には色とりどりの硝子玉が嵌め込まれている。昼下がりの日 を受けて輝く簪や髪飾り、帯留め。花緒は無意識にそちらに目をやる。
桜河がそんな花緒を見やった。
「あの店が気になるのか?」
「えっと……はい。綺麗だなって」
「よし。ならば見に行こう」
桜河は花緒の手を掴み、一直線に小間物屋を目指していく。花緒は急に取られた手に驚いたけれど、桜河は気にした様子もない。その朴訥なところが彼らしくて、花緒は小さく笑みを零した。彼に気づかれないよう、彼と繋がっている手に少しだけ力を込める。
彼に手を引かれるままに小間物屋の前までやって来た花緒。勘定帳に筆を走らせていた店主が顔を上げる。
「おやおや。お買い物ですかい? お嬢さん、今日は新しい簪が入っておりますよ」
「簪……」
店主が、脇に据えられた桐箱を花緒に差し出す。そこには目にしたこともない様々な美しい簪が並べられていた。鼈甲のつるりとした簪が日の光を受けて琥珀色に煌めいている。漆塗りの黒い簪には桜や菊が繊細な蒔絵で描かれていた。艶やかな簪の中でも、一際花緒の目を引いたのは銀細工の簪だった。先端に小さな鈴と桜の花弁が揺れている。髪に差せば、きっと歩くたびにシャラシャラと微かな音を立てるだろう。
小さな鈴は神楽鈴。桜の花弁は桜河を表すようだ。自分の身近なものを連想させる簪。まるで大切なものを見つめるように、花緒はその簪に釘付けになる。
簪に目をやったままの花緒を、桜河が覗き込んだ。
「……その簪が気に入ったのか?」
「ひゃ! いや、あの、ええと……」
桜河に突然顔を覗き込まれて、花緒はしどろもどろになる。黄金色の切れ長の瞳は息を呑むようだ。妖艶なほどに整った面立ち。彼自身には、己が脅威の美貌であるという自覚はなさそうだけれど。
花緒は桜河から視線を逸らす。簪の値札が目に入った。とても自分の手持ちで買える値段ではない……。良い物を見させてもらったということにして、購入はお断りしよう。
花緒は桜河に首を左右に振って答える。
「いいえ。素敵だなと思って見ていただけです。――店主様、品物をお見せくださってありがとうございます」
「ああ。よろしければまたどうぞ」
店主に断り、花緒は小間物屋を後にする。
花緒の背中を、桜河が何か言いたげな視線で追っていた。
農家の女たちが店先に籠を並べている。野菜や茶葉が山のように盛られていた。その隣には魚屋があり、桶の中で銀色の小魚を泳がせている。遠くからは商人の引く荷車の軋む音が聴こえ、縁台に座って世間話に花を咲かせる老人たちの声や、町娘たちの笑い声や子どもたちの遊びまわる声で賑わっている。
市場の活気に満ちた様子に、笠を深く被った桜河の口元が微笑んでいた。
(桜河様、とても嬉しそう)
彼が身体を呈して守っている平和。この光景は彼にとって宝物のように大切なのだろう。
(今日、彼と一緒にここに来られてよかった……)
彼の守りたいもの。その気持ちを共有できた気がして、花緒は密かに誇らしくなる。
桜河が機嫌の良い様子で振り向く。
「花緒。何か見たいものはあるか?」
「見たいもの……」
「……すまない。俺は山吹と違ってあまり誰かと街で遊び歩いたことがないから、こういったときにどのような店に行くのが良いのか分からない。だから、お前がどんなものを好むのか、何をするのが楽しいのか、知りたい。お前のことを教えてくれ」
「え、え、ええと……!」
桜河の表情はあくまで真剣そのものだ。言葉が直球な分、花緒は赤面してしまう。
誰かに自分のことを教えて欲しいと言われたことなどなかった。自分に興味を持って貰えたことが初めてで、花緒はうろたえてしまう。自分のことをどう言葉にしたら良いのか分からなかった。
花緒は悩んだ末、言葉よりも行動で伝えることを試みる。花緒はきょろきょろと周囲を見渡す。市場の一角に銀細工や木工細工、陶器を並べる小間物屋が目に付いた。装身具には色とりどりの硝子玉が嵌め込まれている。昼下がりの日 を受けて輝く簪や髪飾り、帯留め。花緒は無意識にそちらに目をやる。
桜河がそんな花緒を見やった。
「あの店が気になるのか?」
「えっと……はい。綺麗だなって」
「よし。ならば見に行こう」
桜河は花緒の手を掴み、一直線に小間物屋を目指していく。花緒は急に取られた手に驚いたけれど、桜河は気にした様子もない。その朴訥なところが彼らしくて、花緒は小さく笑みを零した。彼に気づかれないよう、彼と繋がっている手に少しだけ力を込める。
彼に手を引かれるままに小間物屋の前までやって来た花緒。勘定帳に筆を走らせていた店主が顔を上げる。
「おやおや。お買い物ですかい? お嬢さん、今日は新しい簪が入っておりますよ」
「簪……」
店主が、脇に据えられた桐箱を花緒に差し出す。そこには目にしたこともない様々な美しい簪が並べられていた。鼈甲のつるりとした簪が日の光を受けて琥珀色に煌めいている。漆塗りの黒い簪には桜や菊が繊細な蒔絵で描かれていた。艶やかな簪の中でも、一際花緒の目を引いたのは銀細工の簪だった。先端に小さな鈴と桜の花弁が揺れている。髪に差せば、きっと歩くたびにシャラシャラと微かな音を立てるだろう。
小さな鈴は神楽鈴。桜の花弁は桜河を表すようだ。自分の身近なものを連想させる簪。まるで大切なものを見つめるように、花緒はその簪に釘付けになる。
簪に目をやったままの花緒を、桜河が覗き込んだ。
「……その簪が気に入ったのか?」
「ひゃ! いや、あの、ええと……」
桜河に突然顔を覗き込まれて、花緒はしどろもどろになる。黄金色の切れ長の瞳は息を呑むようだ。妖艶なほどに整った面立ち。彼自身には、己が脅威の美貌であるという自覚はなさそうだけれど。
花緒は桜河から視線を逸らす。簪の値札が目に入った。とても自分の手持ちで買える値段ではない……。良い物を見させてもらったということにして、購入はお断りしよう。
花緒は桜河に首を左右に振って答える。
「いいえ。素敵だなと思って見ていただけです。――店主様、品物をお見せくださってありがとうございます」
「ああ。よろしければまたどうぞ」
店主に断り、花緒は小間物屋を後にする。
花緒の背中を、桜河が何か言いたげな視線で追っていた。

