一曲舞い終えた花緒は、静かに一礼をする。そうして顔を上げたところで――広間の柱の陰にいる桜河に気がついた。
花緒は慌てて居住まいを正す。
「桜河様! お越しになっていらっしゃったのですか?」
「……ッ、あ、ああ」
「……?」
桜河が一瞬たじろいだ様子を見せる。花緒は首を傾げた。
後方に控えていたお蓮がくすくすと上品に笑う。
「うちが誘うたんどすえ。自分の選んだ贄様がどないな舞をしはるのか、見に来たらよろしいと……まあ、桜河はんは恥ずかしがりやさかい、あんさんから見えへんようにこっそり見守ってはったみたいどすけど」
「お蓮。余計なことを言うな」
「ふっふ。そやけど、ほんまに目ぇ奪われるぐらい麗しい舞どすえ。まだ二週間やけど、ほんまにようがんばっとるなぁ。素直で真面目、才能に驕らず努力を怠らへん。鈴も毎日丁寧に磨いてはって……桜河はん、ほんまにええ贄様を選びはったなぁ。ええ殿方はええ奥方をちゃぁんと選ぶんどすなぁ」
「お蓮!」
「お蓮さん! わ、私はそんな……!」
お蓮のあまりの褒めっぷりに恥ずかしくなる花緒と、流れ弾をくらった桜河。二人して顔を真っ赤にする。彼らの慌てふためく様子にお蓮は可笑しそうにけらけらと声を上げて笑った。
「ほな、野暮なお邪魔はこれにてお暇させていただきますなぁ。あとは若い者同士よろしゅうしなさんな」
お蓮はなおも楽しそうに笑いながら広間を去って行った。
「…………」
「…………」
残された花緒と桜河。何とも言えない気恥ずかしい沈黙。
桜河が苦し紛れに咳ばらいをする。
「……舞の練習は、順調か?」
「は、はい。お蓮先生のご指導が素晴らしくて。練習の手応えを感じております」
「それは何よりだ。『現世』でも舞を習っていたのだろう?」
桜河が広間に足を踏み入れ、花緒に歩み寄る。桜河の質問に花緒は俯いた。
「はい……。泉水家で唯一習っていたお稽古事が舞でした。練習はとてもきついものでしたが、その時に学んだ基礎が今こうして役に立っていると思うと嬉しいです」
「そうか。努力を積んできたのだな」
感心する桜河。花緒は曖昧に微笑むしかなかった。お蓮の指導を受けたからこそ改めて思い知る。泉水家での舞の稽古は虐待に近いものだった。けれどもそれを彼に明かすわけにはいかない。彼が自分を贄姫に選んだから起こってしまったことだと悟られないために。
桜河が口を噤む。花緒はそんな彼の様子を窺おうと上目遣いに見上げる。彼は耳元を僅かに赤くしながらそっぽを向いた。
「……――さきほどの舞はとても……美しかった。お蓮の言葉ではないが、神楽を舞うおまえから目が離せなかった」
「ありがとう、ございます……。桜河様にお褒めいただけて、なにより嬉しいです。必ず贄姫のお役目を果たして、お屋敷で養っていただいているご恩をお返しします」
桜河に『常世』に招いて貰えたこそ、自分は人の尊厳を取り戻すことができた。今こうして笑えているのは彼のおかげだ。彼の恩義に報いたい。彼の助けになりたい。それが今の自分の原動力だった。
桜河が後ろ頭を掻く。
「おまえは俺の贄姫だ。生活を保障していることなど当たり前のことであるというのに。しかし恩義か……。それならば、言葉に甘えて一つ頼み事を聞いては貰えないか?」
「はい。なんなりと」
「その、この後の予定は空いているだろうか」
少し勇気を出したふうに、桜河が花緒を真っ直ぐに見つめる。
たしか今日の午後は本来ならば瓢坊の講義であった。けれども、瓢坊の元に急な客人が見えることになったらしく休講になったのだ。
花緒は首を傾げながらも頷く。
「空いております。瓢坊先生の講義が急きょお休みになりまして……。ご用向きでしたらなんでもお申し付けください」
「いや、そうではなく――」
「……?」
「これから、一緒に、町に、出かけないか」
桜河から一言一句区切りながら発せられた言葉。ぎこちない言い方から、彼が勇気を振り絞って誘ってくれたことがわかる。桜河のなんとも可愛らしい意外な姿。花緒は恥ずかしさよりも嬉しさのほうが勝り、顔を綻ばせる。
「お誘いいただけて嬉しいです! ぜひ、ご一緒させてください」
「そ、そうか……!」
ぱあ、とまるで花が咲いたように桜河が表情を明るくする。桜河は歴代最強の妖力を持つ妖の王と言われ、皆から畏怖されているけれど――。その素の姿は、まるで少年のように真っ直ぐで素直なのかもしれない。彼の本当の姿をもっと知ってみたいと、花緒は思い始めていた。彼を怖がっているだけでは、きっと贄姫として彼の力になることなどできないと思うのだ。
花緒と桜河が見つめ合っていると、柱の陰から使用人の梅の笑い声が聞こえてくる。
「まあまあ。なんとも可愛らしい場面を見させていただきました。桜河様と花緒様は、これから町にお出かけになるのですね?」
「梅……」
「は、はい。桜河様とお出かけさせていただくのは初めてなので、楽しみです」
嬉しさから、思わず本音が出てしまう。浮かれていて恥ずかしい、と花緒は慌てて口元を覆う。窺うように隣の桜河を見上げると、彼もまた目元を赤くして視線を逸らしていた。梅がころころと可愛らしく笑う。
「あらあら。なんて初々しいことでしょう。そういうことでしたら、この梅、張り切らせていただきます」
「梅さん……?」
「おめかしいたしましょう、花緒様! 腕が鳴りますわ!」
「わ、わっ!」
あれよあれよという間に、花緒は梅に引きずられていく。梅は鼻歌交じりだ。花緒は梅に腕を引かれるままに、自室へと連れて行かれる。
その様子を、残された桜河が呆気に取られて見つめていた。
花緒は慌てて居住まいを正す。
「桜河様! お越しになっていらっしゃったのですか?」
「……ッ、あ、ああ」
「……?」
桜河が一瞬たじろいだ様子を見せる。花緒は首を傾げた。
後方に控えていたお蓮がくすくすと上品に笑う。
「うちが誘うたんどすえ。自分の選んだ贄様がどないな舞をしはるのか、見に来たらよろしいと……まあ、桜河はんは恥ずかしがりやさかい、あんさんから見えへんようにこっそり見守ってはったみたいどすけど」
「お蓮。余計なことを言うな」
「ふっふ。そやけど、ほんまに目ぇ奪われるぐらい麗しい舞どすえ。まだ二週間やけど、ほんまにようがんばっとるなぁ。素直で真面目、才能に驕らず努力を怠らへん。鈴も毎日丁寧に磨いてはって……桜河はん、ほんまにええ贄様を選びはったなぁ。ええ殿方はええ奥方をちゃぁんと選ぶんどすなぁ」
「お蓮!」
「お蓮さん! わ、私はそんな……!」
お蓮のあまりの褒めっぷりに恥ずかしくなる花緒と、流れ弾をくらった桜河。二人して顔を真っ赤にする。彼らの慌てふためく様子にお蓮は可笑しそうにけらけらと声を上げて笑った。
「ほな、野暮なお邪魔はこれにてお暇させていただきますなぁ。あとは若い者同士よろしゅうしなさんな」
お蓮はなおも楽しそうに笑いながら広間を去って行った。
「…………」
「…………」
残された花緒と桜河。何とも言えない気恥ずかしい沈黙。
桜河が苦し紛れに咳ばらいをする。
「……舞の練習は、順調か?」
「は、はい。お蓮先生のご指導が素晴らしくて。練習の手応えを感じております」
「それは何よりだ。『現世』でも舞を習っていたのだろう?」
桜河が広間に足を踏み入れ、花緒に歩み寄る。桜河の質問に花緒は俯いた。
「はい……。泉水家で唯一習っていたお稽古事が舞でした。練習はとてもきついものでしたが、その時に学んだ基礎が今こうして役に立っていると思うと嬉しいです」
「そうか。努力を積んできたのだな」
感心する桜河。花緒は曖昧に微笑むしかなかった。お蓮の指導を受けたからこそ改めて思い知る。泉水家での舞の稽古は虐待に近いものだった。けれどもそれを彼に明かすわけにはいかない。彼が自分を贄姫に選んだから起こってしまったことだと悟られないために。
桜河が口を噤む。花緒はそんな彼の様子を窺おうと上目遣いに見上げる。彼は耳元を僅かに赤くしながらそっぽを向いた。
「……――さきほどの舞はとても……美しかった。お蓮の言葉ではないが、神楽を舞うおまえから目が離せなかった」
「ありがとう、ございます……。桜河様にお褒めいただけて、なにより嬉しいです。必ず贄姫のお役目を果たして、お屋敷で養っていただいているご恩をお返しします」
桜河に『常世』に招いて貰えたこそ、自分は人の尊厳を取り戻すことができた。今こうして笑えているのは彼のおかげだ。彼の恩義に報いたい。彼の助けになりたい。それが今の自分の原動力だった。
桜河が後ろ頭を掻く。
「おまえは俺の贄姫だ。生活を保障していることなど当たり前のことであるというのに。しかし恩義か……。それならば、言葉に甘えて一つ頼み事を聞いては貰えないか?」
「はい。なんなりと」
「その、この後の予定は空いているだろうか」
少し勇気を出したふうに、桜河が花緒を真っ直ぐに見つめる。
たしか今日の午後は本来ならば瓢坊の講義であった。けれども、瓢坊の元に急な客人が見えることになったらしく休講になったのだ。
花緒は首を傾げながらも頷く。
「空いております。瓢坊先生の講義が急きょお休みになりまして……。ご用向きでしたらなんでもお申し付けください」
「いや、そうではなく――」
「……?」
「これから、一緒に、町に、出かけないか」
桜河から一言一句区切りながら発せられた言葉。ぎこちない言い方から、彼が勇気を振り絞って誘ってくれたことがわかる。桜河のなんとも可愛らしい意外な姿。花緒は恥ずかしさよりも嬉しさのほうが勝り、顔を綻ばせる。
「お誘いいただけて嬉しいです! ぜひ、ご一緒させてください」
「そ、そうか……!」
ぱあ、とまるで花が咲いたように桜河が表情を明るくする。桜河は歴代最強の妖力を持つ妖の王と言われ、皆から畏怖されているけれど――。その素の姿は、まるで少年のように真っ直ぐで素直なのかもしれない。彼の本当の姿をもっと知ってみたいと、花緒は思い始めていた。彼を怖がっているだけでは、きっと贄姫として彼の力になることなどできないと思うのだ。
花緒と桜河が見つめ合っていると、柱の陰から使用人の梅の笑い声が聞こえてくる。
「まあまあ。なんとも可愛らしい場面を見させていただきました。桜河様と花緒様は、これから町にお出かけになるのですね?」
「梅……」
「は、はい。桜河様とお出かけさせていただくのは初めてなので、楽しみです」
嬉しさから、思わず本音が出てしまう。浮かれていて恥ずかしい、と花緒は慌てて口元を覆う。窺うように隣の桜河を見上げると、彼もまた目元を赤くして視線を逸らしていた。梅がころころと可愛らしく笑う。
「あらあら。なんて初々しいことでしょう。そういうことでしたら、この梅、張り切らせていただきます」
「梅さん……?」
「おめかしいたしましょう、花緒様! 腕が鳴りますわ!」
「わ、わっ!」
あれよあれよという間に、花緒は梅に引きずられていく。梅は鼻歌交じりだ。花緒は梅に腕を引かれるままに、自室へと連れて行かれる。
その様子を、残された桜河が呆気に取られて見つめていた。

