萌黄色に手毬柄の描かれた可愛らしい単衣。私室の衣紋掛(えもんか)けにあったそれを羽織った花緒。夕餉の時間を迎え、桜河たちの待つ奥座敷へやって来ていた。

「花緒です。失礼いたします」

 畳に指をついて頭を下げる。そうしてゆっくりと襖を開けると――

「桜河! この団子、美味いナ!」
「あ、ああ。梵天丸、それは俺の分だったのだが……」

 口の周りをみたらし団子の醬油のタレまみれにした梵天丸と、彼に自分の分を取られたらしく困った顔をしている桜河の姿だった。場内にはすでに蘭之介と山吹もいる。蘭之介は豪快に串団子に齧りついている。山吹は梵天丸と桜河のやり取りを酒の肴に笑っていた。いつもの賑やかな皆の雰囲気に、花緒も自然と笑みが零れる。

「花緒」

 眉尻を下げて、どことなく悲しそうな表情でこちらを見る桜河。彼らしからぬ可愛らしい一面だ。花緒はくすくすと笑いながら彼の膳の下座に膝をついた。

「そんなに悲しそうなお顔をなさらないでください。お団子ならまた買ってまいります」
「そうではない。おまえが初めて俺に買ってきてくれた土産だったから、特別に食べたかったのだ……」
「そ、そうだったのですか」

 桜河の素直な言葉。あまりの不意打ちに、花緒はたじろいでしまう。恥ずかしくて顔を俯けた。桜河は言葉少なだ。だからこそ一つ一つの言葉が直球で心臓に悪い。
 蘭之介は、花緒を一瞥したのみで黙々と串団子を齧っている。
 彼と言葉を交わせる仲になるにはまだ時間が掛かりそうだ。未だに、突然桜河の贄姫としてやって来た自分を警戒している節もある。彼が桜河のことを守ろうとしているからこそなのだろう。蘭之介の信頼を得るためには、贄姫としての実力をつけるしかない。
 桜河が皆の顔を見回した。

「花緒。神楽の舞でいかように魂の毒気を祓うのか。その詳しい説明がまだだったな。食事を摂りながら話そう」
「よろしくお願いいたします」

 一同は、いつもながらに丁寧に拵えられた食事に箸を伸ばす。桜河の話が始まる前に、梵天丸が花緒の膝の上に飛び乗って来る。梵天丸の白いもこもこの毛に微笑みながら、花緒は自分の手ぬぐいで梵天丸の口の周りを拭ってやった。結局、桜河の分の団子も全部食べたらしい。口が醤油のタレと餡子でベタベタだ。
 桜河がいったん箸を置く。

「贄姫の神楽の舞が毒気を浄化する。それは先日話した通りだ。贄姫の役割については、瓢坊の講義でも習っているようだな」
「はい。桜河様と贄と契りを交わしたことで、私の神楽の舞には妖力が宿っております。その舞をもって『現世』からもたらされた魂の穢れを祓うことができると」

 山吹が、うんうんと満足そうに頷く。

「その通り。その役目は、『現世』から『常世』に渡った贄姫にしかできない。よく理解しているようだね」
「ありがとうございます。それで、『現世』の魂は北の門を通じて『常世』にやって来るのですよね? お神楽を舞うのは主に北の門の前でということになるのでしょうか?」
「そうだね。大元を断つことが一番だから」

 山吹がお猪口の清酒を仰いだ。花緒の膝元の梵天丸が首を持ち上げる。

「オイラたちは、その北の妖門のことを蛇門(じゃもん)って呼んでいるゾ」
「蛇門……」

 黒姫国の妖の王である桜河の姿にちなんでいるのだろうか。
 桜河が思案するふうに顎に手を当てる。

「習うより慣れろと言う。今から一か月後、蛇門にて毒気を抑え込む『浄化(じょうか)()』を行う。花緒。おまえもそれに同行してほしい」
「やめとけよ。そんな素人連れて行ったって足手まといになるだけだ」

 蘭之介が抗議する。山吹がそれを否定する。

「……いや。桜河の言う通りだ。いつかはやらなければいけないことだ。それなら早く経験してもらったほうが良い。桜河に限界が近づいていることもあるしね」
「む、俺なら平気だ」

 桜河が眉根を寄せる。さきほどの町歩きの際、山吹が懸念していたことを言っているのだろう。

(桜河様のお身体にこれ以上のご負担をかけるわけにはいかない。一刻も早く、私が贄姫として毒気を浄化できるようにならなければ)

 そのためには、桜河の言葉どおり習うより慣れろなのだろう。実際にやってみなければ、自分の力がどの程度なのかわからない。
 花緒は表情を改める。自分の胸に片手を当てた。

「桜河様。梵天丸さん。ぜひとも私を次の『浄化の儀』に連れて行ってください」
「もちろんだ。期待しているぞ」
「次は花緒も一緒に来るのカ! 楽しみだナ!」

 桜河が微笑み、梵天丸が宙に飛び上がって一回転した。
 いよいよ自分の『常世』での本格的な務めが始まる。必ず成功させようと花緒は心に誓う。桜河が箸を取り、食事を再開する。

「ともかく、次の『浄化の儀』まではまだ日にちがある。焦ることはない。その間に花緒は舞の稽古をつけておいてくれ」
「かしこまりました。皆様のご期待に応えられるよう、頑張ります」

 花緒は思わず拳を握って答える。こんなにも自分に感情が出てきたことに驚いてしまう。皆に期待され、必要とされることがこんなにも活力になるなど知らなかった。自分にできることは精一杯力を尽くそうと思えた。
 花緒は、少しずつ少しずつ、変わり始めていたのだ。
 夕暮れの薄明りが、障子を通して差し込んでいる。穏やかな光が、前を向き始めた花緒の背中を優しく押してくれていた。