「……ずいぶんと遅かったな。花緒、山吹」

 町歩きを終えて屋敷へ帰宅した花緒と山吹。そんな二人を真っ先に出迎えたのは、山吹の予想通り、帰りを待ちかねていたらしい桜河だった。袂に腕を差し入れて、どことなく憮然とした表情をしている。心なしか口調も咎める雰囲気がある。
 桜河を怒らせてしまったかと首を竦める花緒。対して山吹は吹き出して笑った。

「あっははは! やっぱり桜河が心配していたね、花緒ちゃん」
「どういうことだ?」

 桜河が不服そうに聞き返す。山吹がおかしそうに目元の涙を拭う。

「おれたちの帰りが遅いと、おまえが心配するだろうって花緒ちゃんと話していたんだ。いや、正確にはおれたちじゃなくて花緒ちゃんのことを、か。おまえは花緒ちゃんのことを過保護なほど大切にしているから」
「なっ……!」

 桜河がたじろぐ。うろたえている桜河のことを初めて見た花緒は目を丸くしてしまう。
 山吹がさらにお腹を抱えて笑い出した。

「おまえの大事な贄姫を連れ出して悪かったよ、桜河。そう怒らないでくれ。きちんと収穫はあったからね。ね、花緒ちゃん?」
「収穫……」

 急に話を振られて、花緒は姿勢を正した。
 収穫とは、狂妖を目の当たりにできたことだろうか。
 桜河はそれだけで察したらしく、小さく頷いた。

「……そうか。それならば、夕餉の時にでも今日得たものを話してもらおう。まずは無事で良かった。花緒」

 桜河が整った口もとを持ち上げてかすかに微笑む。自然に向けられる彼の微笑に、花緒は思わず心臓が飛び跳ねてしまう。
 そう言えば、桜河はずいぶんと自分に感情を見せてくれるようになったと思う。彼が僅かでも自分に気を許してくれていると感じて心がむず痒くなる。
 山吹が、そういうことはあっちでやってとばかりに手を払う。

「まったく、おまえ達の仲が良くてこっちはその空気に充てられそうだよ。――そうだ、桜河。はい、これお土産」
「土産……。団子か?」
「そう。途中で花緒ちゃんとお団子屋さんで逢引したものだからね。せめてもの贖罪にお土産を買って来たんだよ。蘭ちゃんと梵天丸と分けて食べてね」

 山吹は、和紙に包まれた数本の串断固を胸元から取り出す。それを無造作に桜河に差し出した。桜河はそれを受け取りつつ、逢引の言葉に僅かに片眉を跳ね上げる。桜河は山吹に声を掛けるのではなく、花緒に視線を向けた。

「……花緒。山吹と団子屋に行ったのか?」
「は、はい。山吹さんが誘ってくださいまして……」
(……桜河様、何か、怒っている……?)

 花緒はおろおろしてしまう。山吹に助けを求めるように目線を向けるも、彼はどこ吹く風で明後日方向に口笛を吹いている。
 桜河はなおも花緒に詰め寄る。

「花緒は、甘い物が好きなのか?」
「え?」

 突然の予想もしていなかった質問。花緒は素っ頓狂な声を上げてしまう。
 目だけで桜河を見上げると、彼はどこまでも真剣な表情だった。ここは自分も真面目に答えなければならない。花緒は胸元で拳を作る。

「は、はい! 甘い物は、大好きです」
「そうか……」

 気合いを入れて答えたものの、桜河から帰ってきたのはあっさりとした返答だった。拍子抜けしてしまった花緒に、桜河がぽつりと言い添える。

「それでは、今度は俺と、甘味を食べに行こう」

 え――……?
 今のは聞き間違いだろうか。ううん、確かに聞こえた。
 花緒が桜河に言われた言葉を噛みしめている間。桜河はくるりと背を向けると、屋敷の奥へと歩いて行ってしまう。その耳もとが少しだけ赤いのは、きっと花緒の見間違いではないだろう。
 花緒はどきどきと高鳴ってしまう胸を両手で押さえる。

(今、桜河様、私のことを誘ってくださった……?)

 小さくなっていく桜河の背中から目が離せない。事の顛末を見守っていた山吹が面白そうに言う。

「桜河の奴、やきもちか? 相変わらず独占欲が強い男だなあ」
「それは、山吹さんが桜河様をからかうからでしょう」

 もう、と花緒は腰に手を当てる。山吹を叱るのにも慣れ始めている自分に気づく花緒。なんとも不思議な感じだ。山吹の人懐こい人柄が、自分や周囲を惹きつけるのだろう。彼の壮絶な生い立ちからは考えられないほど、彼は明るく、そして人に優しいのだ。
 花緒は表情を改める。

「山吹さん、今日は町に連れて行ってくださってありがとうございます。おかげでたくさんのものを得ることができました」
「うん」
「山吹さんのお人柄も知ることができましたしね!」

 ふふっといたずらっぽく笑むと、山吹がこちらを流し目で見る。花緒を試すかのような笑みを浮かべた。

「花緒ちゃんが表情豊かになってきてくれて良かった。次は君が贄姫として活躍してくれることを楽しみにしているよ」
「ぜ、善処いたします……」

 花緒は緊張気味に表情を引き締める。
 彼は先代の妖の王である桜影が生きている頃から桜河の面倒を見てきた。桜河のことを家族同然に大切に思っているのだろう。自分は、桜河の贄姫としてふさわしい実力を示し、彼に認めてもらわなければならないのだ。花緒は身が引き締まる。

「さて、そろそろおれ達も少し休もう。それじゃあ夕餉の時にね」

 山吹はひらひらと花緒に手を振る。首の後ろで腕を組みながら、軽やかな足取りで去って行ってしまった。
 山吹の言う通りだ。気づけば、初めての町歩きや狂妖との対面で思った以上に体が疲れていた。これから『浄化の儀』を担っていくことになるのだ。今日以上に緊張感のある毎日になるだろう。

(――……もっと体力をつけなくちゃ)

 『現世』で最低限の食事しかしていなかった自分は、まだまだ体が細く、弱い。いざという時に動けなくならないよう、体力づくりもしなければならないだろう。そうと決まればなるべく夕餉の食事をたくさん摂らなくては。
 花緒は意気込んで、自分の私室へと向かった。