花緒は胸元で拳を握りしめる。身を隠していた竹垣から山吹に駆け寄る。
「山吹さん。お怪我はありませんか?」
「ないよ。むしろさっきの狂妖が気がかりでね。なるべく苦しまずに葬ることができていたらいいんだけれど……」
山吹が声音を落とす。彼の父親が狂妖となって命を落としてしまった。彼の過去に今の光景を重ねているのかもしれない。
言葉をかけられない花緒。山吹が気を取り直したように話題を変える。
「花緒ちゃんこそ、平気? 怖くなかった?」
「怖くなかった、とは言えないのですが……。それでも、これから自分が行っていく浄化が、妖魔にとってどれほど大切なことなのかがわかりました。この場へ連れて来てくださってありがとうございます。本来なら団子屋さんで待つように指示もできたはずなのに」
自分を狂妖の前で連れ出すということは、山吹は狂妖と戦いながらこちらを守らなければならなくなる。彼の負担と危険度が増すはずなのだ。彼にとって一介の狂妖など相手にならないのかもしれないが。
それでも自分を留守番させず、この場に連れて来てくれた。狂妖を見せるために。『浄化の儀』がどれほどの苦痛から妖魔を救うことができるのかを見定めさせるために。
山吹の真意を読み取る花緒。山吹は眉尻を下げて苦笑する。
「君は聡いねえ。君のお役に立てたのなら良かった。ただの町歩きにならずに社会見学になったようで何よりだよ」
「ご指導ありがとうございます。山吹先生」
花緒は、にこりと含んだように笑んで頭を下げる。山吹が嫌そうな顔をする。
「先生って……。からかっているでしょう、花緒ちゃん」
「いつも山吹さんにはからかわれておりますので。ちょっとした仕返しです」
「してやられたなあ」
山吹は軽い調子で受け流す。そうして周囲を手早く見渡した。
「大きな被害は出ていないようだね。それじゃあ、そろそろ屋敷に戻ろうか。あまり遅くなると桜河が心配するからね」
「……桜河様は、この国で暮らす妖魔たちがあのような狂妖になって苦しまないよう、お一人で毒気を抑え込んでいらっしゃるのですね」
「……そうだね。町を歩いてみて分かったと思うけれど、平和そのものだったでしょう。さっきみたいに多少の狂妖が出ることはあるけれどね。それでも大した被害はなく処理できる程度だ。それもこれも、桜河が毒気の蔓延を防いでいるからに他ならない」
山吹はそこで一度言葉を切る。そして遠い思い出を思い起こすように言う。
「君のもつ贄の力は、『常世へ送られてきた魂を浄化することが唯一にして最大の能力』なんだ。『一度狂妖に堕ちてしまった妖魔は元に戻せない』。おれの父親がそうだったようにね。まあ、桜河なら狂妖の毒気さえも肩代わりすることはできなくもないだろうけど……ただそれは、桜河が特別なだけ。妖の王でも普通はそんな無茶苦茶なことできないし、狂妖の毒気は魂の比じゃないから、もし桜河がやるといってもそんなことはさせられない」
「はい……」
「町に出てしまった狂妖を手にかけることを『虚葬』って言って、これは桜河の眷属であるおれたちの任務の一つ。町の人を守るためでもあるし、狂妖となってしまった彼らの尊厳を守るためでもあるんだ。でも、いくら任務だからって慣れるものじゃないし、慣れていいものじゃない。彼らにだって、家族や仕事があって……普通に暮らしていたはずの普通の妖魔だったんだよ」
山吹の口調はあくまで穏やかだ。狂妖への深い思いやりが感じられる。
「だからこそ、自国の民を守るために桜河はなるべく狂妖を生み出さないようにしている。けれども、それももう限界に近い。いくら妖の王とはいえ、身体に負担をかけ続けたらいつかは倒れてしまう。桜河はああ見えて強がりで負けず嫌いだ。だから弱音を吐かずに平気なふりをしているけれど――手遅れになるまえに君が現れてくれてよかった」
山吹が心から穏やかに笑う。花緒は胸の内がキュッと痛くなる。
「……今更ですけれど、私などで本当に贄姫が務まるのか不安なのです。私のお神楽の舞で毒気を祓い、桜河様や他の妖魔たちが狂妖に堕ちることを防ぐことができるのか」
「それは、実際にやってみるしかないだろうね。これから舞の稽古もつけるようだし、徐々に自信を持てるようになるんじゃないかな。焦らない、焦らない」
「はい……」
山吹は手を伸ばすと、花緒の頭をぽんっと撫でた。大きくて温かな手。まるで子どものような扱いで気恥ずかしいけれど、それ以上に嬉しかった。優しい兄ができたようで。花緒は湧き上がる嬉しい気持ちを抑えきれず、こっそりと頬を緩める。
そんな花緒を、山吹は温かな眼差しで見守っていた。
「山吹さん。お怪我はありませんか?」
「ないよ。むしろさっきの狂妖が気がかりでね。なるべく苦しまずに葬ることができていたらいいんだけれど……」
山吹が声音を落とす。彼の父親が狂妖となって命を落としてしまった。彼の過去に今の光景を重ねているのかもしれない。
言葉をかけられない花緒。山吹が気を取り直したように話題を変える。
「花緒ちゃんこそ、平気? 怖くなかった?」
「怖くなかった、とは言えないのですが……。それでも、これから自分が行っていく浄化が、妖魔にとってどれほど大切なことなのかがわかりました。この場へ連れて来てくださってありがとうございます。本来なら団子屋さんで待つように指示もできたはずなのに」
自分を狂妖の前で連れ出すということは、山吹は狂妖と戦いながらこちらを守らなければならなくなる。彼の負担と危険度が増すはずなのだ。彼にとって一介の狂妖など相手にならないのかもしれないが。
それでも自分を留守番させず、この場に連れて来てくれた。狂妖を見せるために。『浄化の儀』がどれほどの苦痛から妖魔を救うことができるのかを見定めさせるために。
山吹の真意を読み取る花緒。山吹は眉尻を下げて苦笑する。
「君は聡いねえ。君のお役に立てたのなら良かった。ただの町歩きにならずに社会見学になったようで何よりだよ」
「ご指導ありがとうございます。山吹先生」
花緒は、にこりと含んだように笑んで頭を下げる。山吹が嫌そうな顔をする。
「先生って……。からかっているでしょう、花緒ちゃん」
「いつも山吹さんにはからかわれておりますので。ちょっとした仕返しです」
「してやられたなあ」
山吹は軽い調子で受け流す。そうして周囲を手早く見渡した。
「大きな被害は出ていないようだね。それじゃあ、そろそろ屋敷に戻ろうか。あまり遅くなると桜河が心配するからね」
「……桜河様は、この国で暮らす妖魔たちがあのような狂妖になって苦しまないよう、お一人で毒気を抑え込んでいらっしゃるのですね」
「……そうだね。町を歩いてみて分かったと思うけれど、平和そのものだったでしょう。さっきみたいに多少の狂妖が出ることはあるけれどね。それでも大した被害はなく処理できる程度だ。それもこれも、桜河が毒気の蔓延を防いでいるからに他ならない」
山吹はそこで一度言葉を切る。そして遠い思い出を思い起こすように言う。
「君のもつ贄の力は、『常世へ送られてきた魂を浄化することが唯一にして最大の能力』なんだ。『一度狂妖に堕ちてしまった妖魔は元に戻せない』。おれの父親がそうだったようにね。まあ、桜河なら狂妖の毒気さえも肩代わりすることはできなくもないだろうけど……ただそれは、桜河が特別なだけ。妖の王でも普通はそんな無茶苦茶なことできないし、狂妖の毒気は魂の比じゃないから、もし桜河がやるといってもそんなことはさせられない」
「はい……」
「町に出てしまった狂妖を手にかけることを『虚葬』って言って、これは桜河の眷属であるおれたちの任務の一つ。町の人を守るためでもあるし、狂妖となってしまった彼らの尊厳を守るためでもあるんだ。でも、いくら任務だからって慣れるものじゃないし、慣れていいものじゃない。彼らにだって、家族や仕事があって……普通に暮らしていたはずの普通の妖魔だったんだよ」
山吹の口調はあくまで穏やかだ。狂妖への深い思いやりが感じられる。
「だからこそ、自国の民を守るために桜河はなるべく狂妖を生み出さないようにしている。けれども、それももう限界に近い。いくら妖の王とはいえ、身体に負担をかけ続けたらいつかは倒れてしまう。桜河はああ見えて強がりで負けず嫌いだ。だから弱音を吐かずに平気なふりをしているけれど――手遅れになるまえに君が現れてくれてよかった」
山吹が心から穏やかに笑う。花緒は胸の内がキュッと痛くなる。
「……今更ですけれど、私などで本当に贄姫が務まるのか不安なのです。私のお神楽の舞で毒気を祓い、桜河様や他の妖魔たちが狂妖に堕ちることを防ぐことができるのか」
「それは、実際にやってみるしかないだろうね。これから舞の稽古もつけるようだし、徐々に自信を持てるようになるんじゃないかな。焦らない、焦らない」
「はい……」
山吹は手を伸ばすと、花緒の頭をぽんっと撫でた。大きくて温かな手。まるで子どものような扱いで気恥ずかしいけれど、それ以上に嬉しかった。優しい兄ができたようで。花緒は湧き上がる嬉しい気持ちを抑えきれず、こっそりと頬を緩める。
そんな花緒を、山吹は温かな眼差しで見守っていた。

