天涯孤独になったおれは、毒気の少ない場所へ逃げた。日々なんとか食料を調達しながら生きながらえていた。
それからまもなく、先代の妖の王である黒蛇――桜影が戴冠した。桜影は贄姫を得たおかげで毒気を浄化。黒姫国が少しずつ平穏を取り戻し始めた。
相変わらず霊山で独り暮らしをしていたおれは、黒姫国が安定して魂の穢れや毒気が落ち着いてきた頃を見計らい、父の故郷・烏天狗の集落を訪ねることにした。孤独な暮らしはやっぱり寂しかったから、他の烏天狗の仲間に会いたかったんだ。
けれど、毒気から残った烏天狗たちは暮らしを保つことに精一杯。半妖という異端のおれを受け入れるだけの器はなかった。それどころか、普通の烏天狗よりも強い妖力を持つおれに恐れと嫌悪の感情を向け、徹底的におれを攻撃し、排除しようとした。
人も妖魔も、暗黒期を生きた者たちの心はみなすっかり荒んでしまっていたんだ。
おれは、強力な妖力を持ってはいたけれど、妖力操作が未熟だった。だから、烏天狗たちの一斉の攻撃に耐えるだけの力がない。
幾度も執拗な集団攻撃により致命傷を負いかけたおれのもとに、ある日、一人の男が救いの手を差し伸べる。
「―――やっと見つけた」
その男は妖の王だと名乗った。その男こそ、桜河の父である先代の黒蛇、桜影様だった。
桜影様はおれの父と旧知の仲で、父は生前に桜影様に一つ頼み事をしていた。
『この毒気の蔓延した時代。もしも自分が毒気にやられて正気を失い、命を落とすことがあったら。どうか妻と息子を助けてやってほしい。特に息子は半妖だ。おそらく何があろうとも生き延びる力があるだろう。どうか手を差し伸べてくれないか』。
***
そこまで話し終えた山吹。隣で黙って話を聞いていた花緒に、眉尻を下げて笑む。
「結局生き残ったのはおれだけだったけれどね。桜影様は父との約束を律儀に守ってくださり、霊山で傷を癒していたおれを助けてくださったんだ。その後は妖の王である桜影様と主従契約を結んで、従者となって屋敷で暮らすようになった」
「そうだったのですね。話してくださってありがとうございます。とてもお辛い過去で、言葉もないのですが……。私が言えることは、山吹さんがご無事で、こうしてお会いすることができてよかったです」
山吹を安心させるよう、にこ、と笑いかける。山吹は目を瞬いた。
「あ、花緒ちゃんが笑った! 小さな花が咲いたみたいだ。可愛いなあ」
「で、ですから、すぐにからかわないでください!」
もう、と花緒は少しだけ頬を膨らませる。山吹の明るさも、ひょうきんなところも、辛い過去を乗り越えてきた証拠だ。
山吹が付け加える。
「その後もまあ、いろいろとあったんだけれど……。そこはおいおい話させてもらうとして。桜影様の従者だったおれは、桜影様から息子である桜河に王位継承された際。そのまま桜河と主従契約を交わして従者となった。そして今に至る。というわけだね」
「なるほど……。山吹さんと桜河様は、桜影様の時代からのお付き合いということなのですね。お二人の気心が知れている理由がわかりました」
「まあね。何と言っても桜河が赤ん坊だった時から一緒にいるわけだから。ちなみに、桜河の妖力操作の師範をしていたのもおれだ。だから桜河からは『先生』や『師匠』って呼ばれる立場。それなのに桜河ってば、おれに悪態ばかりついて」
昔も今も全然敬ってくれないんだ、と山吹が唇を尖らせている。おそらく桜河にそのような文句を言えるのは山吹だけなのだろう。山吹と桜河が互いを信頼している証拠だ。
微笑ましいエピソードで、花緒はくすくすと笑ってしまう。山吹が頬を膨らませる。
「花緒ちゃんまで笑って……。まあ、幼い桜河が可愛かったもので、ついつい兄貴風を吹かせてからかっちゃってね。それで桜河は拗ねていたんだろう。桜河にとっておれは、一番身近にいるおじさんみたいなものだから」
「おじさん……」
年齢だけ考えればそうなのだろう。けれど、若々しく端正な顔立ちの山吹を見ていると、とてもではないが『おじさん』とは呼べない。
話し込んでしまい、すっかり冷めてしまった串団子に山吹が手を伸ばす。
「団子を食べ終わったら町歩きを再開しよう。花緒ちゃんを案内したいところが――」
山吹が言いかけた時だった。
「きゃあああ! 狂妖よッ! 誰か、誰か――――っ!」
女の悲鳴が辺りをつんざく。のんびりと町を行き交っていた妖魔や人間が、次々と悲鳴を上げながら逃げ惑う。
花緒は山吹と顔を見交わす。山吹が緊迫した面持ちで立ち上がった。
「――行くよ、花緒ちゃん!」
「は、はい……!」
狂妖。毒気に充てられて正気を失った妖魔。妖魔も人も見境なく襲うという。
浄化の巫女。贄姫である自分が救うべき者。初めて目の当たりにすることになる。
花緒は震える手に力を込める。奥歯を食いしばって立ち上がった。
……怖い。けれども、ここで尻込みするわけにはいかない。
花緒は決意を込めて顔を上げる。目指すは女の悲鳴が聞こえた方角。すでに走り出した山吹の背中を追って、花緒も駆け出した。
それからまもなく、先代の妖の王である黒蛇――桜影が戴冠した。桜影は贄姫を得たおかげで毒気を浄化。黒姫国が少しずつ平穏を取り戻し始めた。
相変わらず霊山で独り暮らしをしていたおれは、黒姫国が安定して魂の穢れや毒気が落ち着いてきた頃を見計らい、父の故郷・烏天狗の集落を訪ねることにした。孤独な暮らしはやっぱり寂しかったから、他の烏天狗の仲間に会いたかったんだ。
けれど、毒気から残った烏天狗たちは暮らしを保つことに精一杯。半妖という異端のおれを受け入れるだけの器はなかった。それどころか、普通の烏天狗よりも強い妖力を持つおれに恐れと嫌悪の感情を向け、徹底的におれを攻撃し、排除しようとした。
人も妖魔も、暗黒期を生きた者たちの心はみなすっかり荒んでしまっていたんだ。
おれは、強力な妖力を持ってはいたけれど、妖力操作が未熟だった。だから、烏天狗たちの一斉の攻撃に耐えるだけの力がない。
幾度も執拗な集団攻撃により致命傷を負いかけたおれのもとに、ある日、一人の男が救いの手を差し伸べる。
「―――やっと見つけた」
その男は妖の王だと名乗った。その男こそ、桜河の父である先代の黒蛇、桜影様だった。
桜影様はおれの父と旧知の仲で、父は生前に桜影様に一つ頼み事をしていた。
『この毒気の蔓延した時代。もしも自分が毒気にやられて正気を失い、命を落とすことがあったら。どうか妻と息子を助けてやってほしい。特に息子は半妖だ。おそらく何があろうとも生き延びる力があるだろう。どうか手を差し伸べてくれないか』。
***
そこまで話し終えた山吹。隣で黙って話を聞いていた花緒に、眉尻を下げて笑む。
「結局生き残ったのはおれだけだったけれどね。桜影様は父との約束を律儀に守ってくださり、霊山で傷を癒していたおれを助けてくださったんだ。その後は妖の王である桜影様と主従契約を結んで、従者となって屋敷で暮らすようになった」
「そうだったのですね。話してくださってありがとうございます。とてもお辛い過去で、言葉もないのですが……。私が言えることは、山吹さんがご無事で、こうしてお会いすることができてよかったです」
山吹を安心させるよう、にこ、と笑いかける。山吹は目を瞬いた。
「あ、花緒ちゃんが笑った! 小さな花が咲いたみたいだ。可愛いなあ」
「で、ですから、すぐにからかわないでください!」
もう、と花緒は少しだけ頬を膨らませる。山吹の明るさも、ひょうきんなところも、辛い過去を乗り越えてきた証拠だ。
山吹が付け加える。
「その後もまあ、いろいろとあったんだけれど……。そこはおいおい話させてもらうとして。桜影様の従者だったおれは、桜影様から息子である桜河に王位継承された際。そのまま桜河と主従契約を交わして従者となった。そして今に至る。というわけだね」
「なるほど……。山吹さんと桜河様は、桜影様の時代からのお付き合いということなのですね。お二人の気心が知れている理由がわかりました」
「まあね。何と言っても桜河が赤ん坊だった時から一緒にいるわけだから。ちなみに、桜河の妖力操作の師範をしていたのもおれだ。だから桜河からは『先生』や『師匠』って呼ばれる立場。それなのに桜河ってば、おれに悪態ばかりついて」
昔も今も全然敬ってくれないんだ、と山吹が唇を尖らせている。おそらく桜河にそのような文句を言えるのは山吹だけなのだろう。山吹と桜河が互いを信頼している証拠だ。
微笑ましいエピソードで、花緒はくすくすと笑ってしまう。山吹が頬を膨らませる。
「花緒ちゃんまで笑って……。まあ、幼い桜河が可愛かったもので、ついつい兄貴風を吹かせてからかっちゃってね。それで桜河は拗ねていたんだろう。桜河にとっておれは、一番身近にいるおじさんみたいなものだから」
「おじさん……」
年齢だけ考えればそうなのだろう。けれど、若々しく端正な顔立ちの山吹を見ていると、とてもではないが『おじさん』とは呼べない。
話し込んでしまい、すっかり冷めてしまった串団子に山吹が手を伸ばす。
「団子を食べ終わったら町歩きを再開しよう。花緒ちゃんを案内したいところが――」
山吹が言いかけた時だった。
「きゃあああ! 狂妖よッ! 誰か、誰か――――っ!」
女の悲鳴が辺りをつんざく。のんびりと町を行き交っていた妖魔や人間が、次々と悲鳴を上げながら逃げ惑う。
花緒は山吹と顔を見交わす。山吹が緊迫した面持ちで立ち上がった。
「――行くよ、花緒ちゃん!」
「は、はい……!」
狂妖。毒気に充てられて正気を失った妖魔。妖魔も人も見境なく襲うという。
浄化の巫女。贄姫である自分が救うべき者。初めて目の当たりにすることになる。
花緒は震える手に力を込める。奥歯を食いしばって立ち上がった。
……怖い。けれども、ここで尻込みするわけにはいかない。
花緒は決意を込めて顔を上げる。目指すは女の悲鳴が聞こえた方角。すでに走り出した山吹の背中を追って、花緒も駆け出した。

