山吹としっかりと手を繋ぎ合った花緒。髪をなぶる風に目を細めながら、眼下の景色に魅入られていた。『常世』は『現世』と鏡写しだ。見た目に大きな差異はないが、花緒にとっては空から町並みを見下ろすなど初めての経験だ。
黒塀と白壁に囲まれた桜河の屋敷。整然と並べられた瓦屋根が陽光を映して輝いている。屋敷の裏に広がっているのは深緑の杉林だ。屋敷の門には見張り番、庭先には掃き掃除をしている使用人の姿が小さく見える。
屋敷の麓には、碁盤目のように細い路地が交差する町があった。川沿いには小舟が停められ、枝垂れ柳の葉が揺れている。町家の軒先からは煮炊きの煙が上がっていた。
(なんて美しいの……!)
あまりにも心に迫って来る景色。花緒は目を輝かせる。
山吹がそんな花緒を優しく横目で見る。
「綺麗だろう? この景色を君に見せたかったんだ」
「はい……。ここが桜河様の治める国なのですね」
「そう。贄姫として君が守っていく国でもある」
山吹は遠くの町並みを見やる。花緒は心臓がきゅっと引き締まる。一国を守るなど責任は重大だ。もちろん全力を尽くしたいけれど、自分の力で及ぶだろうか。第三者である山吹に言葉にされると、また違った重みがあった。
花緒は言葉を無くす。山吹が眉尻を下げて笑んだ。
「やだな、花緒ちゃん。そんなにひとりで抱え込まなくても大丈夫だよ。桜河はもちろん、蘭ちゃんやおれもついているんだから。君はひとりではないんだよ」
「はい――……」
山吹の心遣いが花緒の胸に沁み渡る。
知らず知らず、花緒は嬉しくて密かに頬を緩ませる。そんな花緒を、山吹は優しく目を細めて見守っていた。
***
「――さあ、着いたよ」
山吹が降り立ったのは、川沿いに長く続いている市場だった。木造の小さな屋台が軒を連ねている。野菜売りの籠には新鮮な大根や蕪が売られ、魚屋の水を張った桶には新鮮な川魚が跳ねていた。川岸には柳が揺れ、川から引いた水路では妖魔と人間の子どもたちが裸足で水遊びをしている。大変賑わっている市場だ。花緒は驚いて目を丸くする。
「とても活気がありますね! 皆楽しそう」
「それもこれも桜河の治世の賜物だよ。桜河が妖の王になってから、狂妖の数が減って比較的平和になったからね」
「狂妖……?」
花緒は隣の山吹の横顔を見上げる。山吹が市場の先を見つめる。
「毒気に充てられて気が狂ってしまった妖魔のことを、おれたちは狂妖と呼んでいるんだ。狂妖は人間や他の妖魔を喰らう。『常世』に住む者にとって恐ろしい化け物なんだ」
「なるほど……。過去、贄姫を献上されなかった妖の王が乱心し、『現世』を蹂躙したことがありました。それは妖の王が狂妖になってしまったからだったのですね」
「そう。妖の王でも狂妖に成り得る。桜河だって例外ではないよ」
「はい……」
「黒姫国が平和だと言うことは、それだけ桜河が一身に毒気を受けているということなんだ。桜河は歴代の黒姫国の王の中でも強い妖力を持っている。だから多くを守れるのだろうけれど――それでも限界はあるからね」
山吹が困ったように微笑んだ。その声音から、桜河を心配している様子が伝わる。
(山吹さんは、桜河様を大切に想っていらっしゃるのね)
新参者の自分には分からないけれど、桜河と山吹の間で絆があるのだろう。友と呼べる者のいない自分には羨ましい関係だった。
見守っている花緒の視線に気がついたのか、山吹が後ろ頭を掻く。
「まあいいや。続きはおいおい市場を見ながら話そう。――ほら、ちょうどあそこにお団子屋さんがあるよ。寄っていこう」
「あ、わっ、山吹さん!」
山吹はおもむろに花緒の手を取る。そのまま木造の小さな団子屋に向かって駆けだした。店の軒先では、串に刺さった団子が炭火で焼かれている。香ばしい匂いに道行く者達が足を止めていた。花緒は山吹に連れられ、その店の暖簾をくぐった。
黒塀と白壁に囲まれた桜河の屋敷。整然と並べられた瓦屋根が陽光を映して輝いている。屋敷の裏に広がっているのは深緑の杉林だ。屋敷の門には見張り番、庭先には掃き掃除をしている使用人の姿が小さく見える。
屋敷の麓には、碁盤目のように細い路地が交差する町があった。川沿いには小舟が停められ、枝垂れ柳の葉が揺れている。町家の軒先からは煮炊きの煙が上がっていた。
(なんて美しいの……!)
あまりにも心に迫って来る景色。花緒は目を輝かせる。
山吹がそんな花緒を優しく横目で見る。
「綺麗だろう? この景色を君に見せたかったんだ」
「はい……。ここが桜河様の治める国なのですね」
「そう。贄姫として君が守っていく国でもある」
山吹は遠くの町並みを見やる。花緒は心臓がきゅっと引き締まる。一国を守るなど責任は重大だ。もちろん全力を尽くしたいけれど、自分の力で及ぶだろうか。第三者である山吹に言葉にされると、また違った重みがあった。
花緒は言葉を無くす。山吹が眉尻を下げて笑んだ。
「やだな、花緒ちゃん。そんなにひとりで抱え込まなくても大丈夫だよ。桜河はもちろん、蘭ちゃんやおれもついているんだから。君はひとりではないんだよ」
「はい――……」
山吹の心遣いが花緒の胸に沁み渡る。
知らず知らず、花緒は嬉しくて密かに頬を緩ませる。そんな花緒を、山吹は優しく目を細めて見守っていた。
***
「――さあ、着いたよ」
山吹が降り立ったのは、川沿いに長く続いている市場だった。木造の小さな屋台が軒を連ねている。野菜売りの籠には新鮮な大根や蕪が売られ、魚屋の水を張った桶には新鮮な川魚が跳ねていた。川岸には柳が揺れ、川から引いた水路では妖魔と人間の子どもたちが裸足で水遊びをしている。大変賑わっている市場だ。花緒は驚いて目を丸くする。
「とても活気がありますね! 皆楽しそう」
「それもこれも桜河の治世の賜物だよ。桜河が妖の王になってから、狂妖の数が減って比較的平和になったからね」
「狂妖……?」
花緒は隣の山吹の横顔を見上げる。山吹が市場の先を見つめる。
「毒気に充てられて気が狂ってしまった妖魔のことを、おれたちは狂妖と呼んでいるんだ。狂妖は人間や他の妖魔を喰らう。『常世』に住む者にとって恐ろしい化け物なんだ」
「なるほど……。過去、贄姫を献上されなかった妖の王が乱心し、『現世』を蹂躙したことがありました。それは妖の王が狂妖になってしまったからだったのですね」
「そう。妖の王でも狂妖に成り得る。桜河だって例外ではないよ」
「はい……」
「黒姫国が平和だと言うことは、それだけ桜河が一身に毒気を受けているということなんだ。桜河は歴代の黒姫国の王の中でも強い妖力を持っている。だから多くを守れるのだろうけれど――それでも限界はあるからね」
山吹が困ったように微笑んだ。その声音から、桜河を心配している様子が伝わる。
(山吹さんは、桜河様を大切に想っていらっしゃるのね)
新参者の自分には分からないけれど、桜河と山吹の間で絆があるのだろう。友と呼べる者のいない自分には羨ましい関係だった。
見守っている花緒の視線に気がついたのか、山吹が後ろ頭を掻く。
「まあいいや。続きはおいおい市場を見ながら話そう。――ほら、ちょうどあそこにお団子屋さんがあるよ。寄っていこう」
「あ、わっ、山吹さん!」
山吹はおもむろに花緒の手を取る。そのまま木造の小さな団子屋に向かって駆けだした。店の軒先では、串に刺さった団子が炭火で焼かれている。香ばしい匂いに道行く者達が足を止めていた。花緒は山吹に連れられ、その店の暖簾をくぐった。

