「―――だが、俺には魂を浄化することはできないのだ」
「え……どういうことでしょうか?」
桜河の説明を頭で咀嚼しながら、花緒が問いかける。桜河が補足する。
「妖の王自身には魂を直接浄化する能力は備わっていない。先にも話した通り、魂の孕む毒気は、現世での煩悩や邪気だ。つまり、現世由来のものなのだ。常世のものにはこれを浄化することはできない。妖の王は、自身の体内に毒気を取り込んで肩代わりすることで多少強引ではあるが魂から毒気を抜くことはできる。だが限界があってな……。体内に吸収された毒気を解毒することはできるが、大量の妖力と時間を要する。もしも解毒が追い付かないほどの毒気を取り込めば、いくら妖の王であってもただでは済まない。そこで、『贄』と契約を交わす必要があるのだ」
「『贄』……?」
「現世の人間の中には稀に、魂の毒気を浄化する特別な血をもつ者が生まれる。その血をもつ者の中から妖の王が選定した人間のことを『贄』という。だが一つ問題がある。『贄』のもつ異能――『浄化』は、血に妖力を流し込むことで初めてその力を発揮する」
「妖力、ですか」
当然ながら、『現世』の人間である自分に妖力はない。妖力を持つのは妖魔のみだ。
桜河は花緒の疑問に答えるように言葉を続ける。
「しかし、『贄』は現世の人間であるが故、妖力をもたないのだ。そこで、妖の王は自身の妖力の一部を『贄』に渡すことで『贄』に魂の浄化をしてもらう。これを『贄の契り』と言う。常世が傾けば現世にも影響が出てしまうから、互いにとって必要な儀なのだ。そして、おまえをその『贄』に選んだのが俺だ」
(あ……)
桜河の淀みない説明を聞きながら、花緒は現世で見た歴史書物の内容を思いだす。
人間は過去に妖の王に贄姫を差し出さなかったことがあった。それが原因で妖の王の気が触れ、低級妖魔が『現世』に出現して『現世』は妖魔によって蹂躙されたという。長らくその原因は妖の王の乱心と言われていたが、真実は『贄』による浄化が働かず、妖の王が体内に吸収された毒気に耐え切れずに気が触れてしまったからだったのだ。
合点がいって、花緒は身震いする。今代、北の国で浄化の巫女に選ばれたのは自分だ。自分の力が及ばなければ、桜河のことも、『常世』の北の国で生きる者達のことも助けることはできない。責任は重大だ。
梵天丸が軽く尻尾を振る。
「特に『現世』で悪行を働いた者や、負の感情をもったまま亡くなった人間の魂は、一際強い毒気を発生させる。今までは桜河が一人で体内に毒気を溜め込んでやり過ごしていた。けれど、遂に贄姫が選ばれたのダ。これでひとまず安心だナ」
梵天丸が声音に期待を込める。花緒は胸の中が疼くのを感じた。
(こんな私にも、できることがあるの……?)
今までは、化け物と言われて虐げられてきた。贄姫の痣のある自分など、生まれて来なければよかったと思っていた。今まで誰も、自分など必要としてはくれなかったのに。
胸の奥が熱くなる。ここにいる方たちは自分のことを必要としてくれる。ずっと忌まわしいと思っていた贄姫の痣が、ここへ来て花緒に居場所を与えてくれたのだ。
安心したからか、花緒の目尻から涙が伝い落ちる。それが顔の上に落ちて来た梵天丸が、びっくりして大きな目を瞬いた。
「贄姫、泣いているのか? 毒気の浄化が嫌なのカ?」
「い、いいえ。むしろ、嬉しいんです。こんな私に居場所をいただけて」
「こんな、などと自分を卑下するものではない。贄姫の浄化は唯一無二だ。俺は、おまえにここにいてもらわなければ困る」
「……っ!」
桜河の真っ直ぐな物言いに、花緒は心臓が跳ねる。自分自身ではなく、自分の贄姫としての力が桜河に必要とされていることは分かる。けれども、彼に傍にいても良いと言ってもらえたことがたまらなく嬉しかった。無意識に顔が綻んでしまう。
そんな花緒のことを、桜河が驚いたふうに見つめていた。
「……おまえはそのように笑うのだな」
「え?」
「今まで辛そうな表情ばかりで知らなかった。なんと言えばいいのか……とても、愛らしい。これからもそのように笑っていてくれ」
桜河のどことなく気恥ずかしそうな、不器用な言葉選び。それがあまりにも真っ直ぐに花緒の心に届いて、花緒は真っ赤に染まった顔を俯けた。顔から火が出そうとはこのことだろうか。
膝の上にいる梵天丸が花緒の顔を覗き込んだ。
「贄姫。顔赤いゾ……?」
「っ! み、み、見ないでくださいぃいい!」
「うぎゃ!」
花緒は咄嗟に梵天丸を抱き上げると、そのまま彼の白いもふもふの体を顔に押し付ける。赤くなっている顔を少しでも隠そうと思って。梵天丸の悲鳴が聞こえる。
「苦しいのダ!」
「あ、あああ、ごめんなさい、梵天丸さん!」
慌てて梵天丸の小さな体を離す。毛を逆立てる梵天丸に花緒が平謝りしていると、くくく、と控えめな笑い声が聴こえてきた。はっとして顔を上げると、桜河が口元に手の甲を寄せて控えめに笑っていた。
今まで見せたことのない、少年のようにも思えるあどけない表情――。
花緒は彼の着飾っていない素の姿に目を奪われる。
(黒蛇様こそ、あのように楽しそうに笑うこともあるのだわ)
恐ろしい妖の王だと思っていた黒蛇の印象が、花緒の中で表情豊かな生きた者に変わっていく。自分は、黒蛇のことも『常世』のことも必要以上に恐れていただけだったのではないだろうか。花緒は自分の間違っていた認識を改める。
(ここでなら、私、やっていけるかもしれない)
まだまだ不安は尽きない。きっと恐ろしいこともあるだろう。それでも――。
花緒は、膝上にいる梵天丸の頭を優しく撫ででから、僅かに微笑んでこちらを見守っている黒蛇を見つめ返す。
(私にできることをして、『常世』の皆様に尽くそう)
自分のことを温かく迎え入れてくれたことに報いるために。
花緒は決意を新たにして、桜河と向き合った。
「え……どういうことでしょうか?」
桜河の説明を頭で咀嚼しながら、花緒が問いかける。桜河が補足する。
「妖の王自身には魂を直接浄化する能力は備わっていない。先にも話した通り、魂の孕む毒気は、現世での煩悩や邪気だ。つまり、現世由来のものなのだ。常世のものにはこれを浄化することはできない。妖の王は、自身の体内に毒気を取り込んで肩代わりすることで多少強引ではあるが魂から毒気を抜くことはできる。だが限界があってな……。体内に吸収された毒気を解毒することはできるが、大量の妖力と時間を要する。もしも解毒が追い付かないほどの毒気を取り込めば、いくら妖の王であってもただでは済まない。そこで、『贄』と契約を交わす必要があるのだ」
「『贄』……?」
「現世の人間の中には稀に、魂の毒気を浄化する特別な血をもつ者が生まれる。その血をもつ者の中から妖の王が選定した人間のことを『贄』という。だが一つ問題がある。『贄』のもつ異能――『浄化』は、血に妖力を流し込むことで初めてその力を発揮する」
「妖力、ですか」
当然ながら、『現世』の人間である自分に妖力はない。妖力を持つのは妖魔のみだ。
桜河は花緒の疑問に答えるように言葉を続ける。
「しかし、『贄』は現世の人間であるが故、妖力をもたないのだ。そこで、妖の王は自身の妖力の一部を『贄』に渡すことで『贄』に魂の浄化をしてもらう。これを『贄の契り』と言う。常世が傾けば現世にも影響が出てしまうから、互いにとって必要な儀なのだ。そして、おまえをその『贄』に選んだのが俺だ」
(あ……)
桜河の淀みない説明を聞きながら、花緒は現世で見た歴史書物の内容を思いだす。
人間は過去に妖の王に贄姫を差し出さなかったことがあった。それが原因で妖の王の気が触れ、低級妖魔が『現世』に出現して『現世』は妖魔によって蹂躙されたという。長らくその原因は妖の王の乱心と言われていたが、真実は『贄』による浄化が働かず、妖の王が体内に吸収された毒気に耐え切れずに気が触れてしまったからだったのだ。
合点がいって、花緒は身震いする。今代、北の国で浄化の巫女に選ばれたのは自分だ。自分の力が及ばなければ、桜河のことも、『常世』の北の国で生きる者達のことも助けることはできない。責任は重大だ。
梵天丸が軽く尻尾を振る。
「特に『現世』で悪行を働いた者や、負の感情をもったまま亡くなった人間の魂は、一際強い毒気を発生させる。今までは桜河が一人で体内に毒気を溜め込んでやり過ごしていた。けれど、遂に贄姫が選ばれたのダ。これでひとまず安心だナ」
梵天丸が声音に期待を込める。花緒は胸の中が疼くのを感じた。
(こんな私にも、できることがあるの……?)
今までは、化け物と言われて虐げられてきた。贄姫の痣のある自分など、生まれて来なければよかったと思っていた。今まで誰も、自分など必要としてはくれなかったのに。
胸の奥が熱くなる。ここにいる方たちは自分のことを必要としてくれる。ずっと忌まわしいと思っていた贄姫の痣が、ここへ来て花緒に居場所を与えてくれたのだ。
安心したからか、花緒の目尻から涙が伝い落ちる。それが顔の上に落ちて来た梵天丸が、びっくりして大きな目を瞬いた。
「贄姫、泣いているのか? 毒気の浄化が嫌なのカ?」
「い、いいえ。むしろ、嬉しいんです。こんな私に居場所をいただけて」
「こんな、などと自分を卑下するものではない。贄姫の浄化は唯一無二だ。俺は、おまえにここにいてもらわなければ困る」
「……っ!」
桜河の真っ直ぐな物言いに、花緒は心臓が跳ねる。自分自身ではなく、自分の贄姫としての力が桜河に必要とされていることは分かる。けれども、彼に傍にいても良いと言ってもらえたことがたまらなく嬉しかった。無意識に顔が綻んでしまう。
そんな花緒のことを、桜河が驚いたふうに見つめていた。
「……おまえはそのように笑うのだな」
「え?」
「今まで辛そうな表情ばかりで知らなかった。なんと言えばいいのか……とても、愛らしい。これからもそのように笑っていてくれ」
桜河のどことなく気恥ずかしそうな、不器用な言葉選び。それがあまりにも真っ直ぐに花緒の心に届いて、花緒は真っ赤に染まった顔を俯けた。顔から火が出そうとはこのことだろうか。
膝の上にいる梵天丸が花緒の顔を覗き込んだ。
「贄姫。顔赤いゾ……?」
「っ! み、み、見ないでくださいぃいい!」
「うぎゃ!」
花緒は咄嗟に梵天丸を抱き上げると、そのまま彼の白いもふもふの体を顔に押し付ける。赤くなっている顔を少しでも隠そうと思って。梵天丸の悲鳴が聞こえる。
「苦しいのダ!」
「あ、あああ、ごめんなさい、梵天丸さん!」
慌てて梵天丸の小さな体を離す。毛を逆立てる梵天丸に花緒が平謝りしていると、くくく、と控えめな笑い声が聴こえてきた。はっとして顔を上げると、桜河が口元に手の甲を寄せて控えめに笑っていた。
今まで見せたことのない、少年のようにも思えるあどけない表情――。
花緒は彼の着飾っていない素の姿に目を奪われる。
(黒蛇様こそ、あのように楽しそうに笑うこともあるのだわ)
恐ろしい妖の王だと思っていた黒蛇の印象が、花緒の中で表情豊かな生きた者に変わっていく。自分は、黒蛇のことも『常世』のことも必要以上に恐れていただけだったのではないだろうか。花緒は自分の間違っていた認識を改める。
(ここでなら、私、やっていけるかもしれない)
まだまだ不安は尽きない。きっと恐ろしいこともあるだろう。それでも――。
花緒は、膝上にいる梵天丸の頭を優しく撫ででから、僅かに微笑んでこちらを見守っている黒蛇を見つめ返す。
(私にできることをして、『常世』の皆様に尽くそう)
自分のことを温かく迎え入れてくれたことに報いるために。
花緒は決意を新たにして、桜河と向き合った。

