やがて皆が膳の物を食べ終わり、まず桜河が箸を置いた。続いて花緒も最後の一口を食べ終える。全員で膳の前で姿勢を正すと、手を合わせてご馳走様をした。

 ――……いよいよ、最期の時だ。

 花緒は居住まいを正すと、三つ指を揃えて桜河と梵天丸に頭を下げる。

「黒蛇様。梵天丸さん。贄姫として丁重に扱っていただきありがとうございました……!」
「……? 何を言っている?」

 桜河の困惑した声が頭の上に降ってくる。花緒は顔を上げた。

「私は黒蛇様の贄です。ここへ来る間、黒蛇様にはとても良くしていただきました。いつこの身を喰らっていただいても構いません」
「喰らう……?」

 再度頭を下げた花緒に、桜河の怪訝な声が降ってくる。梵天丸も顔を持ち上げた。

「贄姫、喰らうってなんのことダ? 桜河はそんな野蛮なことしないゾ」
「え?」
「ふむ。どうも見解に齟齬があるようだな」

 桜河が顎に手を当てる。花緒は姿勢を正して桜河に向き合った。

(見解の齟齬……。いったいどういうこと?)

 泉水家に正しい情報が伝わっていなかったということだろうか。
 桜河は何から話したらいいものかと考えながら言う。

「贄姫。まずは確認したいのだが、おまえのような人間がなぜ『常世』に送られるのか知っているか?」
「それは、妖の王に贄として喰われるためだと聞いております。贄姫の血は妖魔の万病を癒すことができる。ですから、妖の王の力を高めるのかと思っておりました」
「それは誤解だ。たとえ贄姫の血を喰らったとしても俺の力が高まることはない」

 きっぱりと否定されて、花緒は言葉を失う。
 それでは何故、自分は贄姫として黒蛇に捧げられたのだろう。
 自分の役割とは、いったい――。
 花緒は桜河の次の言葉を待つ。桜河の代わりに口を開いたのは梵天丸だった。

「贄姫の役割は、『現世』から『常世』にもたらされる毒気を浄化することダ!」
「毒気? 浄化?」

 花緒は梵天丸の得意そうに振っている尻尾を見つめる。

(ここから先は、私の知らないことかもしれない)

 花緒は気を引き締めて、面前の桜河を見上げる。桜河は頷いた。

「『常世』は四つの門から発生している毒気に侵されているのだ」
「毒……」
「梵天丸。悪いがそこにある地図をとってくれないか」

 桜河は梵天丸から古びた巻物を受け取ると、花緒の前に広げた。


          ***


 常世の世界は、中央の『黄門(おうもん)』を囲むようにして東西南北に広がる四つの国からなる。
 東の『青津国(あおつのくに)』、西の『白瀬国(しらせのくに)』、南の『赤陽国(あかひのくに)』。現在花緒たちがいるのは、北に位置する『黒姫国(くろひめのくに)』である。
 それぞれの国には『現世』と『常世』を繋ぐ『門』が存在する。『現世』で死んだ人間の魂は、輪廻転生のために四つの門のいずれかを通って『常世』へとやって来る。この時、魂は大なり小なり煩悩や邪気を孕んだ状態で門を通る。『常世』において、その煩悩や邪気を毒気と呼ぶらしい。毒気を孕んだ魂を浄化しないままでいると、魂は正気を保てずに消失したり、気が触れて低級妖魔へと変貌したりする。低級妖魔は人間も妖魔も見境なく襲ってしまう。低級妖魔が増えれば増えるほど、国の治安が傾いてしまうのだ。
 そのような災いが起きないよう、魂の毒気を浄化し、健全な状態で『常世』へと受け入れるのが、四つの国を統制する四人の『妖の王』の役目らしい。そして、そのうちの一人が『黒姫国』の妖の王、桜河であった。