秘書室に隣接する扉が開けられた。向こう側から開けられることなど滅多にないため、秘書室には、瞬時にピリついた空気が流れる。

「なんだ。蘭は、いないのか」

 ハリのある声に、その場にいた森坊丸(もり ぼうまる)力丸(りきまる)の兄弟は背筋を正した。

「申し訳ありません。織田社長」
「兄……いえ、蘭丸(らんまる)は少々席を外しておりますが、何か御用でしたか?」

 坊丸と力丸は、戦々恐々としながら、上司からの指示を待つ。こんな事は滅多にない。新人秘書の彼らは、いつもならば、直属の上司に当たる、兄の蘭丸からしか、仕事の指示は受けないからである。

「まぁ、(ぼう)でも(りき)でもどちらでも良い。もうすぐ昼時だ。今すぐアイツを呼べ!」

 そんな二人の額を伝う冷や汗など見えないのか、無駄に威厳を振り撒くその男は、言いたいことを言うと、そそくさと扉を閉めようとした。

「あ、あの! 社長!」

 森坊丸は、そんな男を決死の覚悟で呼び止める。

「申し訳ありません。アイツとは一体、どなたのことでしょうか?」

 呼び止めた坊丸を、男は扉越しにチラリと見る。それから、またもや、傍若無人に言い放つ。

「アイツだ。アイツ。いつもの奴を呼べ」
「はぁ……ですから……一体どなたを?」

 なかなか要領を掴まない坊丸に呆れの色を見せながら、男は、空いている席へ目をやる。

「分からなければ、蘭の机を見ろ。資料があるはずだ。私は、十三時から支部長たちと会議の予定が入っている。それまでに頼むぞ」

 それだけ言うと、男はパタンと扉を閉じてしまった。

 それからしばらく、微動だにしなかった二人は、額から伝う冷や汗がポトリと床に落ちた音で、ハタと気がつくと、バタバタと音を立てながら、兄、蘭丸の執務机に取り付いた。

 このような時に、何故、蘭丸はいないのか。現状を恨めしく思い、泣き叫び出しそうになるプレッシャーに耐えながら、二人は、蘭丸の机を見る。

 机の上には資料が散らばっていた。各部からの定例報告書や、収支報告書、中途採用の履歴書や社屋の修繕見積書、そして、宅配弁当屋の広告まで。切れ者と言われる蘭丸の机には、多くの書類があった。

「坊兄さん。蘭兄さんは、こんなにも仕事を抱えているのですね。我々も、もう少し力にならねば……」
「そうだな。力丸。まずは、今回の件を二人で対処してみようじゃないか」

 坊丸と力丸は、互いに頷くと、机上の資料に目を落とす。

「織田社長は、午後の会議に間に合うようにと仰っていたが、十三時からは何の会議だったっけ?」