「お前は何をしていた? なぜあそこにいた?」

 しんとした静かで簡素な空間。無理やり連れて来られたのは所轄署の取調室だった。
 私の向かいの席にはがっしりとした体躯の警官が座り、眉を怒らせた鋭い眼光で睨まれ、背筋に冷たいものが走る。

 「偶然、家に帰る途中で……悲鳴が聞こえたので、近づいただけです」
 「偶然? 知り合いなんじゃないのか」
 「し、知りません」

 想像したくないのに、言葉で誘導される。あの惨状が目にこびりついている。首を振ってもその残像はなかなか消えない。
 鳩尾がきゅっと締め付けられる思いでいると、向かい側から大仰な溜息が聞こえた。どうやら首を振ったのが気に入らなかったらしい。

 「あの女は千崎劇場をはじめ近隣の劇場で女優をしていた。華族相手の私娼もしていて羽振りが良かったようだな。お前、知り合いが羨ましくなったんじゃないのか?」
 「う、うら……?」

 ええっと、なんて? ぽかんと口を開けて警官を見つめていると、

 「美人だったし、羨ましさ半分、金欲しさ半分で、お前が殺したんじゃないのか?」
 「はあっ!?」

 素っ頓狂な声を上げてしまった。ちょっと待って。私は思い出したくないけど正直に話をしているし、疑われることなんて何もしていない。
 警官のあまりに杜撰な推理で、こんなに簡単に犯人に仕立て上げられるの? 腹の底からふつふつと熱いものが湧き上がり、すっと息を吸い込んだ。

 「ふざけないで! 私は犯人じゃありません!」
 「うるさい、大声を出すな!」

 唾を飛ばしながら、向かい側から大声が飛んでくる。

 「犯人は必ずそう言うんだ。俺たち警官がたまたまあの辺りを巡回していなかったら、お前はのうのうと逃げ延びただろうよ」
 「だから違うって言っているじゃないですか。証拠はあるんですか!?」
 「捜査中だ。お前の他に人影がなかったんだ。お前を怪しいと思うのは当たり前だろう」
 「うわっ。無能すぎてびっくりです」
 「は!?」
 「私はただの第一発見者です。それなのに、一番近くにいたから犯人だと決めつけるのは短絡的じゃないですか?」
 「お前、ぬけぬけと!」
 「騒ぐな。廊下まで聞こえている。頭を冷やせ」

 ガチャリと扉の開く音とともに艶のある低音が室内に響いた。カツカツと靴音を鳴らしながら入って来た人物に目を丸くした。
 警官の制服が恐ろしいほど似合う体格の良い、女性の視線を奪う精悍な顔立ちの男前、本多さんだ。
 ふっと視線が合うと、冷たい眼光でこちらを射抜いた。いつかのように背筋がピンと伸びる。

 「本多さん。しかしこの女、口を割らなくて」
 「私は犯人じゃありません」

 厳しい視線に晒されても、決めつけられるなんてたまったもんじゃない。けれども、警官が二人に増えたなんて分が悪い。
 ただでさえ警察と関わりたくなかったのに、もし今冤罪で捕まってしまったら……そう想像しただけで、じわりと恐怖が足元に張り付く。
 いけない。ここで捕まってしまったら、実を抱きしめられなくなるし、月子お嬢様との約束が果たせない。それに私の願いが叶わなくなってしまう。

 「おい、お前。さっさと吐け!」
 「もう一度言います。私は犯人じゃありません。私には子どもがいるんです。たった一人の家族。あの子が心配しているわ。早く家に帰して!」

 両膝に置いた拳をぎゅっと握りしめて叫ぶと、本多さんがわずかに目を見開いた。

 「君、子どもがいるのか」
 「はい」

 鋭さが増す双眸でじっと見られて、じとりと汗が噴き出す。

 「君、名前は?」
 「……島村八重です」
 「島村さん。子どもがいるのに、なぜ夜遅い時間に街にいたのだ」
 「働いていました」
 「どこで」

 間髪入れずに飛んできた言葉にぐっと押し黙った。ホテルで別れさせ屋の仕事をしていましただなんて言えない。依頼者の奥様に迷惑をかけるから無言を貫きたい。

 「その格好から見るに華族の屋敷の女中だな。女中の服装から華族の家を特定しろ」

 是と答えた警官が部屋を飛び出していく。

 「ま、待って!」
 「なぜだ」
 「それは困ると言いますか……」
 「君がやったからか?」
 「違います」
 「じゃあ、理由は?」
 「それは……華族のことだからわかるでしょう。込み入った家の事情を。主人のことを私から言うだなんて叱られます。子どもを抱えているのに、働けなくなったらどうするんですか」

 なるべく哀れさを誘うように俯きながら話をする。警官相手にどこまで通用するかはわからないけれど、最悪の状況は招きたくない。
 すると、はあと深い溜息が聞こえた。その音に肩がびくりと跳ねて、生唾を飲み込んだ。

 「君が喋らないなら、こちらは君を帰すことはできない」
 「え……」
 「君は重要参考人だ。身元を確認する。証拠も鑑定中だ。それが判明したら解放しよう」
 「そんな!」

 悲鳴に近い声が喉から溢れた。

 「子どもが待っているんです。きっと心配している。あの、私を監視するのはどうでしょうか。犯人かどうかすぐにわかると思います。見張ってもらって構いませんから!」

 がたりと椅子から勢いよく立ち上がり、必死になって言い募る。けれども、艶のある低音は無情にも私を切り捨てた。

 「だめだ。君がもし犯人でわずかな隙を与えて逃げたらどうする?」
 「逃げません! それに私は犯人じゃありません!」
 「君も頭を冷やした方が良い。留置室へ連れていけ」

 無慈悲な審判が下された。
 うそ、でしょう?
 血の気が引き、頭の中が真っ白になって何も言えずに呆然と立ち尽くす。
 本多さんがガチャリと部屋の扉を開けると二人の警官が入ってきて、私を引きづって連れて行った。