星占いの依頼をする時に使う衝立のある奥の席へと私たちは場所を移した。私と詠子さんの向かいの席に玉緒さんが座ると詠子さんが話を切り出した。
「さて、玉緒さん。どうして別れさせ屋に依頼をしようと思ったのかしら?」
「はい……あたし、恋人と別れたいんです。でも、どうしても別れられなくて」
玉緒さんは目を伏せて唇を震わせた。
そう言えば、星占いでは玉緒さんの恋愛運を占って、別れという言葉に反応していたような気がする。凡人の私と違って、玉緒さんのような美人さんなら恋人の一人や二人いてもおかしくないけれど、相手が強引に引き留めてでもいるのか。
「理由を聞いても?」
「はい。ちょっと回りくどくなっちゃうんですけど、あたしは北園家で女中をしながら千崎劇場で役者もしているんです」
「それって、玉緒さんは女優さんってことですよね。すごい!」
「すごくないですよ。あたしなんて千崎劇場に所属はしているけどまだまだだし」
玉緒さんは謙遜するけれど、きっと私の瞳はキラキラと輝いていると思う。
帝都に来てやっぱり驚いたのは娯楽だ。その中で詠子さんに一度劇場に連れて行ってもらったことがあるけれど、女優さんたちはお芝居が上手で華やかでとっても素敵だったのだ。
「もともと女優志望だったんですか?」
「ううん。あたしは田舎から帝都に出てきてしばらくたった頃、女優にならないかって声をかけられたんです。それが恋人の山下吉郎で、千崎劇場の支配人をやっているんです。あたしたちは割とすぐに恋人関係になったんですけど、一緒に過ごしていく内にお金を要求されて。まだ役者として給金も少なかったし、北園の家で女中をしてお金を稼いで言われるままに渡していたんです。さらにある日、彼の浮気が発覚したんです」
玉緒さんは唇を噛んだ。
そんな、ひどい。
「お金をせびって浮気をするなんてクズな男。蹴とばしてやりたいわ」
地を這う低音を発した詠子さんが、ガンッと言葉のままテーブルの足を蹴った。まさに女性解放運動者から見れば、まさに敵としか見えないだろう。
「あたしじゃなくてもいいんだと思ったら悔しくて悲しくて。でもあたしには頼れる人もいなかったし別れたくなかったから、ずるずるとそれが続いてしまって。お金が底をついたからもうやめたいって言った時もあったんですけど、彼は女優の研究生からお金を徴収しろって言ったんです。しかも相手からお金が取れなかったら、猫いらずでも使ってぶん捕れとも言われて」
「え……」
「本当にクズ男ね。ねずみだけじゃなくて人にも良く効く殺鼠剤の猫いらずを使えなんて。自殺や殺人に使用できるってわかって言っているのかしら。あれは簡単に手に入るから厄介なのよ」
思わずごくりと生唾を飲んで、私はぎゅっと胸元のロケットペンダントを握った。
「あたし、そんなことをしたくないんです。ただ女優として舞台に立ちたいだけなのに」
肩を落とした玉緒さんは深い溜息を零した。
「そう。辛い思いをしたわね。だから別れたいのね」
「はい」
労わりの声をかけた詠子さんは、彼女の返事を聞くと隣にいる私を射抜いた。
「八重。この仕事、受けるわよ」
私は詠子さんの視線を受け止め、一つ深呼吸をした。
「わかりました、詠子さん。玉緒さん、別れさせ屋の仕事は私が請け負っています」
「八重さんが!?」
「きっちり仕事をさせてもらいますね」
「八重さん、何から何までありがとうございます。よろしくお願いします」
玉緒さんは目を丸くした後、深々とお辞儀をした。
「ところで、うちはそこそこの依頼料を取るけれどいいかしら?」
「はい。彼に渡さず貯めてきた分があるので」
「貯めてきたって……そんなことをして大丈夫だったんですか?」
今の話を聞くに、お金は底をつき、女中の仕事でなんとかお金をやり繰りしているはずだ。別れさせ屋の依頼料は庶民がそれなりに頑張らなくてはならない数字なんだけど。
「ええ、まあ」
歯切れ悪く返事をした玉緒さんが手を擦った。何気なく玉緒さんの手の甲に目をやると、傷のような鋭く細い痕がいくつか見えた。
まさか。
私はすぐに向かいの席に手を伸ばし、玉緒さんの着物の袖を強引に捲った。
「やめ……っ」
途端に心臓が激しく動いた。目に飛び込んできたのは腕の皮膚につけられた無数の傷痕。腹から何かが込み上げてきて、私の背中の古傷がじくじくと疼いた。もう昔のことなのに。
この人、私と一緒だったのか。
「玉緒さん、折檻されているんですか」
思ったより重苦しい声が出た。
「お金を渡せなかった時はいつも……」
「そんな」
玉緒さんは形の良い双眸に涙の膜を張り、声を震わせた。
「お願いです。あたし、死にたくない」
触れていた彼女の腕が冷たくなっていくような気がして、熱を送り込むようにぎゅっと握った。
「さて、玉緒さん。どうして別れさせ屋に依頼をしようと思ったのかしら?」
「はい……あたし、恋人と別れたいんです。でも、どうしても別れられなくて」
玉緒さんは目を伏せて唇を震わせた。
そう言えば、星占いでは玉緒さんの恋愛運を占って、別れという言葉に反応していたような気がする。凡人の私と違って、玉緒さんのような美人さんなら恋人の一人や二人いてもおかしくないけれど、相手が強引に引き留めてでもいるのか。
「理由を聞いても?」
「はい。ちょっと回りくどくなっちゃうんですけど、あたしは北園家で女中をしながら千崎劇場で役者もしているんです」
「それって、玉緒さんは女優さんってことですよね。すごい!」
「すごくないですよ。あたしなんて千崎劇場に所属はしているけどまだまだだし」
玉緒さんは謙遜するけれど、きっと私の瞳はキラキラと輝いていると思う。
帝都に来てやっぱり驚いたのは娯楽だ。その中で詠子さんに一度劇場に連れて行ってもらったことがあるけれど、女優さんたちはお芝居が上手で華やかでとっても素敵だったのだ。
「もともと女優志望だったんですか?」
「ううん。あたしは田舎から帝都に出てきてしばらくたった頃、女優にならないかって声をかけられたんです。それが恋人の山下吉郎で、千崎劇場の支配人をやっているんです。あたしたちは割とすぐに恋人関係になったんですけど、一緒に過ごしていく内にお金を要求されて。まだ役者として給金も少なかったし、北園の家で女中をしてお金を稼いで言われるままに渡していたんです。さらにある日、彼の浮気が発覚したんです」
玉緒さんは唇を噛んだ。
そんな、ひどい。
「お金をせびって浮気をするなんてクズな男。蹴とばしてやりたいわ」
地を這う低音を発した詠子さんが、ガンッと言葉のままテーブルの足を蹴った。まさに女性解放運動者から見れば、まさに敵としか見えないだろう。
「あたしじゃなくてもいいんだと思ったら悔しくて悲しくて。でもあたしには頼れる人もいなかったし別れたくなかったから、ずるずるとそれが続いてしまって。お金が底をついたからもうやめたいって言った時もあったんですけど、彼は女優の研究生からお金を徴収しろって言ったんです。しかも相手からお金が取れなかったら、猫いらずでも使ってぶん捕れとも言われて」
「え……」
「本当にクズ男ね。ねずみだけじゃなくて人にも良く効く殺鼠剤の猫いらずを使えなんて。自殺や殺人に使用できるってわかって言っているのかしら。あれは簡単に手に入るから厄介なのよ」
思わずごくりと生唾を飲んで、私はぎゅっと胸元のロケットペンダントを握った。
「あたし、そんなことをしたくないんです。ただ女優として舞台に立ちたいだけなのに」
肩を落とした玉緒さんは深い溜息を零した。
「そう。辛い思いをしたわね。だから別れたいのね」
「はい」
労わりの声をかけた詠子さんは、彼女の返事を聞くと隣にいる私を射抜いた。
「八重。この仕事、受けるわよ」
私は詠子さんの視線を受け止め、一つ深呼吸をした。
「わかりました、詠子さん。玉緒さん、別れさせ屋の仕事は私が請け負っています」
「八重さんが!?」
「きっちり仕事をさせてもらいますね」
「八重さん、何から何までありがとうございます。よろしくお願いします」
玉緒さんは目を丸くした後、深々とお辞儀をした。
「ところで、うちはそこそこの依頼料を取るけれどいいかしら?」
「はい。彼に渡さず貯めてきた分があるので」
「貯めてきたって……そんなことをして大丈夫だったんですか?」
今の話を聞くに、お金は底をつき、女中の仕事でなんとかお金をやり繰りしているはずだ。別れさせ屋の依頼料は庶民がそれなりに頑張らなくてはならない数字なんだけど。
「ええ、まあ」
歯切れ悪く返事をした玉緒さんが手を擦った。何気なく玉緒さんの手の甲に目をやると、傷のような鋭く細い痕がいくつか見えた。
まさか。
私はすぐに向かいの席に手を伸ばし、玉緒さんの着物の袖を強引に捲った。
「やめ……っ」
途端に心臓が激しく動いた。目に飛び込んできたのは腕の皮膚につけられた無数の傷痕。腹から何かが込み上げてきて、私の背中の古傷がじくじくと疼いた。もう昔のことなのに。
この人、私と一緒だったのか。
「玉緒さん、折檻されているんですか」
思ったより重苦しい声が出た。
「お金を渡せなかった時はいつも……」
「そんな」
玉緒さんは形の良い双眸に涙の膜を張り、声を震わせた。
「お願いです。あたし、死にたくない」
触れていた彼女の腕が冷たくなっていくような気がして、熱を送り込むようにぎゅっと握った。


