「ガスの台所を使っているのか。民家では珍しいな」
まだ温かいコロッケの入った包みを私に渡しながら、興味津々に本多さんは台所を覗き込んだ。
「オーナーの趣味で取り付けたそうです。火を起こすより簡単に火が点くから楽なんですよ。私は夕飯の準備をするので、実と一緒に座って待っていてください」
「わかった」
「まささーん、早くー」
「今行く」
居間に向かう背中を見送る。我が家、と言っても詠子さんから借りている家なのだけれど、そんな我が家に本多さんがいるのは不思議な光景だ。
本多さんが実を見てくれている間に、さっと夕飯の支度をしてしまおう。手際よく米を準備して炊飯を開始する。その間に主菜のコロッケに合う味噌汁を作ろう。体格の良い本多さんはきっとたくさん食べるだろうから具沢山にしよう。お口にあえばいいんだけど。まな板と包丁を台に置き、大根をさっと水洗い。それを包丁で輪切りにしたらくるくると大根の皮をむいていく。
「お巡りさんって、どんなお仕事をしてるの?」
「街の平和を守ったり、困っている人を助けたり」
「うんうん」
「強盗や殺人事件を起こした悪い奴を捕まえるんだ」
「かっこいい!」
居間から何やら楽し気な声が聞こえてきた。その声につられて、皮をむいた大根をトントントンと小気味よく包丁で切っていく。本多さんって意外だ。最初の印象は男前だけど強面で堅物な印象だったんだけど、実と接している時は表情が柔らかいのよね。
「まささんは悪い奴を捕まえたことがあるの?」
「もちろん。ここだけの話だが、今も事件を追っているんだ」
「すごーい!」
「だが、事件は悲しいことの方が多い。特に殺人事件は。お巡りさんがたくさん活躍するような事件は起こらない方が良いんだ。それって街が平和の証拠だと思うんだ」
「うん。平和の証拠だ」
「だからな、実。人を殺すなんてひどいこと、やってはいけないよ?」
ダンッ、と大根が派手に飛んだ。床に転がったそれは足に当たる。
はっと気づくと包丁を強く握りしめていた。しまった、力を入れ過ぎたみたい。
「まささん。ぼく、そんなことしないよ! ぼくはまささんみたいにお巡りさんになって、お母さんを守るんだから!」
力強くて大きな実の声が耳に届く。実はわたしを守ってくれるのか。胸がじんわりと温かくなって泣きたくなる。奥底に沈む黒い靄も温もりに溶けてなくなればいいのに。
「頼もしいな」
「それでまささんと一緒にお巡りさんの仕事をするんだ!」
「俺の後輩になってくれるのか。実は良いお巡りさんになりそうだから、ビシビシ鍛えるぞ」
「うん!」
憧れのお巡りさんになった実はどんな姿なんだろう。そのためにはしっかり食べて成長してもらわなくちゃ。再び具沢山の味噌汁作りのために手を動かした。
しばらくして無事に夕食が完成した。できましたよ、と声をかけると二人が積極的に運ぶのを手伝ってくれる。
居間の卓袱台には美味しそうな香りと湯気立つ具沢山の味噌汁と炊き立てのご飯、そしてコロッケが並んだ。
いただきます、と三者三様の感謝を述べて箸をつけた。
「コロッケ、美味しい!」
「本当。美味しいです」
「それは良かった」
本多さんが目を細めた。隣に座る実は大きな口を開けて、がぶりとコロッケにかじりつく。
本多さんは味噌汁の椀を持ち、きれいな箸さばきで味噌汁を食べた。ごくりと喉が動く。
「旨いな、島村さんの味噌汁。いつもこんな美味しい味噌汁を食べているのか、実」
「うん。お母さんのご飯は美味しいよ!」
良かった。お口にあったみたい。少しばかり緊張していたからほっと胸を撫で下ろした。
「実がうらやましいよ。毎日食べたいくらいだ」
「またまた。お世辞が上手ですね。褒めたって何も出ませんよ」
「本当なんだが」
「本当なんだが」
もう一つの低い声は実が頑張って出した声。本多さんの真似して言うから思わず笑ってしまった。
そう言えば、月子お嬢様も私の作った味噌汁が好きって言ってくれたっけ。嫌いなものは眉を顰めながら食べていたけれど。
「実。美味しいと思ってくれているなら、好き嫌いをしないで残さず食べてほしいなぁ」
「やだ」
指摘すれば実の口元がへの字になる。実の椀には橙色が鮮やかな人参の細切りがいくつか浮いていた。嫌いなものは残して、食べないぞと無言の主張をするのだ。
「実。好き嫌いは良くないぞ」
「えー。ぼく、人参嫌い」
ひょいっと片眉を上げた本多さんが実に向き合った。
「そうか。でもな、何でも食べられるようになったら体が強くなるんだぞ。お巡りさんにとっては大事なことだ」
「……そうなの? ぼく、食べる!」
え、珍しい。食べるって言った。実はお箸で人参を持ち上げて勢いよくぱくりと食べた。もっもっとかみ砕き、ぎゅっと眉間にしわを寄せながらごくりと飲み込んだ。
「見て、食べたよ!」
かぱりと口を開いて見せてくれる。おお、本当に食べたんだ。素直な返事に感動で胸が震える。
「えらいわ、実!」
「よくやった、実」
「ぼく、お巡りさんになれる?」
「そうだな、毎日続けることが大事だぞ」
「わかった!」
憧れの人に言われるとこんなに効果があるのか。ありがたいと思いながらちらりと本多さんを見ると視線が合う。本多さんの双眸は優しさを帯びていた。
あ、今ならあの提案を聞いてくれるかもしれない。
まだ温かいコロッケの入った包みを私に渡しながら、興味津々に本多さんは台所を覗き込んだ。
「オーナーの趣味で取り付けたそうです。火を起こすより簡単に火が点くから楽なんですよ。私は夕飯の準備をするので、実と一緒に座って待っていてください」
「わかった」
「まささーん、早くー」
「今行く」
居間に向かう背中を見送る。我が家、と言っても詠子さんから借りている家なのだけれど、そんな我が家に本多さんがいるのは不思議な光景だ。
本多さんが実を見てくれている間に、さっと夕飯の支度をしてしまおう。手際よく米を準備して炊飯を開始する。その間に主菜のコロッケに合う味噌汁を作ろう。体格の良い本多さんはきっとたくさん食べるだろうから具沢山にしよう。お口にあえばいいんだけど。まな板と包丁を台に置き、大根をさっと水洗い。それを包丁で輪切りにしたらくるくると大根の皮をむいていく。
「お巡りさんって、どんなお仕事をしてるの?」
「街の平和を守ったり、困っている人を助けたり」
「うんうん」
「強盗や殺人事件を起こした悪い奴を捕まえるんだ」
「かっこいい!」
居間から何やら楽し気な声が聞こえてきた。その声につられて、皮をむいた大根をトントントンと小気味よく包丁で切っていく。本多さんって意外だ。最初の印象は男前だけど強面で堅物な印象だったんだけど、実と接している時は表情が柔らかいのよね。
「まささんは悪い奴を捕まえたことがあるの?」
「もちろん。ここだけの話だが、今も事件を追っているんだ」
「すごーい!」
「だが、事件は悲しいことの方が多い。特に殺人事件は。お巡りさんがたくさん活躍するような事件は起こらない方が良いんだ。それって街が平和の証拠だと思うんだ」
「うん。平和の証拠だ」
「だからな、実。人を殺すなんてひどいこと、やってはいけないよ?」
ダンッ、と大根が派手に飛んだ。床に転がったそれは足に当たる。
はっと気づくと包丁を強く握りしめていた。しまった、力を入れ過ぎたみたい。
「まささん。ぼく、そんなことしないよ! ぼくはまささんみたいにお巡りさんになって、お母さんを守るんだから!」
力強くて大きな実の声が耳に届く。実はわたしを守ってくれるのか。胸がじんわりと温かくなって泣きたくなる。奥底に沈む黒い靄も温もりに溶けてなくなればいいのに。
「頼もしいな」
「それでまささんと一緒にお巡りさんの仕事をするんだ!」
「俺の後輩になってくれるのか。実は良いお巡りさんになりそうだから、ビシビシ鍛えるぞ」
「うん!」
憧れのお巡りさんになった実はどんな姿なんだろう。そのためにはしっかり食べて成長してもらわなくちゃ。再び具沢山の味噌汁作りのために手を動かした。
しばらくして無事に夕食が完成した。できましたよ、と声をかけると二人が積極的に運ぶのを手伝ってくれる。
居間の卓袱台には美味しそうな香りと湯気立つ具沢山の味噌汁と炊き立てのご飯、そしてコロッケが並んだ。
いただきます、と三者三様の感謝を述べて箸をつけた。
「コロッケ、美味しい!」
「本当。美味しいです」
「それは良かった」
本多さんが目を細めた。隣に座る実は大きな口を開けて、がぶりとコロッケにかじりつく。
本多さんは味噌汁の椀を持ち、きれいな箸さばきで味噌汁を食べた。ごくりと喉が動く。
「旨いな、島村さんの味噌汁。いつもこんな美味しい味噌汁を食べているのか、実」
「うん。お母さんのご飯は美味しいよ!」
良かった。お口にあったみたい。少しばかり緊張していたからほっと胸を撫で下ろした。
「実がうらやましいよ。毎日食べたいくらいだ」
「またまた。お世辞が上手ですね。褒めたって何も出ませんよ」
「本当なんだが」
「本当なんだが」
もう一つの低い声は実が頑張って出した声。本多さんの真似して言うから思わず笑ってしまった。
そう言えば、月子お嬢様も私の作った味噌汁が好きって言ってくれたっけ。嫌いなものは眉を顰めながら食べていたけれど。
「実。美味しいと思ってくれているなら、好き嫌いをしないで残さず食べてほしいなぁ」
「やだ」
指摘すれば実の口元がへの字になる。実の椀には橙色が鮮やかな人参の細切りがいくつか浮いていた。嫌いなものは残して、食べないぞと無言の主張をするのだ。
「実。好き嫌いは良くないぞ」
「えー。ぼく、人参嫌い」
ひょいっと片眉を上げた本多さんが実に向き合った。
「そうか。でもな、何でも食べられるようになったら体が強くなるんだぞ。お巡りさんにとっては大事なことだ」
「……そうなの? ぼく、食べる!」
え、珍しい。食べるって言った。実はお箸で人参を持ち上げて勢いよくぱくりと食べた。もっもっとかみ砕き、ぎゅっと眉間にしわを寄せながらごくりと飲み込んだ。
「見て、食べたよ!」
かぱりと口を開いて見せてくれる。おお、本当に食べたんだ。素直な返事に感動で胸が震える。
「えらいわ、実!」
「よくやった、実」
「ぼく、お巡りさんになれる?」
「そうだな、毎日続けることが大事だぞ」
「わかった!」
憧れの人に言われるとこんなに効果があるのか。ありがたいと思いながらちらりと本多さんを見ると視線が合う。本多さんの双眸は優しさを帯びていた。
あ、今ならあの提案を聞いてくれるかもしれない。


